第21話
フィリップが気絶しても止めない覚悟で、エドワードは拳を振りかぶった。
「エドワード様、やめて……!」
不意に、馬車からエミリアが飛び出してきた。走り寄り、後ろから覆い被さるようにエドワードを抱き止める。
彼女の体重を感じた瞬間、振り下ろした拳を止めた。
ふっと、力が抜ける。
「――エミリア……」
気付けばフィリップは、拳頭を突き付けられたショックでか、意識を失っていた。
エドワードは茫然自失となった。
してはならない過ちを犯した。
非公式の場とはいえ、交渉相手に暴力をふるった。しかも、ヴァルデリア兵の目前で。
「衛兵、何をぼうっと見ているのです。早く陛下をお助けしなさい。王宮に運び、侍医に診せるのです」
エドワードが動けないでいると、エミリアは被っていた頭巾を払って、素顔を現わした。
ヴァルデリア兵に向かって凛とした声で命じる。
「そのお声、エミリア様……!」
すぐに、ヴォルティア兵がフィリップに駆け寄り、助け起こす。
意識を失っていると知るや、即座に背負って駆け戻った。
しかし、兵の内の二人は、エミリアの前から立ち去ろうとしない。
「エミリア様。よくぞ、ご無事で……お探し申し上げました。お怪我は?」
兵の一人が、エミリアの全身を見回した。
「ないわ。ありがとう」
エミリアは、兵士に向かって微笑んだ。兵士の表情も心なしか綻ぶ。
「王妃様を発見したら、王宮へお連れするよう命じられております……。お連れして、よろしいでしょうか」
妙に歯切れの悪い口調だった。
兵士たちとは多少距離を取っていたが、もしやフィリップとの話が耳に届いていたのだろうか。
しかし、エミリアは快諾した。
「お願いするわ」
「……承知いたしました」
兵の一人が敬礼すると、もう一人が恭しくフィリップの馬を引き受ける。
(――エミリア!?)
エドワードは驚愕した。
失態を犯したとはいえ、エミリアがヴォルティアへ帰ることはないと信じていたからだ。
「一部始終を見ていた貴方がたに、頼みがあります。今日のことは他言せず、胸に秘めておいて。上皇陛下たちには、私から伝え、申し開きの場を設けます」
エミリアは、踵を返すと、膝をついていたエドワードを立ち上がらせた。
それから袖に付いた砂埃を払ってくれる。
「……聞いての通り、私はヴォルティアへ戻ります」
「ダメだ。エミリア、そんなことは、させない」
エドワードは、強く遮った。エミリアが彼らと共に去るのを、黙って見送ることはできない。
「いいえ」
エドワードのしでかしたミスの尻拭いを、エミリアにさせるなんて。
「貴方を都合よく扱う男と一緒に、王宮へ戻ると言うのか?」
「そうです」
エミリアは毅然として答えた。もう、彼女の心は決まっているようだ。
フィリップの侮辱をエミリアの耳には入れたくない。だが、聞こえていただろうか。
確かめたくとも、そんな残酷な真似はできない。
エドワードには止める術がない。
結局私は、彼女を失うのか……
「……どうしても? ……あの男は、君を……」
エドワードの頭の中は、絶望で満たされつつあった。
「エドワード様がくださった優しさは、忘れません。殿下と共にヴァルデリアで過ごした日々は、生涯の宝物です」
エミリアは去り際、初めて、エドワードに抱擁した。
ぽつり、と温かな雫が、首筋に落ちる。
「エミリア……!? 待って、エミリア!」
エドワードは、彼女の肩を掴もうとした。だが、すり抜けたように空を切った。
フィリップが連れてきた兵士さえ通り過ぎて、エミリアは一行の元へ走り去った。
(こんな結末が……)
エドワードはその場に立ち尽くしたまま動けなかった。
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