025 

 休日が開けた翌日、英子の元に1本のメールが来た。それは樹からのもので、渡の件で今後の話し合いがしたいとのことだった。その話し合いの為に放課後、放送部に来て欲しいと書いてあったのだ。樹にも何か考えがあるのだろうと英子は一言で了承した。


 放送室に入るとそこにはすでに2人の生徒がいた。おそらく放送部の1年。卯月の入部を阻止した2人だろう。2人は英子が入って来たことに驚いたが、同時に睨みつけてきた。そして、その中の1人が英子に近づき、質問をしてくる。


「3年の高倉先輩ですよね? うちの部長の笹山先輩と付き合ってるって本当ですか?」


 その質問に英子は驚いた。まさか、そんな噂になっているとは思わなかったのだ。しかし、最近の2人は放課後になるとよく一緒にいる。ファミリーレストランで食事もしたし、一緒に予備校まで行った。周りから見ればそう見られるものなのだと初めて自覚したのだ。樹に申し訳ないと瞬時に思った。

 女子生徒はどうなのかと再び聞いて来るので、英子はきっぱり否定した。しかし、信じていないようだ。後ろにいたもう1人の女生徒もじっと英子の事を見ていた。おそらく卯月の言っていた樹の事が好きな女の子とはこの子の事だろう。自分の事なのにその質問を友人にさせるのは何とも言えない。そんなことではあの沙羅に勝てるはずないだろう。

 あまりに英子が交際を否定するため、それ以上その件に関しては質問してこなくなったが、また別の話をふってきた。


「あと、喜多原先輩にも最近よく話しかけてますよね?」

「はい?」


 まさかそんな質問が飛び込んでくるとは思わなかった。確かに、以前この放送室と予備校で話はした。すれ違う時、知弦の方から挨拶されるようになったので、会釈ぐらいはして答えてはいる。しかし、英子から話しかけることはほとんどない。


「喜多原先輩、迷惑してるんです。あなたも美堂先輩の同じクラスだから、わかりますよね。喜多原先輩は美堂先輩が亡くなってから、ずっと辛い思いをしてるんです。彼女たちは親友なんですよ。なのに、無神経に喜多原先輩の前で美堂先輩の話をするなんて……」


 確かにわざとではないが、知弦と会うとつい、沙羅の話をしてしまう。知弦が沙羅を亡くして悲しんでいることもわかっていた。話せばテンションも下がる。しかし、そこまで気にしているとは思わなかった。


「美堂先輩が転落した時だって、喜多原先輩ここで大泣きしていて大変だったんだから!」


 彼女の言葉に少し違和感があった。そして、つい口が開いてしまった。


「ここってこの放送室で?」

「そうですよ。私たち、美堂先輩が落ちたって聞いて大急ぎで放送部に来たんです。もしかしたら、笹山先輩がいるかもしれないと思ったから」


 つまり、いつも昼休み放送部にいるのは樹で、樹に会うために放送部に来たのにいたのは知弦だった。その知弦が部室で大泣きをしていたということのようだ。


「あなたたちは美堂さんが落ちたところ見たの?」


 英子は気になって聞いてみた。沙羅が落ちたの後を直に見れたのはほんの数分間だけ。だから廊下にいた樹でさえ、直接は見れなかった。クラスに戻ると窓には生徒たちが集まっていて、窓の外など見れないし、教師たちによってすぐ毛布を掛けられたからだ。


