第4話

 ヴォルティアで幾度も目にした表情だ。マルティナは、エミリアに愛情がない訳ではない。


 だが、それよりも自分の地位や利益を優先する――


 アンゲリクスも、感情の見えない目で、じっとエミリアを見下ろした。


 どう対処すべきか、考えあぐねているのだろう。


(この人たちは……)


 マルティナとアンゲリクスは、フィリップを大切にしていた。


 けれどそれは、息子可愛さからだけでもなかったわけだ。


(私たちを駒として見ているの――?)


「侍医をこちらの部屋へ呼びなさい。エミリアは記憶が混乱しているようだわ。ひょっとしたら、ヴァルデリアで酷い目に遭ったのかもしれない」


 マルティナは、執事に命じた。


「エミリア、今日はゆっくりお休みなさい。後で貴女の大好きなポタージュを運ばせるから」


 後は振り返りもせず、アンゲリクスと部屋を出ていった。


(この人たちが優しかったのは、私が自分たちの利益になるからなのね。私は……それを愛だと)


 エミリアは、出来の良い妻をずっと演じていた。


 しかし、どれだけ優しくされても、両陛下にとってエミリアは他人だったと、今になって思い知る。


(便利な駒として、利用したいだけだったの)


 2人が去っていった後――静かな部屋で、エミリアは立ち尽くしたまま俯いていた。


 部屋には噎せ返るほどの人数が詰めかけている。


 それでも誰一人として、エミリアに声を掛けられる者はなかった。









 その日の夜、エミリアは床についた。


 侍医は「一時的な記憶の混濁」との診断を下した。


 ゆっくり休めばじきに回復するだろうと、部屋に閉じ込められた。


 下手に騒いで鎮静剤など打たれては敵わないので、エミリアは沈黙に留めた。


 エミリアが折れるまで、軟禁するつもりかもしれない。


 一度部屋を出ようとすると、扉の前には侍女が見張りに立っていた。


 侍女は多少気遣う目をしてくれていたが、申し訳なさそうに部屋へ押し戻しただけだった。


 彼女らには何の罪もない。エミリアに協力したせいで立場を悪くさせたくもない。


 四面楚歌など慣れっこだ。


 クローゼットにどれほど豪奢なドレスが揃っていても、広いベッドがあろうとも、エミリアが心から安らげる場所は、ここにない。


 それでも部屋の調度品を、そのままにしておいてくれたのは有難い。


 ガラスの水差し、コンポート。掛け時計。


 文箱に数十の衣類……。


 必要なものはいくらでもある。


「ごめんなさいね……」


 エミリアは誰に向けるでもなく、胸中で謝罪した。


(こんなの、もう、我慢できない……)


 あるいは今までのエミリアだったら、それでも大人しく従っていたかもしれない。


 血の繋がらない義理の両親が、表面だけでも優しく接してくれる。


 それで満足し、身を粉にして尽くしたかもしれない。


 しかし、今は――。


 エミリアは壁に掛かった木製の時計に目を向けた。


 間もなく、約束の時間を迎えようとしていた。

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