第3話 母娘
放射性物質除去技術者養成センターの出入り口へ向かうアオイ。……廊下がひどく長く感じた。母親が人間に似た人間そっくりの生き物を創り、それをニュータイプとおだてて
正面玄関のガラス扉の先は漆黒の闇だった。そこに踏み出すのは躊躇われた。その場にたたずみ孤独を感じた。母を失った気がした。
「どうしました?」
男性の声で背筋に電流が走る。逃げ出したい思い。だができなかった。扉の向こうの闇は、ふいに飛び出すには恐ろしすぎたし、声をかけた相手を無視できない教育を祖父母から受けてきた。
振り返ると、頭髪が薄い品のある中年、いや、アオイから見れば老人がいた。
「あの……」
何を言えばいいのか、わからなかった。
「千坂博士のお嬢さんだね?」
ここでは母を知らない人はいないらしい。以前なら誇らしい思いを味わったろう。けれど今は恥ずかしかった。あんな研究をしている母だから。
「
岩城は、目尻を下げてアオイの心を和らげるように話した。
「父を御存じなのですか?」
「いや、話したことはないのです。……お母様やアオイさんと会ったのは、千坂氏の葬式の時でした。あの頃は膝に乗るような子供だったが、美しくなられた。……あ、セクハラではないですよ。事実を申し上げている。……なのに、怖い顔をしている。お母様と何かあったのかな?」
言われて、彼に会った記憶が蘇った。当時住んでいた農家住宅の光景と僧侶のあげる読経、……あの時の父の遺影は今も仏壇と共にある。破天荒な母だが、父を
「そうでした。薄っすら記憶があります。父の葬儀では……」お世話になったと言いかけて言葉をのんだ。あの時、目の前の男性ともうひとり男性がいて、母を、それから祖父母を困らせていたような記憶が戻ったからだ。あの時、岩城の頭髪はもう少し豊かだった、とつまらないことまで思い出した。
「……いえ。別に何も……」
話を戻したが、挙動不審に思われたろうか?
「何もないと言うのは、何かがあった人ですよ。ちょっとこちらにいらっしゃい。コーヒーでも飲みましょう」
返事も聞かずに岩城が無人の喫茶コーナーに向かって歩き始めた。アオイは付いて行くしかなかった。
「この施設には、一般人は入れないのですよ」
岩城がマシンのボタンを押してカップにコーヒーを注ぐ。それをアオイの前に置き、それから自分の分を注いだ。
「私、受付でも止められませんでした」
彼に
「あなたが博士の娘さんだからですよ。いつでも入れるように、事前に手続きをしておいたのでしょう」
「母が……」
「あなたに何かを見せたかったのかもしれません。まぁ、何もない施設ですがね」
岩城が何もないホールに視線を移す。アオイはその視線を追った。確かに物もなければ人もいない。
「ここは、何をする施設なのですか?」
母の話で想像はついていたが確かめずにいられなかった。
「名称の通りですよ。放射性物質を除去する技術者を養成する施設です。そのための機械や道具がそろっている」
「母が、それをするのですか?」
「千坂博士は、技術者の生みの親ですよ。そうしてもらうために、私が無理を言って来ていただいた」
「岩城さんが?」
「ええ」
岩城の強い視線がアオイを射た。
「父の葬儀の時ですね?」
母と祖父母が困っていたのは、そのためだろうと推理した。
「ええ。……お母様は、千坂亮治氏を殺したものに戦いを挑んでいるのです」
「エッ!」
頭を殴られたような気がした。父は4月戦争に巻き込まれて死んだと母からも祖父母からも聞いていた。それが違うというのだろうか?
