022

 都野守は樹を連れて、エレベーターの扉の前に立った。応接間にいた男は都野守が案内をするというとあっさり承諾した。

 樹は何かおかしいと思っていた。この予備校に来たのは初めてである。しかも、都野守のことも今さっき聞き出したところだ。なのに彼は、『私も彼に会いたかったんですよ』と言った。知らない相手に突然会いたいなどあまりに不自然すぎる。そう考えると答えは1つしかなかった。


「都野守先生。僕はいったいどこに連れていかれるんですか?」

「君の行きたがってた自習室だが?」


 都野守は静かに答えた。樹は隣にいるその男を睨みつける。エレベーターはまだ来ない。


「高倉先輩もそこですか?」


 その質問に対して、やっと都野守は樹を見た。


「高倉さんって言うのだね。彼女、私が何を質問してもだんまりなものだから名前も聞き出せなかった」

「僕たちをどうするつもりですか?」


 樹が小声で質問すると、ちょうどエレベーターが1Fに降りてきて、目の前のドアが開いた。都野守はそのまま乗り込み、最上階の7階を押した。樹もそれに乗り込んだ。


「どうするつもりもない」


 ドアが閉まると、再び都野守は答え始めた。


「なら、なぜ僕を連れ出したんです?」

「ただ、話をしたかっただけだよ」


 男はあくまで泰然と答える。

 樹は恐怖を感じていた。まさか目的の相手とこんな早く会えるとは思わなかった。しかも呼び出す前に相手の方から来たのだ。もし、この男が沙羅の恋人でそれを探ろうとしていることに勘づいているならば、樹たちは何をされるかわからない。それどころか、すでに英子は捕まって、椅子か何かに縛り付けられている可能性だってある。

 樹は男に気を許さないように距離を取った。しかし、男は何の反応も見せず、ただエレベーターが7階に着くのを待っていた。


 7階は人気が少なかった。大部屋の自習室には明かりが灯り、何人かが勉強に励んでいる。その奥にも教室があり、そこにも明かりがついていた。

 都野守は奥の自習室に向かった。樹も恐る恐るついて行く。ついて行く間に何か武器になるものはないか鞄を探ったが何も出てこない。カッターナイフなどいつもは持ち歩いていないし、辞書も学校においてある。なんの足しにもならないが、ひとまずボールペンをポケットに忍ばせた。


 教室に都野守が入っていく。樹が教室の中を覗くと中央に机が四つ向かい合わせに並んでおり、そこの1つに英子が座っていた。特に拘束されている様子はない。見た目からしてまるで三者面談のような形だった。