「見たわけないじゃないですか。誰かがそう叫んだから、慌てて階段を下りてここに来たんです」


 そっかと1人納得した様子で答えた英子に、相変わらず睨みつける女子生徒だったが、英子の後ろから樹が現れると表情を一変させた。


「笹山部長!」

「あれ、2人とも今日は当番だった?」

「いえ、ちょっと忘れ物を…」


 彼女たちはそう言って急いで鞄を持って出ていった。樹はなんとなく2人が英子に突っかかっていたことに気づき、部長として頭を下げた。


「すいません。うちの部員が」

「全然大丈夫! 私が入ってきてびっくりしたみたい」

「そうですよね。僕が勝手に待ち合わせを放送室にしてしまったので、とんだご迷惑をおかけいたしました」


 彼はそう言って部室に上がった。英子も続けて上がらせてもらった。


 室内に入るなり、2人の会話はなくなった。樹は昔のアルバムを見始め、英子は台本や以前見ていなかった資料を見せてもらっていた。放送室の中は薄暗い。部屋が2つに分かれていて、奥にはスタジオと呼ばれるパーソナリティのいる部屋が設けられていて、調整室と呼ばれる機械のある部屋との間には大きなガラスで仕切られていた。調整室には横長の高窓が2ついていて、遮光はそこでしかとれそうにない。また、ミーティング室も兼ねていて、そこに棚やら本棚がおいてある。機械にはまた別にマイクもついていて、校内放送や緊急放送をする際にわざわざスタジオに入らなくてもいいようになっていた。放送室は職員室のすぐ真横にあるため、何かあれば教師たちがこの放送室に駆け込み、緊急校内放送を行う。

 樹はついにノートパソコンを取り出して、機動を始めた。英子には樹が何をしたいのかはわからない。以前よりも更に元気がないようにも見えた。

 樹は沙羅の事を知りたいと言った。彼女の本当の死の原因を知って、彼女の死を受け止めたいと。しかし、沙羅の事を特別な想いで見ていた樹には辛い現実ばかりだと思った。彼の好きな沙羅は、渡という1人の男性教師を愛した女子生徒であり、彼女のあの魅力はその恋心にも強く影響していたのだ。複雑に思わない人などいないだろう。


「高倉先輩見てください」


 彼はノートパソコンを英子に画面を向けて言った。英子も覗き込む。


「去年の予算配分です。僕も前から気になっていたんですが、去年はやけに予算が高ったんです」


 そこには予算表が年数に分けて並んでいた。確かに去年より前の年の予算はそれほど高くはない。当然、今年も去年に比べればだいぶ落ちていた。


「この予算が何に使われているというと、他校交流や郊外演習なんです。僕も去年は1年だったのでそれが普通だと思って来たんですが、やはり去年は異常でした」


 そして、樹は画面を変えて、アルバムに閉まっていなかったデジタルカメラの画像を流すようにして、見せた。


「その度に新人の宅間先生、そして渡が駆り出されているんです。たぶん、それに気が付いていたのは喜多原先輩ぐらいだと思います。僕も一緒に活動していましたが、あの2人がいることに違和感はなくて……」

「しかし、なんで去年だけこんなに予算が高かったんだろう」

「それはたぶん、美堂先輩の実績ですね。美堂先輩と喜多原先輩が入るまでは放送部はそれほど実績もなかったですし、入賞もできていません」


 そう言って、樹は部屋の中に飾っているトロフィーや表彰楯を指さした。


「あれは全て去年とったもので、ほとんど美堂先輩の実績です。実際は喜多原先輩のプロデュースの力もあったんでしょうが、表舞台に立っていたのは美堂先輩でしたから、教員たちの期待も大きかったですし、生徒会での評価も高かった」

「それで他校との交流や校外活動が多かった」

「多かったというより、多くしたという方が正しいみたいですけどね。この件に関しては以前、喜多原先輩と美堂先輩が言い合いになっているところを見たことがあります。あの2人が喧嘩をしていることは珍しかったので、よく覚えています」

「もし、これが渡先生との繋がりを深くしたいためだけにしていたとしたら、美堂さんは普通とは思えない」


 英子の中でも沙羅のイメージが段々と変わって来ていた。完璧で清楚なお嬢様のイメージから恋愛に関わると異常なほどの執着を持った女子生徒になる。


「それだけが理由かはわかりませんが、もし喜多原先輩が部長になっていたらありえなかったでしょうね。同じ2年の部員に聞いた話では、一昨年の部長たちは次の部長を喜多原先輩に推薦していたそうです。しかし、何故か喜多原先輩がそれを辞退して、美堂先輩になった。美堂先輩自身がやりたがっていただなんて、先輩方は誰も知らなかったと思います」


