二話・佐竹の怪談

華厳けごんの滝って、聞いたことがあるかい? あれは確か…… そう群馬の辺りの(実際は栃木県である。四十七都道府県を彼は十二個しか覚えていない、地理オンチである)百メートル近くを大量の水が落ちてくるっていう、まあ名勝めいしょうだよ。白糸しらいとの滝(これは静岡県の滝。彼の地元)なんて二十メートルしかないんだから、その五倍だよ。(わかりにくいたとえ)でけえなあ。(アホそうな感想)

 写真なんかを見ても中々勢いあってねえ、確かに華厳というに相応しいなという感じなんだが、ここってのはちょいと自殺の名所として有名でねえ。何人も崖から落ちてんだ。怖い?(今のところ観光案内のため、全く怖くない)

 華厳の滝ってのは落ちやすいから自殺の名所になったってわけじゃねえんだよ。……一九〇三年だからつまり百二十年も前に、藤村操っていうやつが飛び込んでから名所になったんだ。旧制一高きゅうせいいっこうっていう、まあ今でいう東大みたいなとこの生徒だったんだけど、遺書を残して死んだんだ。その遺書(巌頭之感がんとうのかんのことだろう。私は一度読んだので、だいたいの内容は知っている。私はこの文章を好んでいる。全文青空文庫あおぞらぶんこにも載っているため、是非とも読むべし)の内容ってのがすごくてね…… え、知ってるのか。じゃ説明は抜きだ。でドボン。一高の制服をつけたままね。どうでもいいうんちくだけど、(どうでもいいうんちくばかりである)このとき藤村操くんの英語教師をやってたのが夏目漱石なつめそうせきだってんだ。なんどか小説で言及されているという。読んで無いから何とも言えないけんども。(愚作者も読んでいないので安心してくれ。漱石の小説さえ読んでいない小説家はどうにも恥ずかしい)

 と、ここまでは前座ぜんざ。こっからが本題。(筆者、鼻くそ穿ほじる手を止める)

 三年前、だからまあコロナの全盛期かな。自殺したある男子高校生についてだ。×高生徒の話だよ。(前座から話が飛びすぎである)これのどこが前座と関係あるのかって? まあまあ、どうどう、大人しく聴いてくれ。

 こいつは…… 木下きのしたという名なんだが、元々はどうにも元気なやつでね、才色兼備さいしょくけんびさらに文武両道ぶんぶりょうどう、性格も良いんだよ。なんだか気持ち悪いぐらいに出来過ぎる男だった。部活はテニスで、二年の頃には全国大会に出てやがった。全国模試もまあ中々に…… 東大はA判定だとかなんとか。学内でファンクラブが作られるなんて、フィクションめいた出来事さえ起きるんだから、凄まじいね。宇宙人じゃないかしら。

 そんな木下だが、コロナ禍になると、どこかおかしくなっちまった。SNSなんかに、男の幽霊が見えるとかなんとか、自分は宇宙人だとさえ言い始めたんだ。五月ごろになると、コロナ禍とはいえ登校が始まったもんだけども、久しぶりに見た木下の風貌ふうぼうは、どっと変わっている。目はくぼんで、ほうれい線も出てんだ。目の下のクマなんかはデーゲームのときに野球選手が付けるあれ(アイブラックのことだろうか、ならどうにも黒すぎる)みたいな色なんだ。テニスで鍛えた腕なんかは筋肉が削げ落ちて、骨みたい…… というと誇張こちょうだけども、棒切れだね、女みてえに(差別的表現!)なっちまった。

 そうして授業中はアンニュイな感じで窓をずっと眺めている。教師が何回も注意したんだが、いくらやっても治らない。体調が悪いのかと尋ねると、カラスかスナックのママみたいなガラガラ声でいいえと答える。その間も教師の方を向かない。怒った教師が、なんだその態度は! と彼の眼前がんぜんに入ると、カラス声から一転、マンドラゴラの叫び声みたいな(たとえまでオカルトによせる必要があるのだろうか)声で叫ぶ。『助けて助けて、殺さないでくれ、うわああ』とね。(佐竹はやたら力を込めて演技をする。今のところどうにも陳腐ちんぷである)どうかしちまったんだ。皆、そこからもう完全に腫れ物扱いでね、人気者木下も落ちぶれた。誰も相手にしなくなったんだよ、ある一人を除いて。

 木下は奇妙なやつと仲良くなってしまった。名を岩崎いわさきという。陰気な女でね、髪が長すぎて顔が見えねえんだよ。貞子かって感じでね。こいつは元々そういうヤツだったんだ。岩崎が付きまとい初めて、木下は前の明るさを取り戻した。目の下のクマは消えたし、顔つきもよい。しかしスポーツも勉強もやめてしまった。その代わりに、なにかノートにずっと書きなぐってるんだ。一回盗み見してみたけども、なんのこっちゃ全く分からない。意味不明の文字の羅列さ。お前の小説よりもわけがわからん。(余計なお世話、失礼無礼)文字とさえ言えない部分もあった。少し前に流行ったヴォイニッチ手稿しゅこうみたいなもんだね。(ヴォイニッチ手稿を流行ったと言えるのはオカルト好きの間だけである)それを岩崎にみせに行く。そうすると岩崎なんかは手に取るだけでおんおん泣いてね、イスラム教徒の礼拝みたいなのを、ずっとやってんの。廊下で。不気味だねえ。当然だけども、こんな不気味な存在を見て見ぬふりができるほど、高校生というのは優しくない。コロナでストレスもある。受験期だしね。彼らは三年生だよ、言ってなかったかな? 変なことをやりやがってと、クラスカーストの上のやつがいじめるんだ。木下も岩崎も、罵詈雑言ばりぞうごんの嵐。それどころか木下のあのノートをビリビリに破いてね、ゴミ箱に突っ込んだんだよ。あのときの木下は無茶苦茶に不気味だった。ゴミ箱をずっとあさっているんだ。ガサガサ、ゴソゴソ。しかも、なにやら呪いの言葉を呟きながらね。

