第52話 隣の庭は青く見える、けど見えないところでは根腐れしてるかもしれない

 薄暗い廃ビルの中。照明の明かりがほとんどなく、外からの陽の光も差さない場所だというのに、埃の存在だけは明確に認識できるような嫌な空気がそこには広がっていた。まさに人を攫って隠しておくにはうってつけの場所と言えるだろう。


「おい、さっさとそいつの持ち物から連絡先見つけて、あの野郎に電話するぞ」


 人の手が行き届いていない廃墟の中の一室には、床に寝かせた赤髪の青年を囲うように誘拐犯達がたむろしていた。人数は十人弱ほど。彼らの一部が攫ってきた青年の懐を探っている。それ以外の者達は、犯罪を犯すという自分達にとって大きな転換点を受け、ある種の興奮状態、あるいは鎮静状態に陥っていた。

 そんな一種のカオス状態にある現場に、外から入ってくる者が現れる。


「よお、邪魔するぜ」

「……誰だッ!!」


 外部から来るはずのない来客が現れると、誘拐犯達に一斉に緊張が走る。声のした方向に目を向けてみれば、そこには顔の半分が緑の鱗に覆われたオッドアイの男、レプトが立っていた。彼は表口から自分の存在を隠すことなく堂々と現れると、誘拐犯達と真正面から向かい合う。


「全員亜人か……」


 レプトが目を回して誘拐犯達の姿を見ると、すぐに彼は自分のメンバーを攫った者達が亜人の集団であることに気付く。その種族はバラバラで、毛皮に全身を覆われるものもいれば、背に翼のある者もいた。彼らの顔に粗く目を通したレプトは、フードを外して自分の正体を明らかにする。


「俺が誰かは、分かってるよな? 分かってて俺のメンバー攫ったんだろうしよ」

「……チッ、トランスのリーダー。半奇面のレプト」

「好きに呼んでくれていいぜ。しかし、人を十人近く集めてやることが、こんなチンケな人攫いとはねぇ……金が欲しかったのか?」


 レプトはラムロン達といる時とほとんど変わらない緊張感のない様子で誘拐犯達と向かい合う。あくまで優位に立っているのはメンバーを人質に取っている方だというのに、彼の余裕は揺らぎなかった。その姿勢は、レプトに注目する誘拐犯達の気分を逆なでする。


「もちろんだ。亜人の生活はいつだって苦しいからよ」

「食ってけてないようには見えねえけどな」

「うっせーよ。チッ……いちいち癪に障る奴だ。前からテメェが気に食わなかったんだよ」

「ほう、アンチ活動のついでってヤツか?」


 揃って敵意の視線を向けてくる誘拐犯達の中から、一人の頭目らしき男が前に出る。その男も漏れなく亜人であり、彼の背には黒いカラスのような翼が生えていた。彼は人質を万が一にもレプトに救出されないよう、赤髪の青年を抱える仲間を一番後ろに下がらせ、対話を続ける。


「ああ。そんな醜い面ぁ引っ提げて大勢の前に立って、チヤホヤされてんのが目障りだったんだよ」

「そんなにひどい顔か? パフォーマンス向きで気に入ってんだけどな」

「チッ……そういうヘラヘラした態度も、よくまあカメラに向かって平気で続けられるよな。俺達普通の亜人は、この人間との違いのせいで苦労してんのによ。人間と同じ服も使えなきゃ薬も使えねえ。街を歩けば白い目で見られるなんて日常茶飯事だ」

「普通の亜人ねぇ。俺が特別製だからって持ち上げられてると思ってんのか?」

「じゃなかったら何なんだ?」


 黒い翼の青年はレプトの言葉を鼻で笑い、レプトの半人半獣の顔を瞳に映す。


「親が別種の亜人同士か、人間の血が混ざったか……。お前みたいな歪な体を持つ奴は大抵そうだ。それがたまたま、大勢の趣味と合致しただけだろうが! アンタみたいな恵まれてる奴から、俺達みたいな貧しい亜人が金を奪って何が悪い?」

