光
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退院の日。
大きな不安を抱えながらもその生活は期待に満ちていた。
そして里美は帰宅して一人留守番をしていると…◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
あれから三週間後、入院中のプログラム終了を目の前に控えた里美は医師の診察を受けていた。
数週間前、修二の本当の思いを知った里美。
出会い、恋人同士となり十年以上が経ち、夫婦となった二人は『共依存』の関係なのだという。
それでも共依存から支え合う関係になれるよう、今後もカウンセリングを受けながら、夫婦として家族として生きてゆくことを決めた。
「賀城さん、プログラムも順調ですし、ここ数週間を見ていても不安視する点がほぼありません。退院の準備、していきましょう。」
この言葉に里美の心は一瞬は晴れた。
家で過ごせる。
家族で過ごせる。
だが、それは様々な事が元に戻って行く、暗く恐怖を感じる日々を思い出させるような現実へ戻らなければならないのだ。
『私が戻れば修二の生活も元に戻る。』
里美は一気に恐怖に襲われた。
深い海でもがき、地上に上がることのできない苦しみ、誰にも救いあげて貰えない恐怖。
そんな自分を見つけ、助けてくれるはずの人物は、自分を苦しめ、そして自分もその人物を知らぬ間に傷つけ苦しめていた。
このような状況になる以前の子どもたちとの暮らしに戻りたいのに、心が追いつかないでいた。
…
里美が退院する。
それは家族皆が願い待ち詫びた日であった。
二度と同じ事を繰り返さない、繰り返させないと誓い、修二は里美を迎え入れる環境を整える。
几帳面であり整理整頓は趣味にも近い修二ですら手に負えない部屋の散らかり様は、日々の子どもたちのヤンチャぶりを表していた。
決して沢山あるわけではないオモチャを棚に仕舞い、服を畳む。
「保育園行くぞー!みんな、リュック背負って、くっくも履いて!玄関いくぞー!」
「あーい!」「あーい!」「あーい!」
修二が声を発すると、今朝は誰も乱れることなく事が進むスムーズな一日の始まりだ。
三人にはママの退院の件は話していないのだが、珍しく誰もぐずらず、そして機嫌良く事が進むのは何かを感じているのだろうか。
偶然にも退院の日と同日、今日から心機一転、新しい保育園へ通う。
それは修二の職場内にある、かつて通っていた園だった。
今朝は調子良く三人揃って出発してくれそうだ。
リュックの重さで動きにくそうな双子が、まずは玄関に座る。
「あーちゃん、それ、くっく反対だぞ。」
「はーたい?こっち?」
「そう、それで合ってる。」
「うーたんの、あってる?」
「優梨は合ってるよ。」
「ぱぱぁ、これかわいい?」
「可愛いよ、優梨の髪の毛すごく可愛い。」
「ありがとねぇ。ぱぱしゅきよー」
「ゆーりかわいーねー。あかいの、くちゅもかわいーよ。」
修二は朝から我が子たちの可愛さに心を撃たれた。
一生懸命に靴を履く愛梨に、『ありがとうね。パパ好きよ。』と、愛の言葉を口にする優梨。
妹を可愛いと褒め、女性の気分を持ち上げる亮二。
それぞれいつの間にこんなに成長していたのだろうか。
毎日一緒にいるのに、忙しさのあまり近すぎて見えなくなることは何としてでも避けたかった。
愛する里美と自分の遺伝子を継いだ宝たちなのだから。
…
子どもの順応性は驚くもので、今までと違う場所という新たな状況にもすんなりと溶け込み今日から一日を園で過ごすことになったのだ。
亮二に至っては双子が誕生する前にもここでの保育園生活を送っていた事もあり、色々と逞しい。
既に三人とも授乳や離乳食期を過ぎた子である事も幸いし、慣らし保育をすんなりと終えたのだ。
「ではお願いします。」
保育園に三人を送り届けると、園は職場内にあるものの向かう先は執務室ではなく施設の外だった。
再び車に乗り込むと、目的地は里美の迎えだ。
色々な不安は過ぎるものの、やはり家族が揃う事は楽しみだった。
里美本人も自分で乗り越えるべき事はあるだろうが、修二も里美との関係性がこのままで良いとは思っていなかった。
『共依存』と指摘され心当たりは多々あったし、今後の事を色々と考えていた。
病院へ到着すると、既に退院準備を終え里美は待機していた。
「ありがとね。」
「悪い、待たせたな。あとは挨拶して終わりか?」
「そうね。」
「皆さん、お世話になりました。」
「無理されないで自分を大切にね、ご主人も。」
