023

 2人は話し合った結果、都野守に話を聞き出すために指定された喫茶店で待つことに決めた。

 喫茶店は予備校から差ほど離れてはいなかった。予備校の連なる大通りを少し抜けた路地を進んだ場所にその喫茶店はあった。古風なデザインで、看板は随分年忌が入っている。レンガ造りの建物の三分の一はツタで覆われていた。

 樹は喫茶店の重い扉を開ける。ちりんとどこかで聞いたことのあるドアベルが鳴る。店の中はそれ程大きくはない。目の前にはカウンターがあり、そこに1人の老父が座って本を読んでいた。2人を見るなり老父、つまりマスターであろう男が声をかけてくる。


「いらっしゃい」


 樹は真っ先にマスターに2つの名刺を見せた。1つはこの店の名刺。もう1つは都野守の名刺だ。樹がマスターに都野守からここで待つように言われたと告げると、彼は一番奥の向かい合わせの席を案内した。2人は言われたまま、席に座る。すぐにマスターは水の入ったグラスとおしぼりを用意してくれた。樹はメニュー表を取って、英子に見せる。英子も樹もこういった場所に慣れていないため、何を選んでいいかわからない。とりあえず、看板メニューのオリジナルブレンドコーヒーを2つ頼むことにした。


 2人は向かい合わせに座りながら、黙り込んでいた。待つとは決めたものの、都野守は予備校の講師だ。講義が終わって最短で来たとしても10時は過ぎているだろう。その間、ここで待つしかないのだ。

 この沈黙に樹が一言切り出した。


「都野守先生を見て、どう思いました?」

「どうって?」


 英子も聞き返す。


「美堂先輩の恋人だと思いますか?」


 樹の質問に英子は横に首を振った。


「先生ははっきりと答えなかったけど、やっぱり考えにくいと思う」


 だよなと樹は椅子の背もたれに寄りかかり、天井を見上げた。やはり何度考えても、学校関係者以外の人間が校内を行き来するのは難しい。当然、塾講師も忙しいだろうし、予備校内でも人気も高い先生だ。沙羅が質問しに足繫く通っていても何もおかしくない。ただ、都野守は樹の想像していた人物とはかなり違っていた。彼は洞察力に優れている。なぜ彼が自分の名前まで知っていたのかはわからないが、自分たちの動きを完全に見抜かれていた。そして、その理由をもだ。

 そして気になるのが、あの都野守が言っていた沙羅の質問の内容。講師に質問するのなら、赤本などにある入試向きの問題の質問をするはずだ。いくら沙羅に余裕があったとしても、数学者でも目指さない彼女がそんな専門的な数式を解こうとするだろうか。樹はそれも含めて、英子の意見も聞いてみた。


「美堂さんは数式をが目的ではなかったとか?」

「解くことが目的ではない? なら何のために?」

「わからないけど、それをきっかけに都野守先生と話をしたいことがあったとか」

「そんな難しい問題を提示しなくても、話をするだけなら普通の入試問題で充分だったんじゃぁ」

「例えば、他の生徒が割り込まないようにするとか、もしくは先生でも難しい問題を出して時間稼ぎをしたかったとか」


 樹は納得がいかず、唸りながら腕を組んだ。もし、英子の言ったような理由だったとしても、それをする意味がわからない。そして、生物室で会話していた人物が恋人ではなく、仮に都野守のことを好きな沙羅に気がついた宅間だったとしても、都野守が沙羅と付き合っていた感じはしない。また、沙羅に好意があったとしても、おそらく都野守はあしらっていただろう。それだと、沙羅のあの心情の変わりようがわからない。好きな人が出来たタイミングが予備校に通い出してからと思えば、タイミングにそうずれていない。しかし、卯月の言っていた、もうおまじないや占いが必要なくなった心情の変化に理由がつかない。おまじないに効果がないと判断したから辞めたとも考えられなくないが、なにかパッとしなかった。


「もしかして、これで都野守先生と会話してたとかないかな? これなら他の生徒にもばれないし」


 英子はそう言って、あの折りたたまれていたノートの切れ端を机に広げておいた。文字の羅列が並んでいる。


「これって何かの暗号でしょうか?」

「わからないけど、これなら他の人にばれないでメッセージを送れる」


 確かにそうだが、そんなものはメールか何か連絡先を聞いていれば簡単に送れるのではと樹は思った。卯月の様にロマンチックだからという理由なら勘弁してほしい。


「もし、どんなに頼んでも都野守先生が連絡先を教えてくれなかったらこういうことをする子もいるかも」

「そうかなぁ。実際都野守先生は簡単に僕たちに連絡先を教えてくれましたよ?」

「それは私たちに恋愛感情がないと判断したから。都野守先生はよく人を見ているから美堂さんの好意にもすぐに気が付いたのかも……」


 これ以上考えても答えは出そうにない。

 ひとまず、目の前にある暗号に何が書いてあるか考えた。


「これって単純に考えたら、数字暗号だよね?」


 英子が答える。


「数字暗号?」

「うん、よくポケベルなんかで使われていた様式。例えば、11→あ 12→い 13→う みたいな形で表にして読んでいくの」

「はぁ、それはまた古風な」

「でもね、それだとおかしいの。母音は基本5文字。なのにこの暗号には下一桁に7が入っている」

「7が入るとどうなるんですか?」


 樹はなかなか理解できないでいたので、英子はスマホを取り出して数字暗号の表を検索し、見せる。


「まず、今回の23 41 23 67 67 97 47 73を単純に変換していくと、『しえし??2Vむ』となってメッセージにならない。だから、たぶん数字暗号ではない」


