第3話
「……しかしね、流石にエミリアに殴られて気絶するとは思えないのだが」
「ではフィリップ様が私を何と仰ったか、おぞましい言葉をお伝えしましょうか。陛下のお耳に入れるには、気が進まない、大変汚らわしい言葉ですけれど」
アンゲリクスとマルティナは互いに顔を見合わせた。
部屋に詰める侍女や執事らは、興味を惹かれたように耳をそばだてる。
「そのように脅かすでない。……フィリップは何と」
「しばらく私を貸し出すから、飽きるまで自由にして良いと――。エドワード殿下に提案をなさったのです」
ざわっ
俄かに周囲が色めき立った。
アンゲリクスは、エミリアの言葉に顔色を変えた。
「まさか、フィリップがそのような非道を!?」
「ええ。無条件で私をヴォルティアへ引き渡す代わりにと。ご冗談にしても、笑えませんでしょう」
マルティナも、驚きを隠せずに立ち上がる。
「まさか。そんな、いくら何でも……!」
震えを抑えられない王太后マルティナの隣で、アンゲリクスは愕然としていた。
「まさか、そこまでのことを――」
「ですから、殴りました。いくら妻が陛下に忠誠を誓う立場でも、あんまりではありませんか。妻を、娼婦と混同するなんて。侮辱どころではすみません」
「ああ、エミリア……!」
マルティナは両手で顔を覆って泣き出した。
(……本当に、最低な男だわ)
アンゲリクスは頭を抱えた。フィリップがこんな下衆だとは知らなかった。
確かに昔から女癖が悪かったけれど、まさかここまでとは――
「……わかったわ、エミリア」
マルティナは、顔を上げた。瞳には涙が滲んでいる。けれど、気丈にもしゃんと背筋を伸ばした。
「すぐにヴォルティアへ遣いをやりましょう」
「ですから私は、一旦戻りはしましたが……妃の座を辞したいと存じております。私を実の娘と同様に可愛がってくださった両陛下には、ご恩を仇で返すような真似をして申し訳ありません。ですがもう、フィリップ様を夫として尊敬することができません」
「わかっているわ、エミリア。貴女には何の非もない」
マルティナは、真っ赤になった目で、優しく微笑んだ。その優しさが胸に染みる。
「でもね、エミリア。私たちは貴女を失う訳にはいかないのよ――」
マルティナは、すっと身を引くと、急に声のトーンを落とした。
声には黒い感情が滲む。
「――フィリップとエミリア、私たちはどちらかを選ぶことはできない……考えるまでもないの」
立ち上がったマルティナは笑顔に見えなくもない。
赤く見えた双眸は、血走っているような……。
表情には悲哀と狂気が入り混じっている。
(…………!?)
エミリアは、背筋が粟立つのを感じた。その表情には見覚えがある。
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