第7話
エミリアはアルデン家に生を受けた唯一の伯爵令嬢だった。
父、アルデン伯爵は封建的な思想や格式に囚われない、柔軟な思考の持ち主で、身分の上下に関係なく人と接することを信条としていた。
跡継ぎの男子に恵まれなかったこともあり、父はエミリアに経済の仕組みや経営術を熱心に教えてくれたし、社交界の華となるように教養も磨かせてくれた。
そんな父の教育方針のおかげもあって、エミリアは同世代の貴族令嬢よりも遥かに豊富な知識と教養を身に着けた。
母譲りのブロンドと、好奇心に満ちて輝く瞳。
容姿も相まって、社交の場では「聡明な貴婦人」として名を馳せた。
社交界のデビューは十四歳。
その頃から決して身分の高くないエミリアを気に掛け、引き立ててくれたのが、現在の皇太后陛下だった。
「内々の話だけれど、王子の花嫁には貴女しかいないと考えているのよ。 いないもの。ご両親の教育も素晴らしいけれど、何より貴女の瞳には他の方にはない知性が宿っていますもの」
皇太后陛下はエミリアに目を掛け、度々フィリップと引き合わせたり、様々な助言を授けた。
十五歳で王太子殿下の婚約者に内定すると、いよいよエミリアの将来は約束されたようなものだったが、それを面白く思わない者もいた。
王室に近い爵位を持つ家の中には、表立って異を唱える者もあった。
サンフラン家はその筆頭だ。
懐かしくもある、華やかな過去の記憶が昨日のことのように蘇る。
その中には辛く苦しいものも、甘く、穏やかな喜びも、どちらも存在していた。
ぽたり、ぽたりと冷えた大理石の床に雫が落ちる。
思わず、両手で顔を覆って窓辺に寄った。
バルコニーへの扉を開く。
『君の笑顔は、どんな花にも勝る』
『どうか、私と結婚してくれないか』
『エミリア、君を愛している』
過去に囁かれた愛の言葉。
甘やかな記憶が、エミリアを苛んだ。
それはバラの棘のように、一度に刺さらずゆっくりと鈍い痛みを広げて行く。
(エミリア、しっかりなさい……。もう、私は失ったの。失ったものに後ろ髪を引かれるのは、私の決意が甘いからだわ)
今は、これからどうするのか、具体的な行動を考えなければ。
夜が明ければ、部屋には侍女がやって来る。
フィリップとサンフラン嬢はもちろん、今は誰にも会いたくない――
身体は欄干に預けたまま、エミリアはキッと、顔を上げた。
眼と同じ高さに、明星が煌めいている。
「月の女神……」
「えっ?」
誰かの声が聞こえた気がして、エミリアは周囲を見回した。
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