第45話 金だけじゃ幸せは掴めない
ステージ裏の従業員専用通用口から混乱を抜け出したダス。彼女は黒服の部下数名に手に持てるだけの金を持たせ、客達に見せていたエレベーターとはまた別のエレベーターを利用して地下を脱出しようと考えていた。
しかし、彼女達が出口の手前の廊下に差し掛かった時だ。飾り気のない通路に声が響く。
「よぉ、随分と焦ってるじゃねえか」
「くっ……お前」
「そんなもん拾いに行ってるから捕まっちまうんだぜ」
ダスと黒服達が振り返って見てみれば、そこにはラムロンが一人で立っていた。残してきた部下達は彼に傷一つ与えられなかったらしい。ダスはその事実に歯噛みしながら、声を張り上げる。
「やれッ!!」
黒服達は指示を受けると、金の詰まっているケースを投げ捨て、ラムロンに襲いかかる。向かってくる敵は四人。
「手がかかるな……」
複数人の敵を前に、ラムロンは一歩も引かなかった。彼は気合を入れるように両の拳を合わせると、一番手近な男から、あらん限りの力でぶん殴る。肉が肉を打つ嫌な音が響いた瞬間、男は意識を刈り取られ、そのまま地面に崩れ落ちる。
「こいつ……ッ!!」
残り三人のうち、二人が距離を取ったまま拳銃を取り出す。それを見たラムロンは、咄嗟に接近戦を仕掛けてきた黒服の首に蹴りを入れる。ぐるんと目を回転させて気絶したその男が倒れるのに合わせ、ラムロンは屈んで彼の体を傘にする。
「構うな、撃てッ!!」
ダスが後ろで喚くが、実際に引き金を引くのは彼女ではない。肝心の拳銃を持った二人の黒服は、撃てなかった。ラムロンはその隙を見逃さず、気絶した黒服をその肩に抱え、盾のようにして二人の方へと突っ込む。突然の行動に黒服二人は対処できない。
「ぬぉッ……!」
ラムロンは二人に接近すると、片方に背負った男を投げつけ、直後、もう一方の黒服に拳を振るった。肉盾がないなら撃つのを躊躇う必要はない、そう黒服が思う隙もなく、彼の腹に重い一撃が入る。呼吸を忘れさせるほどのその一撃は、すぐにも男の意識を抉り取った。
「仕上げ……っと」
ラムロンは気絶した仲間をどかせずに床に倒れている黒服に歩み寄ると、その顔面を遠慮なく踏みつける。若干の水音の混じった打撃音が響くと、そこにはもう戦える黒服は残っていなかった。
「さて、あとはお前だけだな」
ラムロンは思い出したようにダスに目を向ける。彼女はエレベーターの呼び出しボタンを押し、両手に持てる分だけの金を持って逃げようとしている最中だった。部下達が自分を逃す時間も稼げなかったことを知ると、彼女は懐からナイフを取り出し、ラムロンに向けた。
「やめとけよ。一発余計にぶん殴られるだけだぜ?」
「黙れ……」
既に逃げ切れる可能性が薄いことを察しているからか、ダスの言葉には強さがなかった。ラムロンはというと、そんな彼女を見下すことはなく、嘲ることもなく、髪をクシャクシャと掻きながら問いを口にする。
「一つ聞きたいんだが、いいか? まあ答えようが答えまいがどっちでもいいんだけどよ」
ラムロンの声が、客に見せるものではない無機質な廊下で響く。
「結局、こんなクソみたいな商売をしてたのは金のためなのか? この際亜人かどうかは関係ない。他人を傷つけてまで、そんなに金が欲しいか」
「……」
「飯に困ってるわけでもない、寒さを凌ぐ壁も服もある。上のフロアの運営だけでもそこそこ良い暮らしはできるだろうに、どうしてこんなことをする?」
ラムロンはダスの足元に転がる銀のケース達を見て続ける。ケースの中には投げ捨てられた衝撃で口を開き、中に敷き詰められていた欲を纏う紙を吐き出しているものもあった。
「楽しいからよ」
「……楽しい?」
ダスの答えはあまりに単純なものだった。その返答が信じられず、ラムロンは彼女の顔に改めて目をやる。そして、納得した。眼前のダスは、イズミ達の尊厳を踏みにじっていた時に纏っていた、あの純真な笑顔を浮かべていたのだ。