「父を殺した者……。誰ですか?」
「人ではありません。核ですよ」
「核……」
そういうことか。……アオイは、彼が話そうとしていることにおおよその見当がついた。
「お父様が3.11で被爆し、その後、4月戦争の核攻撃で亡くなったことは、ご存じなのでしょう?」
アオイは、コクリとうなずいた。
「その核が、日本の至る所に転がっていて未だ放置されている。それを処分するために、千坂博士は技術者を創った」
「あの子供たちのことですね?」
「会ったのですな。元気な子供たちでしょう」
彼の目尻が下がった。
「可哀そうな子供たちだと思いました……」
「そうですか。……そう、見えましたか……」
「ハイ」
「それが、お母様とうまく話せなかった理由だね」
「ハイ」
彼が大きく息を吸い、間をおいて話し始める。
「……あの子供たちを見たら、日本人の99%が非人道的だと言うだろう。しかし、彼らの身体はチサカ細胞でできている。人間の1000倍の放射線に耐えられるのだよ。……彼らを否定したら、聖域をかかえた日本は、そう遠くないうちに滅びるのかもしれない。いや、日本だけじゃない。いずれ核の被害は地球全域に拡散するかもしれない。それを知っても、あなたはじっと滅びるのを待つべきだと思うかい?」
生き残るために悪に手を染めるのか、悪を拒絶して死を受け入れるのか?……アオイは考えた。
正解が見つからない。
「私……、わかりません」
「そう。わからない。……そう思いながら答えを出さず、世界は100年もの間、核を使い続けてきた……」
岩城は僅かばかりのコーヒーを飲みほすと、ホッと息を吐いた。
「……今のところ、ニュータイプは法律の外側の存在です。知っていながら知らないふりをする政治家やメディアもある。おそらく、聖域の問題が解決した後、世間は非人道的だとニュータイプを問題視し、博士や私の追及を始めるだろう。……何とも勝手なものだが、それが人間なのです」
「そのことを母は?」
「もちろん知っているよ。その上で、我々の仕事に協力してくださった。頭が下がります。私たちは、数十億の人類を救うために、あなたが言う可哀そうな子供たちを数十名育てている」
彼はそう言って、実際、頭を下げた。アオイに詫びるかのように……。
岩城の薄い頭頂部を見ると、アオイの胸がムズムズした。
「頭を上げてください」
「今日は、なぜここに?」
頭を上げた岩城が話しを変えた。
「進路の件を、相談しようと思ったのです」
「ほう。進路ねぇ。羨ましい」
彼が微笑した。
「え?」
「若者には色々な道を選ぶ可能性がある。その先には夢がある。実に、うらやましいことですよ」
「ハァ……」
アオイには未来に夢があるとは思えなかった。4月戦争の後遺症もあって、日本経済は青息吐息。世界は文明化しながら、夢を食いつぶしているように見える。岩城自身、人類が滅ぶみたいなことを言ったではないか。……不信と反発の視線が岩城の全身をなでた。
「あの子供たちにだって未来はある。私には絶望しか見せられないけれども、いつかきっと、彼ら自身の手で夢を見つけ出すに違いない。生きているのだからね」
彼は何かを確信しているように話した。
あの子たちにも夢がある?……考えた。脳裏に浮かんだのは母の顔だった。
「それで、決まりましたか?」
「いえ……」
「相談する前に、喧嘩をしてしまいましたか?」
岩城が声を上げて笑うので、アオイはむっとした。
「失礼。もう一度話していらっしゃい。お母様も悩んでおられるはずだ」
「悩む?」
「親は、いつでも子どもと同じ悩みを持っているものだよ」
「母の場合は違うと思います。私や家のことには関心のない人ですから」
「家族に感心のない人が、日本のことを考えたりはしないものですよ。それはこの年寄りが保証しましょう」
岩城につられるようにアオイが立つと、そっと肩を押されるのを感じた。
アオイは来たばかりの廊下を戻った。会議室のドアを開けると、母親の背中がそこにあった。窓から闇を見ているようだ。それで、アオイは決心した。
「ママ……」
朱音が振り返った。
「まだ、ここにいたの……」
「もっと、ニュータイプの話を聞かせて」
「だめよ。国家機密だもの。娘とはいえ、アオイは部外者なのよ」
「私、ママと同じ仕事をするわ」
「大変な仕事よ」
「私にもママの苦悩の一部を分けて」
「ダメよ。そんなつもりでここに入れたんじゃないの」
表情を曇らせた朱音が首を振った。
「パパを私に取られちゃうから?」
アオイは、母が他界した夫とずっと二人三脚で歩んでいると感じていた。喜びも苦しみも、ずっと共有していたのに違いないと。
「アオイったら……」
朱音がそっとアオイを胸に抱く。その身長はアオイより低かった。
「ママに抱きしめられたのは久しぶりだわ」
「そうね。ごめんなさい」
「子供の頃は、沢山、こうされたわね。思い出したわ」
アオイの胸の空洞が古い記憶で埋まった。
「学校に進路希望を出さないといけないのよ。ママの承認をもらうのを忘れていたわ」
アオイはタブレットを広げると、志望校の空欄に母親の卒業した大学名をインプットした。
「ママ、認証をお願いね」
「大丈夫なのね?」
「うん。ママの子供だもの」
そう応じたものの、学力には不安があった。母親の仕事も理解したとは言えないし、あんな子供たちを作ったことを
朱音が認証ボタンに触れる。空白に【承認】の青い文字が浮いた。
ニュータイプ ――2041―― 明日乃たまご @tamago-asuno
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