020

 予想通り、樹はあのファミリーレストランで勉強をしていた。英子と卯月が樹の前に現れると、樹は不機嫌そうな顔をして2人を睨んだ。


「なんで、小酒井こいつまでいるんですか!」


 そこなのかと英子は呆れてしまう。それに全く動じていない卯月はいつものように笑顔だった。


「笹山君を誘いに来た。私だけじゃ決心つかなくて、小酒井さんにも協力してもらった」


 英子がそういうと卯月は大きく頷いて見せた。樹は呆れながら、荷物を少し避けて、2人に前の席に座るように指示する。


「やっぱり最後まで探そう。美堂さんの死の真相」


 樹は怪訝そうな顔をする。英子はそんなに怒っているのかと、少し身を引いてしまう。


「知ってどうするんです。知らなくていい事もたくさんあると思いますけど」


 樹はそう言って目の前の勉強に戻った。言っていることはごもっとだ。けれど、英子は諦めることが出来なかった。


「笹山君の言っていることは正しい。けど、私は田沼さんの事も卯月さんの事も本当の事を知れて良かったと思う。あのまま誤解したままじゃ良くなかった」


 樹はそっと顔を上げる。少し疑った表情だ。英子はびくびくしながら樹を見ていた。


「なら、僕が馬嶋先輩たちの真実を暴露したことも良かったと思ってるんですか? あの人たちはあれで人生めちゃくちゃになったんですよ。受験どころの問題じゃない。人生自体破滅ですよ!」


 まるで自分を責めているような言い方だった。樹も伸隆と話す時には覚悟はしていたはずだ。まさか他に3人も共犯者がいたまでは想像していなかったかもしれないが、それでも悩んだのだと英子は考えた。だから、英子も今の樹から逃げてはいけないと思った。


「違法薬物の摂取は立派な犯罪。笹山君はそれを止めただけ。もし、誰も気が付かなかったら、彼らはもっと薬物にめちゃくちゃにされてた。そんなの絶対いいわけない」


 英子は樹をまっすぐ見て言った。卯月も心配そうに英子を見つめる。


「あれが馬嶋君たちが犯した罪。それを笹山君が責任を感じる必要はない。それに、こうなると思ったから最後まで私には薬物の事言わなかったんでしょ? 先生に言わなかったのも、そうしないと美堂さんの事を聞くタイミングを失ってしまうから…」

「僕はあれで馬嶋先輩を脅したんです。立派な脅迫罪ですよ?」

「それでも、笹山君だけが背負っていいわけじゃない。もし、それが犯罪だというなら止めなかった私も共犯。同じ罰を受けるから」


 英子の目に迷いはなかった。樹は英子の顔をしっかり見つめ、そして小さく笑った。


「先輩が僕にそこまでたくさん話すのは初めてじゃないですか?」


 いつもの樹の雰囲気に戻ったことを安心しながらも、意外な返答に英子は戸惑う。確かに最近よく話すようになった。話すのが苦手であるというのに。


「僕らは運良く罰せられずに済んだんです。それはきっと短期間で事件が2つも重なって、学校がそれどころでなくなってしまったから。進学校で好評だったうちの高校もついに地に落ちてしまいましたね」


 皮肉そうに笑う樹。しかしそれこそ、そんな彼らを追い詰めた学校に側にも責任はあるはずだ。


「僕も自分の手を汚してまで手に入れた情報です。もし、先輩が誰かに殺されたとするならば、ほっとくことはできません。恋人と密会してたから殺した根拠にはなりませんが、あの日何かあったのは確かでしょうね」


 樹は諦めてなかった。彼は例のノートを机に出して、再び今までの事をおさらいし始めた。英子もその付け加えられたノートを見て安堵する。


「馬嶋先輩の情報を100%信じると考えて、恋人の可能性のある教師はそういない。まずは化学室を使っていた化学教師で放送部顧問の茂田枝が考えられるけど、茂田枝はもう50代後半で恋愛をする気力も感じないぐらいいい加減に生きている。正直、美堂先輩どころか学生と付き合うということ自体考えにくい」


 そして今度は、ノートに書いてある宇都宮の名前に指をあてた。


「宇都宮は美堂先輩を気に入って、セクハラまがいなことをしていたけど、これも女子の嫌われ者だし、美堂先輩が好きになるとは考えられない。しかも、宇都宮は馬鹿正直なところがあるから秘密事ができるタイプでもないんですよ」


 宇都宮に対しては少し馬鹿にした話し方をしていた。生活指導の担当教師なのに、相当生徒たちの中でも見下されているのだろう。


「若手の男性教師と言えば、社会科の宅間と数学の渡」


 英子は2人の名前を聞いて、あのボランティアの写真を思い出した。たしかあの時、沙羅は2人と接点があったはずだ。


「もし、その可能性があるなら僕は渡より宅間の方が怪しいと思います」

「なんでです?」


 同じように聞いていた卯月が突っ込む。樹は少し不愉快そうだった。


「そんなの一目瞭然だろう? 宅間は他の生徒にそこそこ人気だし、性格もはっきりしていて、リーダーシップも取れてる。実際、渡の方が宅間に頼りっぱなしで、誰の指示がないと動けないタイプだ」