「あのステージの上で、弱者をいたぶるのが。恥と痛みと絶望に濡れたあの顔、どんな不細工な顔も飾ってしまう魔法の化粧だわ。私はアレを見るためにここを作ったのよ。金なんて、二の次だわ。次の餌食を確保するための道具でしかない」
ダスは一歩、ラムロンに歩み寄る。
「あなたも同じじゃない?」
「……どの辺りが」
ラムロンはダスの続きの言葉を何となく想像できていた。彼はつまらなそうに鼻をほじりながら、金で幸せを得ることができない目の前の女の話を聞き続ける。
「私を殴った時、気持ちよかったでしょう。警察を呼ぶことにも成功して、これからブタ箱に入る女だから気前よく殴れるってね」
「否定はしねえけど、それで」
「結局、あなたのやってることと私のやっていることの違いは見栄えだけよ。あなたは私と、何も変わらないわ」
「……はぁ」
「あなたも大分金を持っているようだけど、それを使うことでは幸福になれなかった。だから、自分に言い訳ができる形でいたぶれる相手を探している。違う?」
ダスは囁くように問う。他人の上に立つことでしか幸福を得られない彼女は、この期に及んでも他者を踏みつけにしようとしていた。
「全然違うけど」
ラムロンは白けた顔をして答える。
「確かに金があっても仕方ねーって考えは同じだけどよ。アンタと俺の幸福を感じるプロセスは結構真反対……」
その時だ。ダスがナイフを振り上げる。話すことに意識を集中していたラムロンの反応は一瞬遅れ、顔面を突こうとしてきたナイフが彼の顔を掠める。
「死ねェッ!!!」
奇声を上げながらダスは二発目を繰り出そうとした。しかし、一撃で仕留められなかった時点で彼女の敗北は決まっていた。
ラムロンは体勢を整えると、大きく振りかぶってダスの顔面を拳で打ち抜く。一切の躊躇を置き去りにしたその拳は、ダスの体を後ろのエレベーターまで吹っ飛ばす。
「……よ、よくも女の私を……」
「必要なら男も女も人間も亜人も殴るっつの。人種差別とか馬鹿馬鹿しい」
「ぐっ……ぅ……」
柔肌を殴って嫌な感触を残した拳を懐に仕舞い込み、ラムロンは倒れたダスに背を向けるのだった。
そうして、ちょうど事が終わったその時だ。VIPルームフロアの方に続く廊下から、幾人もの足音と共に人影が現れる。警察だ。先頭にはあの婦警がいる。彼女のそばには無事に保護できたのだろうイズミもいた。
「ラムロンさん! 無事だったんですね!」
「よっ。お前も平気そうで……あん、しん?」
笑顔で再会を喜ぼうとしたその時だ。ラムロンは違和感に気付く。満面の笑みを浮かべるイズミの手首に、何故か手錠がつけられていたのだ。
と、不自然に思ったのも束の間。ガチャリという音が響くと同時に、ラムロンは手首に余計な重みを覚える。見てみれば、例の婦警が彼に手錠をかけていた。
「って、おいいいぃぃィィーーーッッ!!? なんで俺を捕まえてんだ!? ここのオーナーはあの女だぞ!!」
「もちろん分かってます。しかし、あなたも重要参考人ですから」
「だったとしても手錠いらねーだろーがッ!!」
「一応です。あなたがこの子に急に変なことをしないとも限らないので」
婦警はムスッとした顔でイズミとラムロンの間に立つ。どうも初対面の時の印象を引きずり過ぎているようだ。頑なな態度を崩さない彼女の後ろで、イズミはへにゃりと笑って舌を出す。
「説得、失敗しちゃいました。テヘペロ?」
「この……ばっ。すぅ……はぁ」
喉の奥までやってきた暴言を飲み込み、ラムロンは大きくため息をつく。結局、事はうまくいったのだ。後の事情聴取にしてもそんなに悲観することでもない。肝心のイズミはこうも幸せそうにしているのだから、構うこともないはず。
だが、カッコいい最後でなくなってしまったのは明らかだ。ラムロンは肩をガックリと落とすと、天を仰ぎながら心の中で不満をこぼすのだった。
(締まらねぇ~……)
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