雨天×紫陽花ふにふに列車

寛ぎ鯛

浅草×パリス~雨天・紫陽花ふにふに列車~

 せっかくの旅行だというのに、空はあいにくの雨模様。今も頻りに雨が降り続いている。

 ここは千葉県の東の端、銚子市にある銚子駅だ。パリスと熊次郎は岬の展望台を目指して小旅行にやってきていた。

 銚子駅からローカル路線の銚子電鉄に乗り換えて、間もなく電車は出発しようとしているところだった。レトロな雰囲気のある車体と古びているが妙にふわふわしてるソファに腰を掛け、濡れた傘の置き場に悩む煩わしさを抱えて、二人は出発を待っていた。

 熊次郎は、悪天候が理由かご機嫌斜めなパリスを横目に、気の利いた話題も思いつかず車窓から外の様子を眺めているばかりだった。流れる雨粒が窓を伝い、大きな塊になっていく様子をぼんやり眺めているうちにうつらうつらとし始めていた。


 「ぬれ煎餅はいかがですか~!!」


 突然の元気な声に眠気が吹っ飛び、熊次郎は声のする方を見た。すると、籠にぬれ煎餅なるものがたくさん入った袋を持った売り子が車内を練り歩きながら販促していたのだった。さすがローカル路線、こんなサービスがあるんだな、と少し驚きながら熊次郎は売り子の元へ向かい件の煎餅を一袋購入した。


 「銚子名物なんですよ~!お買い上げありがとうございます!!」


 満面の笑みとともにぬれ煎餅なるものを手渡され、こんな曇天の最中でもこんな笑顔を向けてくれるなんて、素敵な売り子の人たちだなと感心するばかりだった。

 席に戻るとパリスは顎に手を当てて、もう片方の手でスマートフォンを操作していた。座席にもたれかかりながら一見だらしないようなも見える格好だが、妙に絵になる姿勢で、物憂げにかたかたと指を動かしている。


熊「これ、さっき大声で売りに来てたやつ、買ってきた。」

パ「あぁ、ぬれ煎餅だね。」

熊「なんだ、知ってるのか?『ぬれ煎餅』。何なのか知らなかったから買ってみた。

  食うか?」

パ「今は大丈夫だよ。」


 パリスは熊次郎の差し出したぬれ煎餅をさらりと遠慮し、がさがさと袋を開けようとしている熊次郎を眺めていた。はた目から見るとガサツそうな大男が、見た目通り力尽くで包装袋を突破しようとしている。時折、パリスは熊次郎にいたずらをしたくなる性分なのだが、でかい手で小さい袋に苦戦する熊次郎を見ながら、ふふっと笑みが零れた。


パ「貸してみなよ。そんなに乱暴にして、飛び散ったらどうするんだい?」

熊「でも、開けずれぇんだよ、これ!なかなかかたくって!」


 熊次郎は少々むきになっている様子で、なお袋をがさがさし続けていた。パリスは大抵こういう時、一度は助け舟を出すがその後は悪戦苦闘する様子を眺めて楽しむことにしている。今日は最悪な事態にならずに決着がつきそうだ。


熊「おっ!やっと開いた開いた!」


 熊次郎は嬉しそうに中から個包装になったぬれ煎餅を取り出した。


熊「見た目は普通の煎餅だな。「ぬれ」ってなんだ?方言か?」


 そう言うや否や、車掌の出発の掛け声とともに列車は動き出した。

 小雨がなおぱらつく中、列車はのんびりと進んでいく。こののんびりとした雰囲気が静かな周りの環境に合っていてとても趣深い雰囲気を醸し出していた。

 熊次郎は今の今まで悪戦苦闘を繰り広げ、やっとの思いで打ち勝ったぬれ煎餅とすっかり和解して、今は移り変わる景色を眺めていた。


パ「それ、食べないのかい?」


 パリスは少し含みのある微笑を浮かべながら、熊次郎が大切そうに抱えているぬれ煎餅の小袋を指差した。


熊「お、おう忘れてた!ぬれ煎餅、ぬれ煎餅~っと」


 熊次郎はそう言うと、今度はスムーズに小袋の開封に成功し、ぬれ煎餅を口に運んだ。


熊「んぇ?なんかふにふにしてんなぁこれ。」

パ「ぬれ煎餅って、そういうもんだよ。」

熊「俺はやっぱ煎餅っていったら、もっとパリッとしてる食感のがi」


 パリスはぬれ煎餅を咥えながら食感について不満をぶーたれてる熊次郎の口元に一気に近づき、煎餅の反対側を唇が触れるギリギリのラインまで迫り、そのまま持って行ってしまった。

 熊次郎は突然のパリスの行動に驚きながらも赤面し、したり顔でこちらを見るパリスを一瞥した。


熊「な、なにを?!」


 突然の状況に、あたふたしている熊次郎を尻目に


パ「ふにふには嫌いかい?」


 とパリスは満足気だ。なお赤面している熊次郎をパリスは直視していた。

 さっきとは打って変わって上品にぬれ煎餅を小さくちぎって口に運んでいる。


熊「別に…嫌いじゃないけど…」


 熊次郎は目を背けながら小声でぼそっと呟いた。

 パリスは当然聞こえていたが、あえて雑踏に紛れて聞こえなかった、というふりをして赤面したまま次のぬれ煎餅を急いで開封しようとする熊次郎を眺めていた。


 列車は木々が生い茂る区間を走っていた。そしてそこを抜けると沿線には一面に色とりどりの紫陽花が咲き乱れていた。いつしか雨もあがって雲間から日の光がうっすらと差し込んでおり、紫陽花の受けた雨の露が光を反射してより一層グラデーションが際立っていた。それは雨の日だからこその絶景だった。

 列車は間もなく犬吠駅に到着する頃だった。


 パリスの悪戯心で幕を開けた銚子の小旅行は、列車を降りてから天気の好転に恵まれ、涼やかな旅となった。帰り道、あんなに不満を言っていたぬれ煎餅を熊次郎がお土産に大量買いしていたのはまた別のお話。

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雨天×紫陽花ふにふに列車 寛ぎ鯛 @kutsurogi_bream

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