第4話 写真店の主人

 ちーはエスカレーターを下りたところで待っていてくれた。

 圭以子けいこが行くあてもなく家を出て来たことを言うと、ちー子は圭以子をホテルの角のステーキ屋さんに誘ってくれた。

 「井岩いいわ家のお嬢さんの外食にはもの足りないかも知れないけど」

とちー子が言って笑うので、圭以子は小声で

「あんまり井岩家井岩家言わないで」

と注意する。ところがちー子は鼻から息を漏らしてふふっと笑った。

 「いま、ここのホテルにいるひとぜんぶ合わせて、そのなかに、井岩家って言われてわかるひと、何人いると思う? たぶんわたし一人だけだよ」

とおもしろそうに言って、また、笑う。

 圭以子も気づいた。

 地元限定の名家、井岩家。

 ここはターミナル駅の駅前になり、地元限定のひとよりもほかから来たひとが圧倒的に多い。

 もう、ここは「井岩さんの嬢ちゃん」ときいただけで農家の夫婦が逃げ出すような街ではないのだ。

 店員さんが注文を取りに来たので、圭以子は一ポンドのおろしソースステーキを頼んだ。

 ちー子はその注文をおもしろそうにきいていた。そんなのを食べてるから体型がふっくらしたままなんだ、とでも言いたいのかな? ちー子自身は普通のグレービーソースのハンバーグステーキを注文した。

 最初にスープが出て来て、サラダが出て来て、食事が始まる。

 ちー子といろいろと話をした。

 ちー子はいまはこのホテルの写真屋さんで働いているという。あのコンビニの隣の店だろう。

 働いているというより、このホテルはちー子の家の土地に建っているので、ちー子の家はホテルの地主、そして、その写真屋さんもちー子のものだという。

 つまり、あの日、足の泥を洗わせてもらって、ちー子のお母さんに麦茶とカステラをもらって説教された場所に、このホテルは建っているのだ。

 当然、毎月、莫大ばくだいな収入が入ってくる。

 「すごい出世じゃん!」

と圭以子が言う。ちー子は否定せずにまた笑った。

 「まあ、そんなわけで、就職した会社を早々に退社して」

 勤めていなくても生活に困らないからだ。

 「大学のとき写真部だったし、写真館でアルバイトしたこともあったしね。もっとも、自分で店立ち上げて商売でやってみると、いろいろ考えもしなかったようなことにもぶつかるけど、それも、おもしろい」

 圭以子が、いちおう、きく。

 「結婚は?」

 「してないよ」

 ちー子は、あたりまえのことのように言った。

 「圭以子は?」

 ちー子がきき返す。

 「お見合いに失敗したとこ」

と圭以子は言った。別に深刻には言わなかったけど、笑う気にもなれない。

 ところが、ちー子は

「じゃ、さ。もし持ってたら、お見合い写真見せて」

と言う。どう答えていいかわからない圭以子に、ちー子は

「職業的興味で、さ」

と言って、目を細めてくすくすくすっと笑った。

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