 なるほどと樹はやっと理解し、感心する。なら、これはどうやって解けばいいのか見当もつかない。


「私が注目したのはこの23と43の間の隙間が少し広いってこと。数字に意味がなくて、その間隔に意味があるとしたら、モールス信号とか……」


 そう言って英子は再びスマホを使って、モールス信号の一覧を出してきた。もし、このメッセージをモールス信号にあてはめたら、・ ---- ・・・となる。ここから推測できる言葉は、『へコラ』もしくは・ ---- ーーー『ヘコレ』、ー ・・・・ ・・・『ムヌラ』などいろいろやってみたが、どれも当てはまらない。和文でなく欧文で考えても『1S』など意味をなさないものばかりだ。


「やっぱり数字にヒントがあるんじゃないですか? 例えば、そう、元素記号とか! 数字の羅列に97番なんて大きな数字があるんですよ。文字にあてはめる方が難しいじゃないですか」


 樹はそう言って、スマホで元素記号の表を調べ出した。元素記号は1から116ある。この暗号にも当てはめることは出来そうだ。

 樹は鞄から筆記用具とノートを取り出して元素記号を書き綴ってみた。


「23だから…、 V、NbVHoHo BkAgTa…」


 全く意味の分からない文字列になった。


「じゃあ、元素の名前の頭文字を繋げて文字にするとか…」


 樹は再びペンを持ち、ノートに書き綴っていく。バナジウム、ニオブ…と並べていくと『バニバホホバギタ』となった。頭がぐちゃぐちゃになってきた樹は頭を書き上げ、椅子にもたれかかった状態で脱力する。


「もう、わかんねぇ」


 それでも英子は懸命にメモを見ていた。気になるのは2つの数字からなること。そして、それぞれの間の距離が違うこと。最初が一文字であるのも気になる。


「この数字、どこかで見た気がするんだけど……」


 英子は顎に手を当てて懸命に考えた。もう少し、ヒント。例えば違う数字のメモがもう1つあればわかりそうな気がした。


 2人はしばらくの間、コーヒーをお代わりしながら、メモと睨み合っていたが、樹は断念したのか、持っていた参考書を見ながら勉強を始めた。英子の方は諦め切れなかったのか、樹がいままでの情報をまとめたノートを見返している。




 何時間たったかは覚えていない。時計が10時半を過ぎたころ、ちりんとドアベルが鳴った。そこには、スーツ姿の都野守が立っていた。都野守のスーツ姿はなかなか様になっていた。

 二人は待ち構えていましたと言わんばかりに、都野守を凝視した。机の上にはメモや参考書やらと散乱していた。

 都野守は机の上に置いてあった、注文票の紙を持ってレジに向かう。


「ここももうすぐ閉店だ。荷物を持ってついて来たまえ」


 都野守は一方的にそう言った。随分時間を持て余された方は、納得がいかなかったが、沙羅のことを聞き出すためだ。樹は黙って荷物を片付け始めた。英子は椅子から立ち上がると財布を持ってレジに向かう。自分の飲んだコーヒー代ぐらいは払おうとしたのだ。

 それを見た都野守はくすりと笑う。


「君は律儀だね。待たせたのは私だ。ここは大人である私に花を持たせてくれ」


 彼はそう言って支払いを済ませんた。英子もそれに甘んじて頷き、財布を鞄にしまった。


 喫茶店の前にはすでにタクシーが止まっていた。都野守は喫茶店を出るとすぐにタクシーの助手席に座る。樹は急いでタクシーに近付き、中を覗きながら彼に質問をした。


「いったい僕たちをどこに連れていくつもりですか?」

「未成年である君たちをこんな夜の街で歩かせておきたくない。今からうちに行く。もし、危険を感じるというのなら、帰ってもらってもいいが?」


 樹はふんと鼻を鳴らして、渋々タクシーの後部席へ座った。英子も後に続いて乗り込む。タクシーは都野守の指示で動き出した。


「遅くなって申し訳ないね。これでも急いだ方なんだが。君たちはあの暗号を解読してみたかい?」


 都野守は席に座り、前方を見たまま2人に尋ねた。樹は車の窓の外を見つめながら答える。


「お手上げです。あれは本当に暗号なんですか? 教科書のページのメモとか、意味のない数字の羅列じゃないんです?」

「私もね、最初はそう思ってたんだが、今日のメモを見て確信した」


 英子はさっと都野守に目を向ける。


「もしかして、同じようなメモが他にもあるんですか?」


 都野守はにやりと笑った。


「なかなか君は鋭いね。私があのメモを美堂君の物だと確信を得ているのは、美堂君の持ち物の中から同じようなメモを見たからなんだ。最初は笹山君と同じように何かのメモかとも思った。しかし、それにしてはきれいにノートの一部を切り取って、中心にメモが書かれている。誰かに宛てたものにしか見えなかった」


 まあいいと彼はこの続きを自宅に帰ってからしようと黙った。それ以上、3人での会話はないまま、彼の自宅に着いた。

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