 樹は首をかしげて、都野守を見つめる。男はどうぞと英子の隣の席を勧めた。樹が素直に座ると、都野守はゆっくり扉を閉めて、2人の前に歩み寄り、目の前の椅子に座った。


 それでと都野守は両手を組んで肘を乗せて2人を見つめた。それは鋭い眼差しで2人を圧倒していた。


「君たちはここに何かを探しにきたのだね?」


 都野守は質問する。樹はごくりと自分の唾を飲み込んだ。


「美堂沙羅…のことかな?」


 都野守はわざとらしく聞いてきた。2人とも何も話せないでいた。握りしめた拳に汗が滴る。


「先日亡くなったと聞いた。転落事故らしいね。美堂君らしくもない」


 何も答えない2人に対し、都野守は変わらぬ調子で話す。2人の事は何もかも予想していたようだ。


「笹山君、高倉さんは私に何も話してはいないよ。ずっとこんな感じでだんまりなんだ。困ったものだ」


 樹はゆっくり英子の方を見る。英子は俯いたまま震えていた。そして、再び樹は都野守を睨みつけた。


「そんなに怒らないでくれ。私は君たち2人が受付に来ていたところを見ていた。だがいつの間にか、男子の笹山君しかいない。トイレにでも行ったかと思ったが、君が応接間に案内されるも彼女は帰ってこない。どこか校内を回っているのだろうと推測出来た。この時間に校内にいるとしたら自習室が一番行きやすいだろうね。だから自習室に行ったが、大部屋の方にはいない。そこでこの教室を覗いてみたところ、彼女は電気もつけずに、何かを必死に探しているのが見えた。君たちが入校目的ではないのはすぐに理解出来たね。笹山君は囮で、その間に高倉さんが何か探っていたんだね。その制服は漆野市立高校だ。漆野と言えば、あの秀才と言われた美堂沙羅君が転落事故を起こしたばかりだったからね。彼女の死に納得いかなかったのかい? しかし、ここまでわざわざ足を運ぶなんて、度胸があるね、君たちは」


 都野守は感心して言った。彼は樹たちを見て全て予測していたのだ。なかなか頭の回る男のようだった。


「で、何を探していたんだい?  これかな?」


 彼は英子が見つけたノートの切れ端を見せた。それは二つに折り込まれていて、中は見えない。


「君はこの中身をもう見たのかい?」


 今度は英子の顔を見て尋ねる。英子は首を横に振った。


「なるほど。確かにこれは美堂君の物のようだね」


 彼はそう言って2人に折った紙を広げて中身を見せた。そこには数字の羅列が並んでいた。


『23  41 23 67 67  97 47 73』


「これは美堂君の字だね。私は彼女に数学を教えていたからよく知っているんだよ」


 樹にも英子にもこの数字の意味が分からなかった。暗号か何かだろうか。何かのメモとも考えられる。


「それと、笹山君。君はどうやら私の事も多少知っていたようだね。営業部長を使って情報を聞き出すとは、高校生にしてはたいした男だよ」


 彼はそう言って笑った。


 樹は本当にこの男が沙羅の恋人なのか、判断がつかなかった。疑ってはいるものの、状況証拠からすれば白だ。しかし、ここに来れば、そしてこの男に会えば、何かわかると思ったのだ。しかし、思ったよりこの男は手強い。そう簡単に沙羅の情報を引き出すことは出来そうにない。どうするべきか樹は頭を悩ましていた。

しかし、そのきっかけを作ったのはむしろ彼の方からだった。


「私も次の講義がある。だから端的に聞こう。君たちは私から何を聞き出したい?」


 樹はためらった。しかし、時間がないのは確かだ。樹は思い切って目の前にいる都野守に聞くことにする。


「美堂先輩の恋人を探しています。何か知っていることがあれば教えてください」


 都野守は目をしかめた。そして質問する。


「君たちはその恋人が私だと思っているのかね?」


 すこし間をおいて樹が答えた。


「可能性は0ではないと思っています」


 それを聞いた都野守は大きくため息をついた。


「なるほど。その根拠を聞こうか」

「美堂先輩はあなたによく質問に来ていたそうですね。しかも、個別に」


 樹の質問に、都野守は頷く。


「ああ、よく来ていたね。しかし、彼女の質問に対しては、私は個別で彼女に対処しなければならなかった」

「なぜです?」

「彼女の質問が大学受験に相当する数学の数式ではなかったからだよ。つまり入試向きではない、数学の問題の解き方を私に聞いて来たんだ。当然、予備校ここで私に質問してくる生徒とは相容れない」


 樹も英子も理解できなかった。沙羅はなぜそんなことをしたのか。

 都野守は席に立ち、手に持っていた切れ端を英子に返した。


「私はこれから講義があるので失礼するよ。しかし、君たちがまだ私に質問したいことがあるのなら、ここで待っていてくれ。私の講義が終わるのは遅いのでね。そこのマスターには私が迎えに行くまで待っていろと言われたと言っておいてくれ。念のため、連絡先も渡しておく」


 彼はそう言って2枚の名刺を渡した。1つは行きつけの喫茶店の名刺と2つめは都野守自身の名刺だ。都野守の名刺の裏に個人的な携帯番号が書いてある。樹がそれを受け取ると彼はそそくさと教室を出ていった。

 樹と英子は名刺を見つめ、立ち尽くした。

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