 確かにと英子は納得した。馬嶋を追いかけた時、宅間と渡は2人でやってきたが、最終的なジャッチは宅間が下していた。渡はただ宅間の指示に従ってあの場に残ったのだ。


「そうですかねぇ。確かに宅間先生は女子生徒にモテてますし、頼りがいのある男性ですけど、生徒に手を出すようには見えないし、宅間先生なら同世代の女性にもモテるんじゃないですか?」


 意見を聞いてもいない卯月がべらべらとしゃべりだし、樹は更に不機嫌になってくる。そしてついに卯月を睨みつけ、声を荒げた。


「お前の意見なんて聞いてない! だいたいお前は、全然男の事をわかっちゃいないんだよ。手を出しそうにないやつほど出してくるんだ。しかも、美堂先輩だぞ! 他の生徒ならまだしも美堂先輩に言い寄られて断る男はない!」


 自信たっぷりの樹に、今度は卯月がむきになり始める。


「それは笹山先輩の主観じゃないですか!? 自分が美堂先輩が好きだからって世の中の男がみんな惚れるわけじゃないんですよ。だから嫌なんです。こういう偏見の強い男の人って!」

「はぁ!? お前みたいな女子しか見てない女が、男の何がわかるってんだよ。そもそも宅間じゃなかったら、他に誰がいるって言うんだ!?」


 すると、何かを思い出したように卯月はあっと声を上げた。


「OBってありですか?」


 卯月はあえて英子の顔を覗いて聞いてきた。目の前には興奮しすぎて、息を切らした樹がいた。


「OB?」

「はい。学校の教師じゃないですが、この間OBが来てたんですよ。たぶん、宅間先生と同級生の。彼は背が高くて、ほっそりしていて、イケメンっぽかったですけどね。何より、落ち着いた大人って感じでした。美堂先輩って騒がしい人が一番苦手じゃないですかぁ」


 卯月は意地悪な顔をして樹をちらっと見る。いらだった樹は卯月を睨みつけ、英子はただ笑っているしかなかった。


「確かに美堂さんの好みって静かな人かも。そうすると、宅間先生は外れるかな。騒がしいわけじゃないけど、はきはきした明るい人だから」


 英子も沙羅と宅間の事を思い出しながら答えた。沙羅が大人しいタイプが好きなのは同感だった。


「だから、そのOBの方がぴったりだったんです。私はちらっと見ただけでしたが、クラスの子が噂してて、その人、予備校の講師みたいなんです。カッコいいから目立つみたいで、そこに通っている子がいろいろとしゃべってくれてましたよ。どうもその予備校は美堂先輩の通っていた塾で、彼は3年担当の数学講師らしいです。自習の時とかに、美堂先輩が個人的に聞きに行っていたとか」

「ってかお前、その地獄耳どうにしろよ。全部、盗み聞きした話ばっかじゃねぇか」


 ついに樹も突っ込み始めた。卯月は相変わらずにこにこしている。


「1人でいるといろんなことが耳に入ってくるんですよ。とくに美堂先輩や放送部の話は」


 きもちわるいと樹はそっぽを向く。


「でも、OBがわざわざ母校を訪れて化学室で待ち合わせするかなぁ。見た目もイケメンなら目立ちそうだけど…」


 英子は唸りながら考える。条件に合っているが、やはり校内の講師じゃないと難しい気がした。


「そこなんですよね。例えば、外に増設してある非常階段でひっそり4階まで上がって密会していたとか……」


 卯月が想像しながら答えていると、樹が首を大きく振った。


「無理無理! うちの非常階段はそんなに簡単に上がってこれないし、入り口のドアには勝手に開けられないようにドアノブにカップがつけられているだろう。あれを壊さない限り、出入りは不可能なんだよ。そもそも、塾の講師なら塾で密会すればいいだろう。もしくは外で会うことだって可能だ」


 樹の言っていることは妥当だった。密会相手が部外者と考えるのは難しいし、もし、その言い争っていた相手が塾講師なら、生物室にまで行く理由がない。リスクも高すぎる。


「なら、これはどうですか? あの場所で密会していたのは宅間先生で、先生は塾講師と付き合ってるのを知ってて、止めに来たとか。宅間先生って正義感強そうだし、生徒が危ないことしてたら注意しそうじゃないですか?」


 それなら考えられなくない。馬嶋が言っていたのは痴話げんかと言っていたのだから、正確に何を話していたのかは知らないはずだ。


「とにかく、その塾行ってみませんか? 学校にはない情報が手に入るかもしれないですよ」


 卯月が身を乗り出して言い出した。卯月の行動力には毎度驚かされる。


「受講生でもない生徒がそんなに簡単に校内に入れるわけないだろう!まあ、方法がないわけでもないし、乗り込むのもありだけど、絶対に小酒井、お前だけは連れて行かない!」


 樹は卯月を睨みつけた。卯月も残念そうな顔をした。


「いいですよ、別に仲間外れにされても。私は私で何か面白い情報があったら、高倉先輩に報告しますから!」


 放送部の女の子たちの悪だくみだけでなく、そもそも樹と卯月は馬が合わないんだなと、英子は2人を見ながら実感した。

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