「ありがとうございました。」
挨拶を済ませ外へ出ると、里美は様々な思いが巡る。
これから一生付き合っていくのであろう自分の特性、可愛い盛りに子どもたちの元から離れてしまったその影響、今後の生活のこと。
走る久々の車内では退院の嬉しさの反面、不安から口元と手の震えが治らずにいた。
里美のそんな様々な感情を修二も気付いていた。
「大丈夫だよ、俺がいるから。」
「うん…あのね、また私がまずい事したらすぐ止めてね。」
「元々そのつもりだけどな。」
「あと嫌いにならないでね。」
「それは無いだろうな。というかムリだから。」
ハンドルを握り正面を向いたまま車を走らせる修二は淡々と答えた。
今の里美の思いが痛いほど伝わって来た事、それよりも里美が帰宅する喜びで胸がいっぱいだった。
そんな修二の態度に、自身の行動と、この半年以上の期間は二人の関係を変えてしまったのだと察した。
無言が続く車内が何となく気まずい。
赤信号で停車すると、修二は里美に口付けた。
「何そんな顔してるんだよ、一人で勝手に不安がってさ。今更嫌いになんてなると思うか?これだけ一緒に居てなれないだろ。」
「そうなの?」
「どこの夫婦もそんなもんだと思うぞ。結婚してからは大して経ってないけどさ、もう最初に出会って十年以上だ。今更手放して他の男に取られる様な事はしないって。俺と別れたら、桃瀬はすぐに新しい相手見つかるさ。」
修二の言葉は着飾ったりする事のない、自身の心の内そのままだった。
どんなに生活が大変になったとしても、それを自分なりの幸せとして受け入れるつもりだったし、それが当然の事だと思っていた。
…
「ただいま。」
マンションに帰ると久しぶりの我が家に里美は涙が溢れた。
自分の知らぬ間に増えた子ども達の物や服。
きちんと片付けられ掃除された部屋に整ったキッチン。
「これ綺麗…」
「昨日さ、子ども達と買いに行ったんだよ。ママに似合うお花を選んでって言ってさ。あいつら高い花ばっかり選ぶの、何なんだろうな。」
ダイニングテーブルの上に飾られた花束、色鮮やかなオレンジや黄色をベースにしたカラーは沈んだ里美の心を一気に華やかにした。
里美が三人を連れて出かける事を大変と感じていた事を、修二は簡単にこなしてしまう。
花屋なんて、ちょろちょろして商品を触ってダメにでもしたり花を摘んだりしてしまったら。
「桃瀬にはこういう色が似合うよな。華やかっていうのかな、快活なイメージ。またそんな桃瀬に会えるのを待ってるぞ。」
「ありがと。買い物とか三人連れて行ってたの?」
「そりゃあそうだよ。あいつらに留守番なんて出来ると思うか?」
「そうじゃなくて、修二くんどうやってたのかなって。私があんなに苦労してた事なのに。」
「難しく考えすぎなんじゃ無いのか。今日は買い物出来ないと思ったらしなきゃいいし、泣いて騒いでどうにもならなかったりして俺だって何度か何も買わないで帰ったぞ。それにさ、あいつら最近かなり成長してるからきっと驚くぞ。」
「早く会いたいなぁ。」
「そうだ、これ。」
「何?」
「花屋の店員から桃瀬へのメッセージだと。」
里美は不思議そうな顔で封筒を開けメッセージに目を通すと、目から大粒の涙がポロポロと流れ落ちたが、修二はあえてその点には触れなかった。
「そろそろ迎えだけど一緒に行くか?」
「ちょっと疲れちゃったし家で待ってていいかな。夕飯、出来るものなんか作っておくわよ。」
「了解。夕飯は何が出来るんだろうな、楽しみだ。それじゃあ行ってくるから何かあったら電話して。」
「お願いね、いってらっしゃい。」
向かう場所は職場と同じ、四十分もすれば帰宅するだろうか。
里美は久しぶりの我が家に喜びを感じつつ、一人でいるこの空間にどこか不安を感じ始めると心臓の鼓動が大きくなり、呼吸が早くなっている事に気づいた。
このままではマズいとわかる、この感覚。
涙目になりながらリビングの窓を開け、外の空気を取り入れる。
冷えを感じる手足を温めるため、ハンガーにかけてあったブカブカな修二のパーカーを羽織り部屋中を歩き回ると身体を温め、それに襲われないよう自分をコントロールする。
締め付けられるような胸の傷みを感じながらも、冷蔵庫を開け何を作ろうか中を覗いて気を紛らわせる。
「お味噌汁、と、…生姜焼き、できるよ、ね。」
この状態で止まって欲しい。
息を吸って、数秒かけてゆっくりと吐き出す。
パニック発作が始まっていた。
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