第43話 金には思った以上の価値なんてないもんだ

「亜人相談事務所……?」


 ラムロンの唐突な登場にVIPルームには戸惑いが渦巻く。そんな中で、彼はこの場を支配する女、ダスと向かい合う。そして、何の前置きもなく単刀直入に彼女に提案した。


「突然のところ申し訳ないんだけどよぉ、この店は畳んでくれねえか」

「……は? 急に何を言っているんです?」


 段階をいくつも無視した要求に、ダスは思わず目を丸くして問い返す。これから他人を害そうとしていたとは思えないほど純粋な疑念だ。そんな彼女に対し、ラムロンは回りくどく説明する。


「好きな相手を鳴かせたかったり、その相手に鳴かされたかったり、そういう考えがあるのは否定しねえよ。それを赤の他人に向けるのも、まあ分からないでもねえ。でも、ここはやり過ぎだ。どう考えても度を越えてる」


 ダスは一瞬、目の前の男の言葉を飲み込めなかった。意味は理解できる。しかし、自分が上に立つこの場でそのようなことを言う人間がいるのか、とずっと半信半疑を拭いきれずにいた。

 しかし、彼女の目に映るラムロンは真剣そのものだった。それを目の当たりにしたダスは、冗談の類ではないことをようやく察すると、言葉を返す。


「何がどう、やり過ぎであると? 彼らは私の所有物です。このVIPルームで働いている者達は皆、衣食住を私に頼っているのですから。それの対価として多少の傷と労働、見せ物としての価値を頂いてるに過ぎません」

「上のフロアのことを多少って言ってんなら納得してやれねぇでもないが、お前達がこいつらにしてることはただの虐待だ」

「ですから、それの何が問題なのです? あなたがしているのは、他人の玩具の遊び方にケチをつけている駄々っ子と同じことです」

「…………」


 ダスはマスク越しでも一目見て分かるほどの色濃い笑みを浮かべる。頬まで皺を刻むように口角を吊り上げ、鼻を大きくし、目を輝かせる彼女はまるで子供のようだった。


「自分の金の面倒を見切れない者達を生かしてやっているのです。彼らは私がいなければ死んでいたでしょう。あるいは生き延びていたかもしれませんが、まともな生活はできていないでしょうね。それを、この程度で済ませてやっているのです。体でしか恩を返せないから、こうなっているのですよ。言わば彼らの自業自得です」

「ふ~ん。ああ、そうなんだ。まあ、言ってることは分からないでもないけど」


 話しても無駄そうだと考えたラムロンは、もうまともに言葉を返そうとはしなかった。その代わりに、彼の方から改めて提案をする。


「じゃあ例えば、俺がアンタを買ったら何してもいいってことになるのかい?」

「あなたごときが私を買えるとは思えませんが」

「イチイチ面倒臭えなぁ。じゃ、聞き方を変えるぜ。お前、一発いくらで殴らせてくれるよ」

「ふっ……く、くく」

(調子に乗った成金の偽善者が……!)


 ラムロンの問いに、ダスは思わず吹き出した。この場にいるからには、ラムロンがある程度の金を持っていることは彼女にも察しがついていた。その上で、絶対に即答できない値段を口にしてやろう、彼女はそう考えた。自分に自信を持って正義を振りかざす男の顔が曇るのはさぞ面白かろうと、ダスは口を歪ませる。


「く、クク……では、一発1000万としましょうか」

「わーお、とってもリーズナブル! それじゃあ……」


 ラムロンはどこに隠し持っていたのか、銀の大きいケースを取り出す。そして、その場でケースを乱暴に開け放った。

 同時に、ステージ上に金が舞う。客達も、黒服も、ダスも、一呼吸の間それに一切の注意を奪われた。その瞬間、ラムロンは動き出す。


「1000万パンチッ!!」

「ぐぶッ!」


 ラムロンは大きく振りかぶると、ダスの顔面を正面からぶん殴った。彼女の黒いマスクが剥がれ落ち、手にしていたナイフが転げ落ちる。しかし、ラムロンはそれに構うことなく二発目を構えた。


「2000万キック!!!」

「ガッ、は……!!」


 ラムロンの蹴りはダスの鳩尾を捉え、彼女の体を壁に叩きつける。前後から強い圧を受けたダスは、一瞬呼吸を忘れ、唾液を口から飛ばす。


「貴様、オーナーに何をしている!?」


 金の舞いに目を奪われていた黒服達が、ようやく正気を取り戻し、崩れ落ちるダスを庇うように立った。そして、彼らはスタンガンなど各々の武器を取り出し、ラムロンに敵意の目を向ける。だが、この場の注目を集めるラムロンは同様の感情を黒服達に返すことはせず、冗談めかして笑ってみせた。


「おい、他人様の玩具の使い方にケチつけんじゃねーよ。お前らの飼い主が言ってたことじゃねえか。あーいや、蹴りの値段を決めてなかったな。そこはワリィ。2000万じゃ安かったか?」


 開け放ったケースの近くに立ち、ラムロンは膝をついているダスを見下ろした。


「貴様ッ!! よくもこの私に……!」

「テメェは……いや、どいつもこいつも、金の価値を高く見積もり過ぎだ」

「なんだとォ……!?」


 ラムロンは自分で開けたケースを足で乱暴に閉めると、まだ十分に金が残っているそれを手に持つ。彼の腕に返ってくる感触は、人の運命を左右しているとは思えないほど軽いものだった。


「金は他人を傷つけていい理由にはならねえし、増して他人の権利を踏みにじっていい理由にもならねえ。今回はテメェが1000万で殴ってくれっつーから付き合ったけどよ。そもそも……」


 ラムロンはケースを自分の肩に乗せ、ダスに思い切り舌を出して見せつけた。


「テメェみたいなブス、一銭の価値もねえんだよ」

「貴様ァァ……ッ!!!」

「ああそれと」


 ラムロンは思い出したように後ろを振り向く。彼の背後には、まだ拘束されたままのイズミとその彼がいた。ラムロンはその二人の間にケースを投げると、イズミに分かりやすく不器用なウインクをする。


「昨日のプレイめっちゃ気持ち良かったわ。それチップな」

「えっ!? えと……ありがとうございます?」

「って、ことだからよ」


 ラムロンは改めてダスを振り返る。彼女は、先ほどまで余裕ぶっていたのが嘘のように怒り狂っていた。黒服に両肩を支えられ、鼻と口から血を流しているその顔には憎悪が張り付いている。今の彼女ならば、人を殺すことをも厭わないだろう。そんな怪物を前に、怯えることなくラムロンは言い放った。


「テメェの理屈でも、あいつらはもうお前の玩具じゃねえ!!」

「……もう、どうでもいい。奴を殺せッ!!!」


 ダスの指示で黒服達がラムロンに向かっていく。だが、その時だ。


「警察です! 一同、調査及び取り調べにご協力をお願いします!!」


 エレベーターの前には、いつの間にか制服を身に纏った警察達がいた。

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