027

 英子は教材と教材の間を調べてみるが、全くヒントになるようなものは見つからなかった。すると、後ろから何かが近づいて来る気配がした。渡だろうか?こんな場面を見られたら勘ぐられると思い、慌てて振り向く。そこにはすでに縄を手にした渡が無表情で立っていた。油断した。その時、英子はそう思った。

 驚きすぎて悲鳴は出なかった。渡は力づくで紐を英子の首にかけてくる。そして、そのまま締め上げようとした。英子も必死で抵抗するが相手は大人の男性だ。英子のひ弱な力では到底対抗できない。入口の方をちらりと見る。まだ樹は来ていないようだ。渡はそのあままドアに向かって後退る。おそらくドアストッパーを外して、ドアを閉めるつもりだ。それななんとしてでも阻止したい。しかし、渡の力に対抗できず、英子は引きずられるようにして、ドアに向かって動き出した。


「おかしいですね、高倉さん。あなた、確か受験はしないと聞いてましたよ」


 渡は淡々と英子に話かける。こうして人を殺そうとしているとも感じさせない落ち着いた話し方だった。


「だから、僕のところに勉強を教わりに来た時からわかっていました。あなたが本当は何を聞きに来たのかをね」


 彼はそう言って足でストッパーを外し、鍵を肘で閉めようとした。その瞬間、一瞬だけ手に力が抜けて、英子は縄から解放された。しかし、げほげほと咳が出て頭がくらくらし、動けそうにはなかった。しかも、その間に準備室の鍵を閉められてしまう。英子はぞっとしながら渡を見た。渡の顔は怖いほど無表情だった。


「美堂さんを殺したのは、渡先生ですか?」


 英子は単刀直入に聞く。まだ閉められた首が痛かった。咳で喉も痛い。


「何を言ってるんですか? 僕は殺してなんかいませんよ」

「じゃあ、なんでこんなこと……」

「実際、殺してはいませんけどね。殺してやろうとは思っていました」


 彼はそう言って、手に持っているロープを見せつけた。


「このロープでね」


 彼はにやりと笑う。渡はもう狂っていた。


「美堂さんはあなたの恋人なんですよね?」


 英子が質問をし始めた時、後ろのドアから誰かの開けようとする音がした。そして、開かないとわかるとドアを叩きながら叫んできた。


「高倉先輩! 大丈夫ですか? 僕です! 開けてください、笹山です!!」


 その声を聞いて、渡はちっと舌打ちをした。英子は少しでも足止めをしようと話しかけていたが、それも難しい状況になってきた。当然、殺そうとしている男の前で叫ぶことも助けを呼ぶことも出来ない。

 すると今度は別の声も聞こえた。


「どうした、笹山」


 それは宅間の声だった。渡は更に怪訝な顔になった。


「この中に高倉先輩と渡先生がいるんです! なのに呼びかけても開けてくれないんです!」


 樹の言葉を信じていいかはわからないが、彼の必死さに嘘は感じられない。宅間もドアに向かって叫び始めた。


「渡? 渡いるのか? いるなら開けてくれ!」


 しかし、渡は開けようとしない。それどころか手っ取り早く目の前の英子を殺そうとし始めた。英子は必死で抵抗する。


「なんで恋人である美堂さんを殺す必要があったんですか?」


 英子は再び渡に質問を始めた。渡は見下したような顔で英子を見た。


「恋人? ふざけるな、あいつはただのストーカーだよ」


 英子は絶句する。沙羅がストーカーだなんて信じられなかった。


「少し優しくしたら、勝手に惚れられて、そこからはあの手この手を使って近づいてきた。気持ち悪い占いやおまじないなんかもして。僕は正直怖かったよ」


 渡の手がどんどん強くなる。


「質問と称して、よくこの準備室にも押しかけて来たね。あの女はほんと悪魔のようなやつだった。2人っきりになると、誘惑してくるんだ。自分のその身体で。僕だって年頃の男だよ。あんな綺麗で魅力的な体つきした女に、何度も何度も誘惑されたら耐えられなかった」


 英子はだんだん抵抗する力を失ってき始めた。紐が指に食い込んでいく。


「笹山はここにいろ! 俺は準備室の鍵を取ってくる」


 ドアの向こうで叫んでいた宅間がそういった。そして、合いかぎの職員室がある場所まで駆けていった。その間も樹は英子の名を呼び続ける。


「あの女は、教師に取り入るのもうまかった。だから、他の教師を利用して僕の自宅まで調べあげて来たんだよ。あいつは知ったその日から、毎日のように玄関の前で僕の帰りを待っていた。追い出そうとしたが、周りの目もあったから、騒がれたら家に入れるしかなかった。家には入れればあいつの誘惑がまた始まる。僕は次第に抵抗するのも辞めた。あいつの好きなままにやらせた。でも、このことが学校に知られたら、僕はくびだ。くびどころか、警察に捕まる。僕はあの女のせいで、一生を棒にふるうことになるんだ」


 英子にはもう限界が近づいてきていた。だんだん視界が薄れ、意識が遠のいて行った。


「そして、言われたんだよ、あの女から。ってね…」


 その瞬間、鍵の施錠が解除する音と共に樹が飛び出してきた。そして、後ろから渡に体当たりする。渡はそのまま横へと飛ばされ、本棚に打ち付けられた。

 英子はぎりぎりのところで助かった。ごほごほとせき込み、それを樹が介抱した。その光景をみた宅間が唖然とする。


「どういうことなんだよ、渡……」


 縄を持って倒れている渡を見て、宅間は悲しそうに言った。渡は倒れたまま何も答えない。


「何とか言えよ、渡!!」


 宅間がそう叫ぶと、渡は突然ぶつぶつと何かを呟き始めた。


「僕は悪くない、僕は悪くない、僕は悪くない!!」


 みんな唖然として渡を見ていた。そんな渡に向かって、樹はついにしびれを切らした。


「何が悪くないだ! 現に今だって高倉先輩を殺そうとしたじゃないか! 美堂先輩だってあんたが殺したんだろう!?」

「僕は殺してないって言ってんだろう!!」


 急に大声を上げた渡に皆、硬直してしまった。その間に騒ぎを聞きつけた生活指導の宇都宮が駆けつけてくる。


「僕は殺してない……。気がついたら僕の代わりに誰かがんだ。奇跡だと思ったよ。やっとあの地獄から解放されるって」


 英子はその渡の言葉に気になった。ではなく、彼はと断言したのだ。


「なのに、お前たちが余計なことをするから。あの女の相手を探そうとするから、僕はこの子を殺すしかなかった。やっと解放されたと思ったのに、なんで!? どうして何度も僕を苦しめるんだ!!」


 渡はそういって目の前の本棚を殴りつけた。それを見た宇都宮が部屋の中にはいり、渡を抑え込んだ。その間、宅間はただ、立ち尽くしていた。


 英子はやっと緊張が途切れた。喉もまだ痛いし、恐怖で体は震えていた。手のひらにはロープを止めようと食い込んだ跡があった。

 樹はそっと自分の着ていたブレザーを英子の肩に掛けた。そして、渡と宇都宮が準備室から出るのを見届けた後、樹は英子に女性教師を呼んでくると言って部屋を後にした。


 部屋には、ただ座り込む英子と、渡の事を何も気が付いてやれなかったことに悔いた宅間だけが取り残されていた。


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