014

「交換レター?」


 卯月は交換ではなく、交換と言った。


「今どき手紙の交換とか、意味が分からないよ。メールとか直接連絡を取り合えばいいじゃないか?」


 樹は理解が出来ず、卯月に質問した。今どきの連絡手段はスマホで行う時代だ。小学校などで流行っていた交換ノートも今はすっかり廃れている。


「私、メールってあまり好きじゃないんです。利便性は理解していますが、ロマンチックじゃないんですもん」


 ロマンチックと聞いて、樹は更に呆れる。英子は卯月のイメージが自分の中でだいぶ違うことに気づいた。


「まずはどんなレターセットを相手に送ろうか考えるんです。それだけでも、サプライズみたいでわくわくしませんか? そして、どんな言葉を添えて送ろうかとか、悩んで時間をかけて書くんです。時々、イラストを添えたり、カードや押し花なんかも入れたりして、どうしたら先輩が喜んで読んでくれるかなって想像しながら送るんですよ」


 彼女は手紙の交換していた頃の事を思い出しながら話していた。完全に自分の世界に入っている。


「その手紙を朝、先輩の下駄箱にそっと入れるんです。それを読んだ先輩が今度は放課後までに返事をくれる。その時間が待ち遠しいのですが、逆に楽しみになって想像しながら放課後を迎えるんです」


 卯月はかなりのロマンチストだった。英子もつい笑ってしまった。


「手紙もたまにはいいかもね」

「ですよね! 手紙ってとっても素敵なものなんですよ! ラブレターとかに使われることはたまにありますが、こうやって送り合うことはほとんどなくなりました」


 彼女はそう言って、鞄からいくつかの手紙を出してきた。どれも沙羅から卯月に宛てたものだった。樹も手に取って確かめる。それは確かに沙羅の字によく似ていた。つまり、卯月から送られた手紙を沙羅は読み、ちゃんと返事をしていたのだ。一方的なラブレターなどではなかった。


「中、見てもいいかな?」


 樹が卯月に頼んだ。卯月は快く承諾する。

 恐る恐る封筒から手紙を取り出す樹。そこから出てきたのは沙羅らしい上品なデザインの便箋と沙羅の字で書かれたメッセージだった。決して長くはないが、丁寧で綺麗な字で書かれていた。そこには手紙のお礼と卯月に対するアドバイスなどが書かれている。


「小酒井さん、ごめん。僕はてっきり……」

「放送部の1年の子が言われたんですよね。美堂先輩の下駄箱に私が一方的に手紙を入れてるって」


 樹は返事が出来なかった。そうだ。最初は1年の部員から、沙羅が卯月から一方的に手紙をもらって困っていると聞いたのだ。決して沙羅から直接困っているということ聞くことはなかったし、本当かどうか確認することもなかった。1年に言われた通り、朝に沙羅の下駄箱を見ていたら、卯月が来て手紙を下駄箱に入れていた。だから、その部員の言っていることを全て鵜呑みにしたのだ。そして、その手紙を沙羅が受け取る前に、1年の部員によって捨てられていたことも樹は知っていた。


「もう気にしていません。最初からこうなる気がしていましたし。入学してすぐ、私、あの子たちに呼びだされて、放送部には絶対に入部しないでって釘を刺されました。だから、私は放送部を辞めて、図書委員になったんです」


 彼女はそう言って、樹に微笑んだ。樹は返す言葉がなかった。


「後悔はしてませんよ。私の夢は放送作家になることだから、ここにいても出来ることはたくさんあります。それに、その私の夢を知った美堂先輩が、個人的にいろいろ教えてくださることになって、だから『交換レター』を始めたんです。私が書いた原稿を喜多原先輩に見せてくださったり、私のお勧めした本を朗読会で使っていただいたり、美堂先輩には感謝してもしきれないほどです」

