第36話 善意って特に理由なかったりもする

「それで、具体的にはどういう依頼だ」


 イズミを落ち着かせて再びソファに座らせると、ちょうどコーヒーの湯気が主張を弱めた。口に含むには最適な温度となったそれをすすりながら、ラムロンは質問を投げかける。イズミは、テーブルの上で指を忙しなく動かしながら答える。


「その、まずなんですけど……彼氏も、SMクラブで働いてて」

「……え? 男だよな。ボーイってことか?」


 まず、という言葉から出てくるとは思えないインパクトだ。ラムロンは自分の耳を疑いつつも、イズミの話を聞き続ける。


「いや、そういうのじゃなくて。その……」

「えっ……あっふーん。男だけかと思ってたけど、女にもそりゃそういう奴はいるよな」

「そういうのでも、なくて」


 イズミはラムロンの言葉を次々と否定していく。自分から多くを語らないままでいる彼女に、痺れを切らしたラムロンは前のめりになって単刀直入に問う。


「要領を得ないな。つまりどういうことなんだ」

「…………」


 返ってくるのはやはり、沈黙だった。窓から差し込む青い陽光に、チカチカと頭上で点滅する灯り。これから世界が起きる時間になるとは思えない空気が、そこには広がっていた。

 せめて姿から何かを探ろうと、ラムロンはイズミを改めて観察する。エルフ特有の尖った耳、顔にはそれ以外に目につくものはない。そのまま、ラムロンは視線を少し下にやった。その時に、ようやく気がつく。


(こいつは……)


 青アザだ。袖から露出している腕には、まるで水にインクを溶かした時のムラのような、淡い色のアザがあった。その先にある手は硬く握られている。骨の形がハッキリと見えるほど、強く。


(エルフか。亜人の中でも特に差別の色合いが強い。妙な労働環境に置かれていたとしても、おかしくはないか)


 イズミの体の傷。そして彼女が生まれ持ったエルフという種族。それらを俯瞰したラムロンは、一つの考えに至った。


「あーなんだか、鞭でぶたれたい気分になってきたな。イズミだったか、お前が働いてるクラブってどこだ、教えてくれよ」

「え、えと……それは」


 ラムロンの考えとは、自分の目でイズミの置かれた現状を確かめることだ。イズミから積極的な協力を得られない、あるいは彼女がそれを踏み出すことができないような状況なら、自分から動くしかないという判断だろう。


「行って見てみたいんだ。頼むよ」

「その……では」


 ラムロンの意図を知ってか知らずか、イズミは懐から名刺を取り出す。いかにも風俗店らしい刺激的な紫色で印刷されたそれには、彼女が勤めているのだろうSMクラブの連絡先と所在が記されていた。


「なるほどね。分かった、行ってみるよ」

「あ、あの……依頼は」

「臨時休業だ」


 呆然とするイズミに、ラムロンは背を向けた。そして、彼なりの不器用な言葉で告げる。


「これからすることは、俺が趣味でやることだ。好奇心で深い所の何かを知ったとしても、そいつは俺の責任。口止めされていた誰かが口外したからじゃない。お前も、ここに来たことは忘れちまえばいい」


 素直に自分の意思を形にできない不出来な言葉ではあったが、イズミはその口ぶりにラムロンの意図を見る。しかし、温情を受けた彼女の顔にあったのは感謝ではなかった。そこにあったのは、不安だ。


「わざわざ訪ねてきて、申し訳ないのですが……危険、ですよ。もしかしたら、命を落とすかも。それでも、踏み込んで……くださるのですか」

「ああ」

「っ……!」


 想像もしていなかったような早さで、ラムロンの返事が返ってくる。頼もしいのだか、考えなしなのか。本来疑うのはそういうところのはずだが、イズミは違った。


「どうして、見ず知らずの私なんかにそこまで……」


 思えば、これまでもそうだった。何のリターンもないのに、何故ラムロンは他人を助けるのか。これまでの依頼人が思いはしたものの口にはしなかった問いを、イズミが投げかける。


「ウチは亜人相談事務所、だからな」


 ラムロンは背を見せたまま、後ろにいるイズミに親指を立てた。

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