第42話 ヒーローは遅れてやってくるけど別に遅れたいわけじゃない

 翌日。その日も、何十人という刺激的な見せ物を楽しもうとする上客達でVIPルームは賑わっていた。彼らは隣り合う他の客と共に、これから行われる凄惨なショーに対する期待を語り合いながら酒を口にする。透き通る黄金のような色合いの酒も、血のように暗い色の酒も、その場においては駄酒に相違ないだろう。最も、他人の血を肴とし、悲鳴を良き背景音楽と思えるのなら話は別だが。

 VIPルームの開放からしばらく経ち、客達が集まってきた頃合い。彼らが注目していなかった空のステージに、ダスが現れる。彼女の後ろには、手足を拘束したエルフの男を引きずる黒服が続いた。エルフの男は既に暴行を加えられており、至る所から血を流している。もう抵抗する意欲も残っていないのか、床に引きずられてもなすがままだ。


「離してくださいッ!! どうして、どうしてこんなことができるんですかッ!!?」


 更にその後ろには、何故かイズミまでもがいた。彼女は拘束を受けながらも抵抗の言葉を叫ぶ。しかし、手足が不自由な状態で抗えるわけはない。彼女は黒服らの手によって、エルフの男が取り押さえられているのがよく見える場所に置かれた。


 そして何より、その場にラムロンはいなかった。


「皆様お待たせいたしました。今回の演目、エルフの削ぎ耳を行います」


 仰々しい身振り手振りと共に、ダスが声を張る。彼女の登壇に黒い客達は色めき立ち、拍手をして迎えた。それに恭しいお辞儀で以って返すと、ダスはエルフの男を指し示してゆっくりと語り出す。


「彼らは数年前に故郷を失い、仲間と共に居場所を失っていたところを私が保護いたしました。そうなれば当然、彼らの存在はまるまるその全てが私の所有物……のはずなのですが」


 黒服がダスに刃物を手渡す。目に痛い装飾がついた、振り回すのには向かないナイフだ。ダスはその刃先をエルフの男に向けると、その肩を浅く切り裂く。


「やめてッ!!」


 イズミは拘束具が自分の手首に食い込むのにも構わず、悲鳴をあげた。ずっとそうしていたためか、彼女の手首足首は既に真っ赤になっていた。

 抑えられた弱者が吠えるのを耳にすると、客達は耳の奥に直接触れるような気色の悪い笑い声をあげる。彼らに応えるように、ダスは血のついたナイフをイズミに向ける。


「あろうことか、彼は同じく私の所有物であるこのイズミを逃がそうとしたのです。厳罰に値します」

「罰なら私が受けます!! ですから……」


 イズミの言葉は、フロア全体に響いていた。しかし、そこにいる誰の耳にも届いていなかった。


「このエルフの証である耳を、私の手で削ぎ落とします」


 ダスは刃を男の耳に置く。


「クク……懇ろな間だったのでしょうか。彼の苦悶の様も見所ですが、彼女の泣き叫ぶ声にもご注目ください」

「やめて……どうして、こんなことができるの……」


 最早、大声で抗することもままならず、イズミは搾り出すような声を上げた。そんな彼女をダスは愛おしそうに見つめ、歩み寄る。


「どうしてと聞きましたが、分からないのですか? あなた方がこんな目に遭っている理由が」

「ぁ……わたし、たちは……エルフだから」

「く、クク……違います」


 ダスはイズミの顎を指で持ち上げ、静かに囁く。


「私はあなた達を差別なんてしてません。ただ、都合がいいから……選んだだけです」

「そ、そんな……!」

「あなた達がこうなっているのは、単に、抵抗できないからです。金か力を持っていれば、目をつけられずに済んだのに。哀れな子」


 ダスは空いた手でイズミの腹を撫でる。ダスのその手はそのまま、イズミの胸、首を伝い、唇に置かれた。そして、彼女はイズミに声を発させないまま、その尖った耳に小さく囁く。


「今度はあの男の前で、あなたを犯させます」

「……ッ!!」


 一瞬、イズミの体が大きく震えた。恐怖のためだ。それ以外には何もない、一点の曇りもない恐れ。それを目にしたダスは、恍惚とした熱のある表情を浮かべ、夢見心地な声を出す。


「あぁ……ひどい子ね。今まさに目の前で大切な人が傷つけられそうになっているのに、自分の心配をするなんて」

「ッ……く、うぅッ」


 当然の反射だ。内心みんな、他人の被害よりも自分の被害の方に意識を向ける。それが恋人だったとしてもだ。そして、イズミもそれは変わらなかった。それだけのことを、ダスを嘲って笑う。その狂気的な笑みを前に、もうイズミは何を言うこともできなかった。


「さて……お待たせしました。では、始めましょうか」


 ダスはイズミをひとしきり侮辱すると、彼女に背を向けた。そうして、拘束したエルフの男へと近づいていく。手には血に染まったナイフを持って。

 離れていくその狂人の背を見ながら、イズミは心の底から絶望していた。自分達の置かれた状況にも、他人に助けを求めることにも。


(ラムロンさん。結局、無理だったの? だったら……期待なんてさせないでよ)


 しかし、それでも祈ってしまう。


(誰か助けて……!)


 その時だ。


「ちょおっと待ったあああぁぁぁァァーーーーッッ!!!」


 くぐもった声が、VIPルームに響く。客達、黒服、そしてダスまでも、その声がどこから聞こえたのかと辺りを見回す。そして、その答えはすぐに見つかった。

 エレベーターだ。どうやら、上から誰か降りてきたらしい。その場にいる者達の注目が、その一点に集まったその時だ。ガシャンという乱暴な音と共にエレベーターの扉が開かれると、中から一人の男が飛び出してきた。その男は、客達がひしめき合っているのを押し退け、ステージに飛び乗る。


「何者ですか……?」


 仕事を邪魔されたダスは不愉快そうに眉を寄せて問う。しかし、男は彼女の問いには答えず、依頼主の方を振り向いた。


「待たせちまったな、悪い」

「あぁ……ら、ラムロンさん……!」


 昨日、プレイルームで見せたものと全く変わらないラムロンの笑み。それを見たイズミは、心の底からの安息に大粒の涙をこぼした。


「何者かと聞いているのです!」


 依頼主の恐怖と不安を一瞥で拭ったラムロンは、改めて、この場を支配している女に向かい合う。


「ラムロン、亜人相談事務所のラムロンだ」

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