 あと、と樹は更に続ける。


「これもまだ確信は得ていないんですが、実はうちの顧問、そろそろ部活の顧問をおりたいという話があって、次期顧問に美堂先輩が渡を推薦していたとか。美堂先輩自体は引退している身なので直接関りはないのですが、今後の会う口実ぐらいにはなりそうです」


 英子の中でやはりあの疑問を感じる。本当に渡と沙羅はうまく言っていたのだろうか。そもそも、本当に付き合っていたのだろうか。


「笹山君は付き合うってどういうことだと思う?」


 英子の質問にえ?と少し顔を赤くして樹が答えた。


「わかりませんが、付き合うことが出来たら、手をつないだり……、抱きしめ合ったり……、き、キスしたりするんではなないでしょうか?」


 樹はものすごく恥ずかしそうに言った。英子も同じ見解だ。しかし、手を繋ぐや抱きしめ合うなら友達同士でもする人はいる。もし、恋人同士になるのに言葉の制約が必要ないのだとしたら、何を持って恋が成就したと考えるのか。ふと伸隆の言っていた言葉を思い出した。もしかしたら、渡から話を聞き出すことはかなり困難かもしれない。英子の顔は険しくなってくる。


「笹山君、君は今後も美堂先輩の事件について調べるつもり?」


 英子は確認する。樹は予想通り頷いた。


「この間、都野守先生に言われたこと覚えているよね」

「はい。危険に感じたら引けと……」

「この事件の本当の真実を知っているのは、今や渡先生だけだと思う。けど、渡先生は美堂さんを死に追いやった張本人かもしれない。そんな彼に接触するのはあまりに危険。それでも笹山君はこの事件から引くつもりはない?」


 樹は少し考えた後、再び顔を上げて頷いた。予測はしていた。しかし、樹は沙羅の事になると歯止めが利かなくなる。暴走する恐れだってある。伸隆との対面の時も英子が止めなければ、何をやらかしていたかわからないし、逆に怪我をさせられていてもおかしくない。そんな彼が渡と直接話をするのは危険だ。しかし、ここまで真実に近づいてしまった以上、英子が止めたところで、樹はもっと知ろうとするだろう。それどころか渡に飛び掛かる恐れだってある。


 英子は大きく息を吸って自分を落ち着かせた後、まっすぐと樹を見た。英子のこんな真剣な顔を樹は初めて見た気がした。


「笹山君、この件に関しては私にまかせて欲しい」

「どういうことですか?」


 樹は眉間にしわを寄せる。


「私が渡先生から聞き出す」

「でもそれは危険すぎます! もし襲われでもしたら」

「わかってる。だから、樹君には渡先生からは見えない場所に待機してほしい。もし私に何かあれば、すぐに他の先生たちに知らせて」

「でも…」

「大丈夫。私はへまはしない。全てを聞き出すつもりもないし、渡先生と他愛もない会話をして確信を得たら、それ以上は聞き出さない。だから、彼に関して、笹山君は関与しないで欲しい。そして、私がこの事件の答えを必ず出すから、君はその事実をちゃんと受け止めて欲しいの」


 樹は何も言えなかった。おそらくこの事件の真実は想像以上に残酷で、知ったところで樹には受け止めきれない。このまま否定し続けても樹が辛いだけだ。だから、英子が答えを出そうと決めた。答えを出して、皆の中にある沙羅への悔いを取り除きたかった。

 樹はやっと決心で来たのか、英子の顔を見て答えた。


「わかりました。この件に関しては全て高倉先輩の言葉を信じます」


 ついにこの事件に答えを出す日が来たのだ。

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