 その騒ぎの翌日、いじめの主犯格は首を吊っていたんだ。自殺だとさ。遺書の内容はそのまま『巌頭之感』の文なんだ。(前座と繋がる要素が急である。物語ならば稚拙ちせつどころではない)言っとくけど、そいつは藤村操なんて全く知らないタイプの人間だったんだ。さらに言うなら自殺するタイプの人間でもない。

 登校して来た木下の手には、破ってゴミ箱に入れたはずのあのノートがしっかり握られてるんだ。で、あいつは昨日と打って変わってずっとニヤニヤしている。いじめっこだって人望ぐらいある。主犯格が死んだのは木下のせいであるのも、なにやら超常的だが簡単に推測できる。敵討かたきうちとばかりに、その主犯格の恋人が、またノートを破いて、今度は燃やした。

 こんな恐慌きょうこうじみた状態でも、教師は動かない。あの不気味なノートは、学内の誰にも、確かに消えて欲しい存在だった。いじめはどうにも公認じみてきた。ノートを燃やすときになって、ある男の体育教師がやって来て、燃やす側の肩を持ったのには驚いたね。流石どうかと思ったんだが…… しかし今度は木下も、ノートを燃やされても慌てることなくニヤニヤしている。登校からそんな騒ぎがあって、飯時になると、どうにも恐ろしいことが起こったんだ。(もったいぶるせいで、ハードルが上がる。ダラダラ話すわりに口下手くちべたである)体育教師とあの主犯格の恋人がね、急に自分の首を絞め始めて、泡を吹いて死んだんだ。それも、あの『巌頭之感』をぼそぼそずっとつぶやきながらね。死体二人に学校は大パニックだ。先生生徒一人ずつ死んで、どっちも冷静にはいられない。警察はもちろん呼ばれたが、学内では完全に魔女狩りのムードになっていた。木下と岩崎は、もう殺されるぐらいの勢いさ。暴徒によって二人はもみくちゃにされて、ソーシャルディスタンスも三密さんみつもあったもんじゃない。完全に捕まえられて、拘束され、ドンドン物を投げられてね。警察が来て、暴動を見て増援を呼んで、二十人単位で止めに入ってようやくその私刑しけいが終わったんだけども、少し遅かった。二人とも、意識不明の重体なんだ。(荒唐無稽こうとうむけい過ぎて、どうにも突っ込む気がうせる)というか暴動騒ぎの中でたしか十八人はどこかに怪我を負ったはずだ。流石に大怪我はあの二人だけ。

 二人は病院に救急搬送され、何針だかわからないけどった。なんとか、生きていた。高校の暴動はもう大スクープだ。あの×はコロナのときにゃあニュースになったね。週刊誌の記者は二ヶ月ぐらい辺りをうろついてたね(ひどいウソ。流石にバカな筆者でさえそんな記事があれば頭に残っているはずだ)無事に生きていた渦中かちゅうの少女、岩崎は、これまた『巌頭之感』を遺書に病室の窓から飛び降りた。この呪いで何人死んでいるんだか。(こちらの台詞である。どうにも人を殺せば怪談だと思っている節がある)

 もう一人の渦中の人、木下は生きているんだけど、パラノイアみたいな感じになってね。もう、ドッペルゲンガーが隣にいるだとか、藤村操の霊が後ろに憑いているだとか、悪魔が憑いたとか、急に聖書の一節をそらんじるだとか、もう、おかしくなってんだ。(紋切型もんきりがたの発狂で苦笑してしまった)

 それどころかね、コロナにもかかってね、若い人には珍しく、とはいえもうその頃の木下は体の機能が七十代の爺さんと変わらなかったってんだから、普通に死ぬラインさ。そんな状態で木下はふと消えたんだ。

 さあどこに行ったと思って色々なところを探すんだが、中々どこにもいない。まさかと思って華厳の滝を調べると…… ああ華厳の滝ってのは死体の回収やらがクソめんどいんだ、真っ先に調べるってわけにもいかないよ。木下の死体があるんだ。服は白い患者衣のまま、裸足。どうにも車や電車で来たわけでも、歩いて来たわけでもないっていうんだ。下手すりゃ殺人事件誘拐事件、×高暴動案件でもあるし、警察も総力上げて調べるんだけども、どうやってここまで来たのか、それさえわからない。いつ死んだのかも、わからないんだ。ただそこに死体があったことだけしかわからない…… ただ崖の下の死体は、あのノートを持っていた……」

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