「なら、あの子たちが手紙を捨てるようになって、手紙交換はどうなったの? 美堂さんとも直接会っていたわけじゃないよね?」


 樹が申し訳なさそうに質問した。


「はい。下駄箱に毎日入れるのは諦めました。週に一度、先輩の指定された場所に手紙を隠して置いてました。返事は前回同様に私の下駄箱の中で入れてありましたけど」

「指定された場所? 放送部に?」

「いいえ。の教壇の中です」


 化学室というキーワードを聞いて、英子と樹は顔を見合わせた。


「なら、君が化学室の密会相手?」

「密会?」


 卯月は不思議そうな顔をした。身に覚えはなさそうだ。


「手紙はいつも水曜日の朝、自分の教室に入る前に入れていました。そこで先輩と会ったことはありません。先輩があの場所を個人的に使っていたことは知っていましたが」

「小酒井さんは美堂先輩があの場所で何をしていたのか知っていたの?」


 樹が勢いよく突っ込んでいく。さすがにこれには卯月も驚いている。しかし、なぜか卯月は急に笑い出した。


「あの噂ってほんとだったんですね」

「噂?」

「笹山先輩が美堂先輩を好きだっていう噂です」


 樹は顔を真っ赤にした。本当に樹はわかりやすい男だった。


「は? 誰から聞いた?」

「直接ではないですが、放送部の子たちが話していました。笹山先輩って思ったより鈍いんですね」

「鈍い?僕が?」


 樹は首をかしげる。全く分かっていない様子だった。


「放送部の1年の子の1人が、笹山先輩の事を好きなんですよ。けど、先輩は美堂先輩にぞっこんだから太刀打ち出来なくて、それでも気を引きたいから美堂先輩の情報を先輩にリークすることで、話すきっかけを作ろうとしているんです」


 卯月は淡々と話していた。樹は余計に恥ずかしくなっている。そのあまりの淡々とした態度に英子は1つの疑問に行き着いた。


「小酒井さんも美堂さんの事が好きだったんじゃないの?」


 それを聞いて、卯月は唖然とする。樹の反応を見て、ここまで余裕を見せているのだ。彼を恋敵として認識はしてないだろう。すると、卯月は意外な反応を見せた。突然、焦り出したのだ。


「や、私は…、美堂先輩が好きなわけじゃぁ……」


 樹と同じくして顔を真っ赤にしている。英子ば理解できず、ひとまず樹を指さした。


「笹山君が好きなわけじゃないよね?」

「違います! 私は男の人なんて好きになりません!」


 今度は噛みつかんばかりに叫んだ。とんでもないカミングアウトをされた気がしたが、英子たちは卯月は沙羅が好きだとずっと思い込んでいたのだ。卯月が男ではなく、女に惚れていてもおかしくないことだったが、まさか沙羅以外だったとは思わなかった。卯月もつい言ってしまったと後悔していた。


「で、誰?」


 樹は自分の本心をばらされた腹いせに、卯月の想い人を聞き出そうとする。卯月はなかなか話そうとはしなかった。


「まさか放送部の1年の子?」

「違います! 私は…」

「私は?」


 なかなか吐き出しそうになかった。樹はため息をついて、別の質問に切り替える。


「なら、なんでおまじないの入った封筒を放送部の前に置いたんだよ? 美堂先輩が好きなんじゃないなら、なんであんなことをした?」

「それは……」


 卯月は相変わらず歯切れが悪い。やはり、その卯月の好きな人と関係がありそうだ。


「見て欲しかったから。私の想いが少しでも届いて欲しかったの……」

「見て欲しかったって、僕たち放送部員はみんな気持ち悪がってたんだぞ! 迷惑とは思わなかったのかよ」

「だって、先輩もうすぐ卒業しちゃうじゃないですか…。そしたら、会えなくなっちゃうから」


 もうすぐ卒業と聞いて、浮かぶ人物は1人しかいなかった。樹は更に大きなため息をつく。


「ってか、それこそ下駄箱に入れるなり、直接渡せばいいだろう。それに美堂先輩もいたんだから、渡してもらうように頼むとか」

「そんなこと出来るわけないじゃないですか! また、部員の女の子たちに妨害されるかもしれなかったし、中身とかも絶対見られたくなかった。直接渡すほど、仲いい訳じゃなかったですから、それも難しいし、美堂先輩に毎回頼むのも申し訳なかったんです。それに、美堂先輩は引退してからあまり放送部には顔出してないみたいでしたが、喜多原先輩はよく顔出すって…」


 ついに名前を上げてしまった。英子はただ見守るしかなかった。


「あのおまじないは、そんな変なものばかりじゃありません! 先輩の合格祈願とか病気にならないようにとか、そういう純粋なものなんです。だから手紙も入れないで、先輩が目につきそうな場所に置いたんですよ」

