天使と悪魔
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日に日に悪くなってゆく里美。
そして廃れてゆく心。
口にするべきではない言葉を発し、その言葉に修二も傷つくのだった。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その後、里美の口数は極端に少なくなった。
自分の気持ちを押し殺すかのように心に留め、定期的に通う心療内科へはできる限り修二も付き添った。
それは患者である里美本人の希望でもあった。
何度か付き添えない日の診察で交わされた内容については、夫婦であっても伝えることは出来ないとのことで、時には知らない事がある方が上手くいくのだと修二は自分を諭した。
医師のアドバイス通り、修二は里美に日々労い感謝し、時には一人で過ごす時間を与えるよう心がけた。
仕事に出ている修二にとってそうも行かない日も多々あったが、あの日以降夫婦間でぶつかるような事は起きていないし、里美の感情も落ち着いているように見えた。
…
ある日、子ども達三人は高熱で苦しんでいた。
乳児のうちに殆どの人間が感染するという感染症らしく、ここまでの高熱で苦しむ姿を見るのは初めてのことだった。
「愛梨は咳が酷いなぁ。大丈夫なのか?」
一番症状が強く出ていると思われる愛梨を縦に抱き、少しでも呼吸が楽になるよう背中を摩りながら看病する里美。
隣で見守る修二は先ほど残りの二人を寝かしつけたばかりだ。
既に他の二人は寝室で眠りについたのだが、愛梨については横になっているだけで咳き込んでしまい、眠れずにいたのだ。
母の腕の中で眠ろうにも眠れない娘を修二と里美は特に気に掛けていた。
「この子、また熱上がってる気がする。」
そんな日々も今日で四日目。
母の願い虚しく、体温は三九度四分とかなりの高熱だった。
他の二人についてはだいぶ解熱したのだが愛梨に限っては高熱が続き、その分食事も取れず、少しずつ離乳しかけていたが再びミルクへと戻っていた。
「そろそろ代わろうか。桃瀬も少し休んだらいいよ。」
「やぁあ〜、まま〜…」
「ママいるよ、大丈夫。」
先に寝ついた二人の後、なかなか寝付けないでいる愛梨の寝かしつけを修二が引き受けようとしたが、本人がそれを受け入れなかった。
「大丈夫。それより愛梨に少し白湯もらっていい?飲ませたらすこし落ち着くかも。」
「了解。」
食事が取れない愛梨。
高熱と咳、鼻水によりミルクの量も満足に飲めていなかったため、脱水には気をつけてやらなければならなかった。
「ほら、お待たせ。」
修二が愛梨の口に哺乳瓶を咥えさせるとウクウクと吸い、大きな目が次第にトロンとした様子を見せると白湯を飲み切る前に寝落ちた。
寝室へ連れて行きやっと三人の寝顔が揃うと、暗闇の中しばらくその姿を見守った。
「良かったな。水分欲しかったのか…それより、こいつら寝顔は本当天使だよな。」
「寝顔だけ?」
「寝顔はもっと天使…って意味だよ。わかってるだろ。」
里美がニコッと笑顔を見せ優しい表情を見せると、この母親が心療内科へ通院しているとか服薬しているとか、ましてやADHDという発達障害の診断を受けている事など誰が信じるのだろうかと、修二は複雑な思いを滲ませた。
そして今の里美の落ち着いている様子を見て、話しておきたい事を伝えるのなら今だと判断した。
今なら大丈夫だろうと。
…
「ちょっといいか?リビングで話したい事がある。」
そう言われて移動すると、里美は不安気な表情を見せる。
「大丈夫だよ、そんな顔しなくても。マズい内容ではない。」
里美の思いを汲み取ると、修二は頭に軽く手を乗せクシャクシャと撫でた。
「んもぅ、話ってなに?」
「俺さ、異動の希望を出そうかと思ってる。」
「それって私のため?」
「まぁな…ほら、今の俺は休みが不定期だろ?俺の先のスケジュールが分かった方が順序立てもしやすいだろうと思ってさ。
訓練生の指導する方に移れば土日も毎週休みになるし、夜勤もなくなるぞ。」
診断を受けた際の里美の特性として、先の事がわからないことに強い不安を覚えるらしい。
また同時に複数の事を行うことへの対処が苦手であり、仕事であれば他の誰かのフォローできるが育児となればいつでも里美以外の人手があるわけではなかった。
シッターを雇うことも提案したしたが、自分の知らぬ人と過ごす事は今の里美にとっては疲労となるらしくそれを本人が拒んだ。
「せっかくあれだけ勉強して試験受けて学生指導?あんまり私はそっちの方は詳しくはないけど…」
「まだ話してないし、希望を出した所でそれが通るのかも分からないが、伝えるだけ意味はあると思うんだ。通れば定時で上がれるようになる。」
双子の悪阻中、昇進試験に向けて勉強会をし、その後のきつい環境での研修も受けてやっと手にした階級。
それを無駄にしてしまうのか、今までの経験を無かった事にしてしまうのか、里美は気掛かりだった。
「今までのこと、無駄になるんじゃ…修二くんはそうしたくないでしょ?」
「今の生活に合わせて働き方を合わせるのは必要な事だと思うぞ。この間の試験だって無駄になることはないし給料だって…まぁ夜勤手当なんかは無くなるだろうけどな。俺もいずれは本部に戻りたいと思ってる。」
里美は自分のせいで夫の仕事に迷惑をかけることをしたく無かった。
だが、世の中に溢れる様々な危険から子ども達の小さな命を守るためには、今の自分では疎かになっている部分があることも理解していた。
何よりも危険なことから子どもたちを守るため。
それが自分で理解できるからこそ里美は苦しかった。
「うう、っ…ごめんなさい、こんなんになっちゃって…私、普通になりたいのに……自分が何だか今までとは違うって…っ、わかってたけど…何なのかわからなかった…」
「わかってる、大丈夫だから。」
「けど、ズルいよ?私だって仕事したいの!家に居てばっかり。外に出たって三人が動き回るし一人じゃ見きれないし危ないし、危険な目に合わせるなら家にいるしかなくなるの。
毎日すごい我慢してる。こんな事になるなら子どもなんてい…」
「待て!…その先は絶対に言うなよ。」
涙をポロポロと流しながら、言葉にする自身の思い。
修二は里美が言いかけた言葉を静止させ、修二の心を一瞬で深くえぐった。
『子どもなんて…』
里美この先を何と言おうとしたのだろうか。
いらなかった?
いなければ良かった?
どちらにしても子ども達の母親である里美の口からは決して聞きたくない言葉であったし、言わせたくない言葉ではあることには変わりないのだ。
「桃瀬の体調が良くなって、また一緒に働ける日が来るのを願うよ。家族なんだ、そんなこと気にするな。」
目の前で感情が荒ぶっている里美は声をあげて泣いていた。
その姿をただ黙って見守り、思うがまま感情を吐き出さ発散させる。
今はそうさせる事が一番の薬なのかもしれない。
声をあげながら泣く里美の姿を目の前にする事は、修二も辛かった。
次第に呼吸の速さを感じると、その変化に修二は何かに気づいた。
「…っ……はぁ!…苦しっ…」
胸に手を当て、手を震わせながら肩を上下し苦しそうにする里美の様子に、修二は早い段階からそうなる覚悟をしていた。
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