第8話
夜風に、梢がそよいだ音を聞き違えたのだろうか?
しかし、変わった所は見当たらない。
瞳が潤んで良く見えないので、ぎゅっと強く目を瞬いた。
溜まった涙がぽろぽろっと珠のように落ちる。
「やっと会えた」
今度ははっきりと声がした。
エミリアは咄嵯に、手摺に身を寄せて、下を覗き込んだ。
「誰かいるの……っ」
「こんばんは」
そこに居たのは、暗闇に溶けるような、漆黒の髪の持ち主だった。
欄干に白い手袋が掛かったかと思うと、その人物は実にしなやかに舞い上がった。
夜闇の王宮の敷地には、何人たりとも入り込むことなどできない。
皇族の寝室には言わずもがなだ。
エミリアも本来ならば警戒しなければならないのに、今は只茫然と傍観していた。
――いや、目が離せなかった。
まるで羽でも生えているかのような軽やかさで、黒衣の人物はふわりとエミリアの隣に降り立つ。
「ご機嫌麗しゅうございます、エミリア妃」
流れるように膝を折り、礼をする姿は洗練されていた。所作には気品すら感じられる。
夜と同じ色のコートを羽織っているが、銀糸で施された緻密な刺繍が月明かりに煌めいている。
「ご機嫌麗しゅう……」
ほとんど反射的に挨拶を返しながら、今日の招待客の内の一人なのかしら……と、エミリアは推察した。
生地にも光沢があり、上等さが漂う。表地は恐らく絹製だ。
しかし、その客人がこのような場所にいる説明にはならない。
応答が遅れたが、エミリアは一歩退いた。
「いえ、貴方はどなた? このような時間に、何故ここに」
「私はヴァルデリア王国から祝辞に参りました、エドワード・ロレンスと申します」
(ヴァルデリア、ロレンス……? 真実ならば、王族の一人ということになるけれど)
「そうですか……それで、どうして此処へ?」
エミリアは探るような目を向ける。
警戒しなければならない。しかし、不思議にも、ふとした瞬間に気を許しそうになる自分がいた。
「エミリア様、お一人で泣いてらっしゃいましたので」
エミリアはハッと頬を押さえた。
涙の後がうっすらと残っている。
拭いたかったが、今はハンカチすら持っていない。
その上、エドワードがいつの間にか距離を詰めていた。
エミリアの手の甲にそっと、自らの手を載せる。
「急に、何をなさるのです」
「貴女の涙を拭う栄誉を……私にください」
「……!」
エミリアは慌てて手を引っ込めようとしたが、相手の方が早かった。
あっという間に、指先で涙の跡に触れられる。
「止めてください。私は許可をしていませんのに」
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