「でも、5円玉に髪を結ぶなんて、充分気持ち悪いと思うぞ」

「5円玉?」


 卯月は驚いた顔をした。それは沙羅のロッカーに入っていたものだ。最初は卯月が沙羅を好きで入れたものだと思っていた。しかし、卯月の好きな人は知弦だ。知弦は別のクラスなので彼女のロッカーはあそこにはなかった。それに確かにあれは長い黒髪で、沙羅の物だ。知弦はあそこまで髪は長くない。

 卯月は何か気が付いた様子で、血相を変えた。英子はそれを見逃さなかった。


「小酒井さん、何か知っているの?」


 卯月はなかなか口を開かない。そして、目の前にある占いの本を見つめた。そして、長い沈黙の後、やっと卯月は話し始めた。


「それはたぶん、私が美堂先輩に教えたおまじないです」

「は?」


 意外な答えに樹は狼狽える。あれは両想いになるのおまじないだ。


「私、占いとかおまじないにも詳しくて、美堂先輩に好きな人がいるっていうから教えたんです。けど、あれは相手の髪の毛もいるから、現実的ではなくて…」

「美堂さんって好きな人いたの?」


 口走ったと卯月は後悔しているようだった。でも、これ以上隠しきることはできない。


「手紙のやり取りで教えてもらったんです。でも、誰かまでは聞いていません。美堂先輩の方から両想いになる強力なおまじないを教えて欲しいっていうので教えました。まさか本当にしていたとは思いませんでした」


 樹は複雑な表情になる。英子も情報の相違もあって、頭がぐちゃぐちゃになっていた。

 もし、沙羅に好きな人がいたとしたら、化学室で会っていたのはその好きな人の可能性が高かった。あの5円玉にかかっていたのは癖のある短い髪。おそらくショートで男子だったら少し長めだが女子なら少し短めだ。沙羅の近くにいる人でそんな髪型の人はいない。卯月はショートだが、話からすれば卯月ではないのは明確だった。

 英子は卯月が沙羅からもらった手紙を開いてみた。もしかしたらこの中に沙羅の好きな人の名前が書いてあるかもしれないと思ったのだ。しかし、それらしい書き込みはなかった。時々、『あの人』と書かれた妙なフレーズはあったが、何のヒントもない。


「小酒井さんは美堂さんの好きな人に心当たりない?」

「すいません。そこまで深入りするのは迷惑かと思いまして、詳しくは聞かないようにしていました。ただ、入学してからの付き合いだとは言っていました」


 入学からと考えると同級生か上級生の可能性があった。ただ、上級生ならすでに卒業したことになる。昼休み、沙羅と会うのは不可能だ。ならば、同級生か誰かの親戚の下級生という可能性もなくはない。そして、ふと思い出すことがあった。あの下駄箱の落書きだ。あそこには『卯月』と文字が彫られていたのを樹が確認している。


「美堂さんの下駄箱にあなたの名前が彫ってあったのはなぜ?」

「私の名前ですか? 私はそんなことしていませんが、もしかしたら笹山先輩に信憑性を持たせるように、あの子たちはいたずらした可能性はあります」


 そう言うことかと英子は納得した。あの時樹は、直接見ていないのに安全ピンの浅い傷で『卯月』とすぐに読めたのは、前々から後輩たちから告げ口をされていたからだろう。樹は沙羅のことになると全く冷静になれないことはよくわかった。しかし、この件では何のヒントも得られなかったようだ


 卯月は思いのほか、話しやすい女子生徒だった。思ったより淡々として前向きで部員の対応の悪さもきちんと流すことが出来ている。そして、沙羅ともそれなりの関係を気づけていたようだ。それに樹の卯月に対する嫌悪感は、1年の女子に植え付けられたものだとはっきりした。人は恋をすると盲目になると言うが、樹はいい例だ。


 結局、卯月に対する疑問は解けた。しかし、新たなる疑問が出てきた。沙羅の好きな人の存在だ。それが好きな人どまりだったのか、恋人だったのかは定かではない。しかし、もし恋人がいた場合、密会相手は恋人である可能性が高い。噂されている伸隆はそれに該当しそうにはないが、彼の謎も解いておく必要がありそうだった。

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