亜人相談事務所はここにあり
第35話 朝に来る仕事の連絡はマジでクソ
空が青白く光を持たない朝の時間。早くから活動する者もまだ起き始めてはいないだろうというその頃合いに、人気のない街を走る少女がいた。フードをかぶった彼女はとある場所に辿り着くと、自分の目的を改めて確認するように、目の前の看板を見上げた。
「ここが、亜人相談事務所……」
でかい七文字で通りに自らの存在を強く主張している事務所。その名前をしかと口にして確認すると、少女は通りから一歩進み出て事務所の扉の前に立つ。そして、恐る恐るそのドアをノックした。
返事は返ってこない。時間も時間、起きていないかもしれない。そう考えた少女は、ドアを再び、今度は強めにノックする。
やはりリアクションはなかった。時間にして朝の四時を回ったくらい。普通なら自分の押しかけが不当であったと諦めるだろう。しかし、少女は屈さなかった。
「あのッ!! ここが亜人相談事務所であってますか!?」
朝の空気をしっかり吸い込んで、少女は大きい声を張り上げる。瞬間、事務所の中から何か重たいものが倒れたような音が聞こえてきた。
「んっだよこんな時間に!! いって、うぉ……足の小指が……!」
どうやら目の前の事務所で寝ていたらしい。不安定な場所で睡眠をとっていたのだろう。少女の声に驚いて体勢を崩したようだ。痛みに悶える情けない男の悲鳴が中から聞こえてくる。
「依頼があるんです、中に入れてくれませんか!?」
「あぁん!? こんな時間になんだってんだヨォ……チッ、開いてるから入ってくれ」
ブツブツと文句を垂れながらも、内部の人物は少女の入室を許可する。それに応じて、彼女もドアノブに手をかけた。
中の事務所には、いかにもなソファが二対とその間に背の低いテーブル。奥の所長席にはヨレヨレの服を纏った男、ラムロンが座っていた。
「むにゃ……ああ、そこに座ってくれ」
「ありがとうございます、失礼しますね」
ラムロンは目をこすりながら出入り口で立ち尽くしていた少女にソファを示す。そして、それとなく彼女の身なりを見回した。露出している手足に亜人らしい毛皮や鱗はない。フードに覆われた顔にも、そういうものは見当たらなかった。
「んで、依頼だよな?」
「は、はい」
あまりにも非常識な訪問に対して追求することはせず、ラムロンは欠伸を噛み殺しながら話を進めていく。
「見たところ人間だけど、知り合いの件での相談ってことで合ってるか?」
「……そ、そうですね」
「名前は?」
「い、イズミっていいます」
「そうか。俺はラムロン、よろしくな」
少女イズミは目線を逸らし、フードを深く被り直しながら答えた。その様子を目を細めて見つめながら、ラムロンは問いを重ねる。
「それで、相談の内容は」
「あ、えと、その……どこからお話ししたらいいか」
「どこからでも、ゆっくりで構わない。あいにく、時間はたっぷりとあるからな」
こんな時間に叩き起こされた、という皮肉を込めてラムロンはそう口にする。しかし、イズミがその言葉の真意に気づくことはなかった。
「…………」
そのまま、イズミはしばらくの間フリーズしていた。自分の依頼をどう説明しようかと迷っているのだろうか。ラムロンは彼女を急かすことはなく、来客と自分用にコーヒーを用意しようと立ち上がった。
そして、ラムロンがコーヒーメーカーに手を伸ばしたその時だ。イズミが一気に切り出す。
「私、SMクラブで働いてるんです!!」
「えっ」
寝ぼけた頭がスーッと冷めていくような、唐突な暴露。一体何を言っているのかと、ラムロンは目をパチパチとしばたたく。
沈黙。コーヒーメーカーの、よく聞くと下品にも思える水音だけが事務所には響いていた。やがて、完成を告げる電子音が流れる。それでようやく正気に戻ったラムロンは、震える手でコーヒーをコップに注ぎながら言葉を返す。
「あっ、そ、そう……うん。お兄さん、仕事で差別したりはしないから、安心してよ。うん、全然動揺してないから」
「ど、どうも」
ラムロンは震える手でイズミの前にコーヒーを差し出す。彼も彼で、プルプルと震えた手で温かいコーヒーを口に運んだ
「……それで、肝心の内容は?」
「はい、その……私、付き合ってる人がいるんですけど」
「ブフーッ!!!」
衝撃の一言に、ラムロンは口からコーヒーを吹き出す。朝っぱらからこんな、脳を直に直接ぶん殴られるような刺激を受けた彼は、自分の事務所が汚れたのには構わず早口で語り始める。
「なんていうか、その、う~ん。お兄さん、感心しないなぁ。彼氏がいるっていうのにそんなところで働くのは」
「はい、すみません」
「彼氏さんは知ってるの? 知ってて許してるってんならまあ、オタクらの問題ですから口出しはしませんけどねぇ。お兄さんとしてはもし、彼女がSMクラブで働いてるなんてなったらねぇ」
厄介なオジサンのような語り口。それを聞いているイズミの顔には、だんだんと不安の曇りが浮かび始めていた。そして、それが臨界点を超すと、
「迷惑でしたよね。やっぱり大丈夫ですッ!」
コーヒーにもまともに手をつけずに立ち上がり、事務所を飛び出そうとした。
「いやちょ、話は聞くから……!」
非常識なファーストコンタクトだったとはいえ、大切な依頼人を自分の不注意で追い出してしまいそうになったラムロンは慌ててイズミの背に手を伸ばす。しかし、彼の手が掴んだのは彼女の顔を覆うフードだった。
「あっ——!」
瞬間、イズミが息の詰まったような悲鳴を上げる。露わになった彼女の頭部。ラムロンの目に入ったのは、彼女の薄い金色の髪と、糸束のようなそれの隙間からのぞく耳だ。
「お前」
その耳は先端が尖っていた。人間の耳を無理矢理に鋭角の三角に収めたようなその耳は、ある亜人に特有のものだ。亜人の専門家であるラムロンは、それにすぐ気がつくと同時に、口を静かに開いた。
「エルフか」
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