変わっていく日常、変わらない日常
第47話 三度目の正直顔合わせ
とある日の夜半前。陽が落ちてからしばらくの時間が経ったこの頃合いに、ラムロンは事務所で携帯をいじりながら時間を潰していた。彼が携帯を通して見ているのは、直近の出来事をまとめた掲示板のようなサイトだ。そこで取り上げられている内容は、亜人が着用するための服のブランドのことであったり、亜人に関連する法律の改正についてであったり、普段の彼の様子からは離れた少し真面目なものだった。
「最近はちょっと落ち着いてきたかねぇ」
自分が専門としている亜人関連において物騒な出来事がないことを確認すると、ラムロンは背もたれに体を預けて携帯をテーブルに置く。スクロールが止まった携帯は次第に点滅を弱めていった。
と、そんな時だ。ラムロンが一人で安穏と夜の時間を過ごしていると、事務所内にインターホンの音が鳴り響く。他人の家を訪ねづらくなる時間一歩手前の訪問に、ラムロンは少し眉を寄せながらも声を発した。
「どうぞ~。開いてるから入っていいぜ」
許可の言葉に応じるように、扉はすぐ開かれた。ラムロンは緩めていた気をほんの少しだけ引き締め、背もたれから体を離して顔を上げる。
「どうも失礼しま……ん?」
「……あっ、お前……」
この日、亜人相談事務所にやってきたのはあの婦警だった。例の石頭女である。勤務時間が終わっているのか私服ではあったが、印象深い対面を重ねてきたラムロンと彼女は互いをすぐに覚えのある人物だと認識する。そして、婦警はラムロンの存在を目にした瞬間、咄嗟に一歩下がって身構えた。
「あ、あなたはあの時の……露出狂SMクラブ通いセクハラゴミ野郎!!?」
「おいテメェ言いすぎだろッ!!!」
「じっ、事実じゃないですか!? くっ……勤務外で手錠は持っていませんが、取り押さえさせていただきます!」
「いやなんでそうなるッ!? この前大人しく捕まって事情聴取受けてやっただろうが!」
「ん……言われてみれば、確かにそう……いやしかし、疑わしい方を警戒しない理由にはなりません」
「いやだから犯罪なんてやってねえ……。うん、やってねえよ。つぅか落ち着けっての」
ラムロンは宿敵を前にしたかのように興奮している婦警をたしなめると、椅子に座り直しながら今の状況について考える。どうやら婦警はラムロンがここにいることを知らなかったようだ。となると、単純に亜人相談事務所の看板に目をつけてやってきた可能性がある。となれば、彼女は来客だ。ラムロンは逮捕までされた相手を客として扱うことに違和感を覚えつつも、彼女に事務所のソファを示す。
「ったくよぉ……お前、名前は?」
「ルカです。そういうあなたはラムロンさんですね?」
「おう。なんで知って……って、まあ事情聴取の調書とかで嫌でも見てるか」
「ええ。それに、あのエルフの子からもあなたの名前をよく聞きましたから」
「ん……」
ルカが亜人相談事務所を訪れた理由について手早く話してしまおうと思っていたラムロンは、イズミの名前を耳にすると、もっと前に話すべきことを思い出す。自分とリーヴの策で呼び寄せたようなものではあったが、ルカの存在は確かにあの地下VIPルームでの状況を変えるきっかけになった。
「あの時は来てくれて助かった。ありがとな」
「いえ、元は違法建築の摘発に来ただけだったので……。それに、助けを必要としている市民を助けるのは警察として当然の義務です」
「謙遜すんなよ。イズミも、お前にありがとうって言ってたぜ」
「……そうですか。被害者がその後を幸せに過ごせているなら、私はそれで満足です」
言葉ではそう言ったものの、イズミの感謝の言葉を聞いたルカの口元はほころんでいた。ラムロンはそれを目にすると、黙ったまま立ち上がり、来客に飲み物を出そうとコーヒーメーカーをいじり始めた。彼がそうしていると、感傷に浸っていたルカは首を傾げながら当時のことを思い返して口を開く。
「そういえば、ラムロンさんはイズミさんから依頼を受けてあの場所に辿り着いたんですよね?」
「おう、そうだな」
「ふむ……建設会社の方からの密告とほぼ同じタイミングで……」