「……お前だけじゃなく、後ろの奴らもそう思ってんのか?」


 ふと、レプトは頭目の青年の言葉について彼の仲間達に問う。青年の後ろに控えていた仲間達は、数人顔を見合わせはするものの、変わらず敵意のこもった目線でレプトを睨んできた。彼らのその様子を目の当たりにしたレプトは大きくため息をつくと、一歩進み出て胸を張る。その顔には薄らと苛立ちがあった。


「よく聞け馬鹿共。そうやって自分と他人の違うところを理由にしてグチグチ言い訳してるようだと、一生をドブに捨てることになるぜ」

「……あぁ?」


 レプトは多くの相手から一斉に向けられる敵意に臆することなく、言葉を続ける。誘拐犯達の誰もが今にも彼に食ってかかりそうな怒りを抱えていたが、その場から飛び出す気概を持つ者はいなかった。


「俺が成功できたのは顔が特別だからではないし、お前らが燻ってんのも普通の亜人だからってわけじゃねえ。ていうか、普通の亜人ってなんだよ。自分らが鳴かず飛ばずなのに理由をつけたいだけだろうが」

「……な、なんだとッ!?」

「羨む相手にしたってそうだ。俺という存在がいなきゃ、お前らはそこらを歩いてる人間を恨む。亜人よりもマシな生活ができるとかなんとか理由をつけてな。もっと言えば、自分よりうまくいってる亜人ですら憎み始めるだろうぜ。種族なんか関係なくな」


 レプトは激しい憎しみを向けられているのにも関わらず、ステージ上でパフォーマンスをするかのように雄弁に語り、自分の目から見た真実を青年に突き付けた。


「そんな下らない考えから抜け出したきゃあ、こう考えるんだな。隣の庭は青く見える、けど見えないところでは根腐れしてるかもしれない……ってな。他人の幸せも苦しみも、少しは理解する努力をした方がいいぜ。その方が無駄にイライラしないで済む」

「……チッ、俺達はアンタに説教してもらいたいわけじゃねーんだよ」


 レプトの言葉を受けると、先頭に立っていた黒い翼の青年は改めて敵意を露にする。どうやら、レプトの言葉を受け入れる気はないようだ。元より、人質というアドバンテージをとっているはずの彼らがレプトの言葉に耳を貸す必要はない。青年が鉄パイプというありふれた獲物を構えたのを目にすると、レプトは眉を寄せて肩を落とす。


「おいおい、今の俺様の金言を聞いて何も思わなかったのか?」

「寧ろ、アンタからもっと奪いたくなってきたぜ」

「……はぁ、俺って説得向いてないのか」


 レプトが失意に肩を落とすのに構わず、頭目の亜人は声を張って後ろにいるはずの人質を押さえている仲間に指示を出す。


「おい! さっき捕まえてきた奴、こっちに引っ張ってこい!」


 男の声が廃ビルの澱んだ空気にこだまする。しかし、彼の言葉に返事をする者は数秒待っても現れなかった。返ってくるのは、ただただ沈黙のみだ。遅れて違和感を感じ取った黒い翼の青年は、不安と焦りに押されて背後を振り返る。

 そこに、彼の仲間はいなかった。代わりに立っていたのは、誘拐犯達を取り押さえたラムロンとルカの二人だ。


「なんっ……!?」

(仲間がいたのか。話で気をそらして後ろに控えていた奴から……!)


 気付いた時には既に遅い。青年の肩に手が置かれる。振り返ると、そこには呆れ顔のレプトが拳を振り上げているのがあった。


「反省してくれりゃあ、こっちもやりようがあったのになぁ」

「てめっ……ぐっ!?」


 反抗の言葉を吐く暇もなく、レプトの拳が振り抜かれる。瞬間、青年の意識は空気に溶ける吐息のように霧散していくのだった。

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