第6話

「追いなさい!」


 ウィルマが叫んだ。


 三人の中で、一番身軽な人物は侍女だろう。


 侍女を筆頭に、集団の足音が追って来る。


 エミリアはスカートのすそをたくし上げ、木間を縫って大きく迂回した。


 最終的には馬車のあった場所に出るように。


 単に攪乱するためではない。


 踵のあるパンプスは、途中で脱ぎ落した。


「はぁ、はぁ」


 やっとの思いで元の場所へ舞い戻る。


 ウィルマが何事か罵声を浴びせたが、構わず御者席によじ登った。


「何を……!」


 脇目を振らず、真っすぐ、馬に鞭を振るった。


 馬は唐突な指令に嘶き、前脚を上げると、走り出した。


「きゃぁあっ……!」


 客車を引いているので、そこまでのスピードは出ない。


 しかし、制御ができないため、馬は 暴走し、客車をあちこちにぶつけながら走る。


「何てことを……!?」


 ウィルマは頭を抱えて悲鳴を呑み込んだ。


 エミリアは必死に台に齧りつく。


 確かに無謀な手段ではある。


 けれど黙って捕まるくらいなら、怪我をする方が数段ましだ。


 少しでも遠ざかり、少しでも目くらましになればいい。


 馬車が使い物にならなければ、エミリアを攫えない。


 馬は、興奮に任せて2,600フィート(およそ800m)ほども進んだが、間もなく、失速した。


 頸を二、三度振り回し、蹄を掻く仕草を繰り返すとその場で動きを止めた。


 恐る恐る周囲を見回すと、客車の車輪が片方外れて横倒しになっていた。


 もう馬車を動かすこともできないだろう。エミリアは御者台から飛び降りると、そのまま地面にへたり込んだ。


(すぐに追ってくるかしら?)


 いや、来るだろう。


 だが、作戦の変更は余儀なくされている。


 すぐには動けないはずだ。


 がくがくと、恐怖で足が竦んでいる。しばらく、身体を休めたいところだが、そうもしていられない。


 裸足のまま、どの方角へ進むべきか逡巡した。


 もうすぐ、桟橋だ。城門前へ出れば門衛がいる。


 馬車の残骸を見れば、エミリアが周辺にいるだろうと予測がつく。


 城門まで、間に合うだろうか。


 しかし、馬を失い、ドレスでの逃避行は困難を極める。


(どうすればいい? 人目に触れさえすればいい。多勢に無勢だけれど、有利なのは私のほうよ……)


 八方塞がりの心境だったが、敢えて、エミリアは自分に都合の良い解釈で自分を鼓舞した。


 敷地は広大だが、自然の森とは違う。馬車の暴走も、それなりの騒音だ。


 そろそろエミリアの不在も露見するだろう。捜索が始まれば、ウィルマたちも諦めざるを得まい。


 動悸と荒れる呼吸を鎮めてさっと周囲を見回す。


 木立が揺れる音を聞きつけて、はっと振り仰いだ。


 木登りなど、した経験がない。


 だが、倒れた客車を足場にすれば、登れなくもなさそうだ。


 迷っている暇はない。


 客車から幹へ、手をかけて、半ば這うように登っていく。中ほどまで来ると、傾斜が急になった。


 落ちないように、幹にしがみつく。


 生い茂った枝葉で視界が悪い。それでも懸命に目を凝らし、辺りを窺った。

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