対峙
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自身の過去と現実に向き合う苦しみに耐えられるのか。
何が正しく、何が間違えだったのか。
そして里美は医師を頼る事とした。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
里美は妹の家で泣きまくったらしい。
育児に対しての自信の無さ、上手く家庭を回せない歯痒さ、仕事への不安。
それから自分が家を出て妹の家にいるという現実への罪悪感。
それらの思いは日々修二も感じていたが、元々里美はそういうタイプであり、それを今になって気にするのも違和感があった。
「おかえり。ちょっとここ座って。」
里美をダイニングテーブルに座らせると視線を合わせないその様子にあまり刺激しない方が良いと判断し、そっと話しかけた。
「色々辛かった?」
「ごめんなさい。勝手に出て行って、子ども達置いて…」
「俺が外行ったのわかってたよな?声かけなかったのも悪いが、この年齢の子ども達だけを残して出かけることはあり得ないぞ。それだけは許せない。」
「はい…」
こうやって里美を叱ることなど始めてだった。
どちらかといえば甘やかして来た方だろうし、昔も今も修二にとってはいつまでも愛おしく大好きな里美だった。
声も出さずポロポロと落ちる涙を目の前に、この時初めて追い詰めていたのだと修二は気づく。
土日に周囲が家族で楽しそうに過ごす中、母子四人で近所を散歩することすら里美一人では大変だっただろう。
まだ言葉を話さない三人を相手に要望を叶える事も、自我が芽生え泣き喚く子どもたちを落ち着ける事も毎日三人分。
それは、終わりの見えない毎日の繰り返し。
「桃瀬さ、一回病院行こうか。心療内科とか精神科とか。」
「何で?」
「自分でも色々と分かってるんじゃないか?まだ子ども達も小さいし、俺も色んな意味で桃瀬にはこれからも頼らなきゃならない。これ以上悪くならない為にも行っておこう。」
独身時代、あれだけバリバリに働き若くしてキャリアを積んでいても、家庭に入り子どもができ育児が始まると、こんなにも自信を失うものなのか。
仕事で培った評価は何の役にも立たないということなのだろうか。
子どもを育てると言う事はこんなにも難しいことだとは思ってもいなかった。
修二は心からそう感じていた。
…
やっとの事で予約が取れた心療内科の受診日は一ヶ月以上先のことだった。
予約当日
「一緒について来て欲しい。」
本人の希望もあり、修二も病院へと向かう。
数時間はかかるという診察のため、子ども達は一時保育へと預けることとなった。
今の時代人気だという一時保育も、一ヶ月以上先であれば比較的余裕で三人まとめての予約が取れた。
問診票に記入し、カウンセリングが始まった。
生まれた頃の事、幼少期のこと、避けては通れない両親のこと、俺ら夫婦が出会った大学時代のことやドイツ勤務のことなど。
診察中の会話内には修二も知らない事が山ほどあった。
「以前も心療内科はかかった事があるのね?」
「はい。」
「その時、パニック障害以外の診断は?」
「他には…無かったはずですけど…」
「そう。飲んでいたお薬とか覚えてる?」
「その頃のお薬手帳、持って来ました。」
里美は持参したお薬手帳を手渡すと、医師は頷きながらページを捲る。
「苦しかったわね、よくここまで元気になって赤ちゃんも産んで。前のお医者様、よく考えてお薬も出されてると思うわ。
里美さんにはもう一度元気になってもらいたいと思ってますし、なれると信じています。私もずっと付き添いますからきちんと治療、続けましょう。」
里美は過去の通院についても、きちんと把握しようとする医師の姿が嬉しかった。
「さっきやってもらったこのテスト。里美さんはADHDの傾向があると出ているの。この点数だと生活に不便が出ていてもおかしく無いんだけど困っていること、他には?」
「今は子育てばっかりで、どれも初めての事ばかりなので不安とか困り事ばかり。だから毎日が不安だらけです。」
「このテストとカウンセリングでADHDの診断が出ても、ご本人に困り事がなければそれはそれで大丈夫です。生活する上での困りごとがあって診断が付くのです。それから…」
修二も思わぬ医師の診断に驚きつつも口出しはせず、隣で真剣に話へ耳を傾けた。
「私、昔からいつも周りについて行くことに必死だったんです。
名の知れた両親の娘だし、父と母みたいに医師になれたら良かったけどそれが出来なかった。
沢山勉強したけど、医学部はどうしても受からなくて…あの大学に入るだけでいっぱいいっぱいで。
国立大に入ったって全然自信になんてならなかった。
育ての親にもすごく申し訳ない思いでいっぱいだったし、家にもいる場所が無いなって思って居心地もずっと悪かった。
私の事を別に出来損ないだなんて思ってないはずだけど、実の子どもでもない私に沢山お金を掛けてくれたのにすごく申し訳なくて…」
医師は真剣な眼差しで里美の話をずっと聞いていた。
「今まで本当に沢山頑張って来たのね。」
里美は自分の抱えていた心の苦しみを初めて打ち明け、そして認めてもらえたような気がして涙が溢れ止まらなかった。
「ADHDも色々特性があるんだけど、里美さんの場合は良い方に特性が現れていたのかもしれませんよ。
今までのお仕事での結果もそうだと思います。
分かりやすく言うと物事の順序を立てる事が苦手だったり、だから片付けが苦手なんて言うのはよく聞かれます。他にも拘りが強かったりって言う点もらありますね。」
「あぁ、だから…」
修二はふと口にした。
「心当たり当たりでも?」
「昔、一緒に暮らしていた頃から、その通りでしたね。妻は本当に片付けない。何でもやりっぱなしで自分がいつも片付けるんです。」
医師はふっと笑い、里美も修二も今までの日常生活のあらゆる点が症状に合致し腑に落ちた。
「だけど、そこは自分の性格と合っていたから…自分は片付けは好きだし几帳面な方で、苦ではないんで問題ないんですけど。」
修二も里美と出会ってからの事を色々と思い出し、言われてみればそうなのかもしれないと心当たりが幾つもあった。
「あの、自分はどうしたら良いんでしょう?」
「ご家族にはその特性を受け入れてあげて欲しいです。ADHDは病気ではないので全治何ヶ月とか、いずれ治るとかではないんですね。
お子さん達の事もありますし、今は産後うつも併発していると思います。
本当はもっと早い時期に発症してるはずなんですけどね。
だから家事なんかの出来ていない事を責めたりしないで、ご主人にはそっとフォローをしてあげて欲しいんです。」
先月、夫婦で珍しくぶつかり合ったあの日の出来事。
恐らくもっと早い段階から産後うつの症状は出ていたはずだということ。
それが、育児の忙しさにより埋もれてしまっていたこと。
里美の元々の性格からも外見での変化は見られにくく、周囲も気付けず本人の心の中で様々な思いと葛藤を抱いていたのだろう。
その出来事が引き金となって爆発したのではないかとの事だった。
一年間に二度の出産。
身体面だけではなく、精神面で里美がこのような状態になることを修二は思ってもいなかった。
明るい性格であり、仕事と同様手際良く育児もこなしているものだとばかり思っていたし、そう見えていた。
だが実際は日中は仕事で留守にしているため、朝と夜、休日のほんの一部しか見えていなかったのだ。
あらゆる点を省みる。
早い段階で次の子を望んだことも間違いだったのだろうか。
今となってはどうしようもないのだが、愛梨と優梨の誕生をそんな言い方はしたくないし、あの日二人の誕生を心から喜んだことは修二も里美も間違いなく同じだったはずなのだから。
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