ルカは自分が例のSMクラブを摘発しに行ったときのことを脳裏に思い浮かべる。警察の摘発と亜人相談事務所が同タイミングで同じ場所に突入し、地下に隠れていた闇を払った。一連の出来事を並べている内に、ルカはこれらが手繰り寄せられた人口の偶然であることを察し、小さく笑う。
「グレイさんが、この街の亜人相談事務所には頼りになる方がいると言っていましたが、どうやら本当のことだったようですね」
「あいつがそんなこと言ってたのか? ……はは、まあいい。でも、あん時のことはマジでただの偶然だったかもしれねえよ?」
「……では、そういうことにしておきましょうか」
コーヒー粉を注ぎ終わり、液体の抽出が始まるとラムロンは席に戻る。同時に、話の方向も従来の方へと引き戻していく。
「そういやお前、グレイの野郎に聞いてウチに来たってことは、何か依頼があんのか?」
「あっ、え、ええ……すっかり忘れちゃってましたね」
自分がこの亜人相談事務所にやってきた目的を思い出すと、ハルカは恥を隠すように頭を軽くかきながらそのわけを話す。
「依頼というよりは、文字通り相談事という感じでして……。職場での人間関係といいますか、そっち系の」
「人間関係? そういうのに困るようには見えねえけど」
「まあ、普段はそうなんですが……少し前、ウチのチームに少し特殊な経歴を持つ方が来まして」
「ほー。そんで?」
「なんというか、気難しい方なんですよね。警戒心が強いって言った方がいいんでしょうか……グレイさんが連れてきた人材ですので、悪い方じゃないんですけど」
「……ん?」
「スキルはものすごいんですよ! 来て早々、監視カメラの脆弱性だったり署内のパソコンのセキュリティを改革したり……。でもちょっとヤンチャしたこともあったみたいで」
「あ~……そいつは」
まるで自分のことを自慢するかのように、ルカは目を輝かせてその人物とやらの来歴と成果を語る。早口に並べられたその情報を聞いている内に、ラムロンはある一人の少女の顔を思い浮かべた。最近警察に入った変な経歴を持つ人物と言えば、一人しかいない。
だが、ラムロンが少女の名前を口にしようとしたその時だ。再び、事務所内にインターホンの音が鳴り響く。来客が重なるなんて珍しいことだと思いながら、ラムロンは立ち上がる。
「気にするな、俺が出る」
「どうも」
来客に備えて腰を上げようとしたルカを手で制止しつつ、ラムロンは玄関に向かった。そして、何の気なしに扉を開く。
「すみません、今ちょっと立て込んでて……えっ、お前……」
そこには、ラムロンが直前まで頭に思い浮かべていた少女、フィスがいた。彼女は驚愕を隠せないでいるラムロンの迎えを前にすると、ふくれっ面を浮かべて吐き捨てるように言う。
「ああ、その……前、ほら……なんか言ってただろ? 亜人の悩みならなんでも解決するって。だから、来てやったっつーかなんつーか……」
モジモジと指を合わせながらフィスはそう言う。どうやら以前あのように別れた手前、素直に頼りたいと言うのが気恥ずかしいようだ。頭上の猫の耳がへにゃりと縮んでいる。ラムロンもラムロンで、突然の再会と奇妙な偶然に目を白黒とさせていた。
だが、二人が顔を合わせてからしばらく何も話せないでいると、事務所内から外の様子をうかがっていたルカがフィスの存在に気付く。すると、彼女は快活さに満ちた跳ねる声を上げ、一瞬の内に沈黙を破壊した。
「あっ、フィスさん! さっきぶりですね!」
「っ……!?」
「ちょうどよかったです。今ラムロンさんと少し話し合いをしてて……」
ラムロンと玄関を挟み、ルカの方から一方的に行われるやり取り。それを受けてようやくルカの存在に気付いたフィスはというと、気恥ずかしさよりも優先する感情を思い出したのか、急に扉を閉めようとした。
しかし、彼女の突然の奇行にはラムロンが反応する。彼は高速で閉まっていく扉を足で止めると、同時にフィスの細腕をガシッと掴んで逃げられないようにした。
「久しぶりだな、フィス。たった今お前のことが話題に出てな。お前も用があるみたいだし、ちょっと上がってけよ」
「うっ、うぅ……これだから人間は……」
フィスは逃げられないと悟ると、肩を落として抵抗を諦めるのだった。
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