高校生は、無敵だからな
陽向がメディカルチェックを行うため、俺たちは病室を後にしていた。意識が安定しているばかりか、目立った障害も残されていないので、医者は奇跡だと評していた。なんだか、幸運が雨のように降り注ぐ一日だ。
日が落ちた五条通を歩きながら、みほろと記憶を擦り合わせる。
「生きてるよね、デリちゃん」
みほろの言葉が、冷たい夜風と混ざる。車のヘッドライトが流れ、俺たちを置き去りにしていく。デリ子が生きているとすれば、一体どんな奇跡が起きたのだろうか。出町枡形商店街の顛末は、間違いなくデリ子の御利益だと断言できる。SNSで信仰心が集まったのも、縁結びの神であるデリ子の御利益が影響したに違いない。だが、デリ子が命を落とした瞬間に、予備電力として作動したであろう御利益の出処がわからない。
「生きているかはわからないけど、確かめる価値は十二分にあると思う。現れるとしたら吉田神社だ。みほろ――俺に付いてきてほしい」
俺が放った言葉に、みほろがこくりと頷く。
大元宮へ続く門は、珍しく開放されていた。一歩踏みしめると、大きな怪物の口に飛び込んでいくような錯覚に陥る。果たして、この先にデリ子は居るのだろうか。肌を切り裂くように風が吹き荒ぶたびに、マイナスの思考が脳の中で肥大化していく。
その瞬間、手に伝わる感触がぎゅっと強くなる。
「ちあきち、大丈夫だから」
俺の内心を見透かしたように、みほろが微笑む。
「なんでわかったんだ」
「手汗」
なるほど、なんてことはない。悩んでいるのが急に馬鹿らしくなり、踏み込む足に力が蘇る。
「元気でた?」
「ああ、完璧にな。ありがとう」
俺はみほろに礼を述べ、漆黒の境内を突き進んだ。やがて風の音も虫の声も遠退いていくが、もう何も怖くなかった。
「高校生は、無敵だからな」
俺が鼓舞するように言い放つと、左手に伝わる感覚がさらに強くなる。根拠なんて何も見当たらないが、みほろと居れば本当に無敵になれそうだ。月明かりに照らされた社殿の前に立つ。踏み鳴らす地が玉砂利に切り替わり、石がぶつかりあう音が静寂を切り裂いた。予想はしていたが誰も居ない。俺とみほろの息遣いだけが耳に届き、全ての生命が活動を終えたような静けさが残った。
「どうすれば、デリちゃんに会えるかな」
「……もう一度、参拝をしてみる」
俺は財布から五円玉を取り出し、賽銭箱に放り投げる。神の存在を強く意識し、二礼二拍手で対話を試みる。
大事な人達に幸せを。俺が定義する大事な人の中には、みほろや陽向。家族や友人だけでなく、やおよろズの面々も含まれている。
「出てこいよ、デリ子」
俺が優しく言い放つと、社殿を取り巻く空気が一変する。さきほどまで聞こえなかった虫の声や、木々が擦れる音が蘇る。まるで、俺の参拝をきっかけにして、人間界に引き戻されたようだった。だが、デリ子の姿がない。社殿の扉に手をかけるが、施錠されているのか、ぴくりとも動かない。
「ねえちあきち。もしかしてだけど」
思い出したように、みほろがスマートフォンを取り出す。何をするのだろうかと見つめていると、スピーカーからピアノの音が鳴った。イントロ、聞き慣れた声。洗練されたメロディと、脳内に降臨する山下達郎の宣材写真。おい、嘘だろう。
――シティポップがある限り、私は不滅です。
まさか、足りない最後のピースは、デリ子が神格化するシティポップの象徴こと山下達郎だというのか。奇跡を待ち望む感情と、こんなアホみたいな再会があるかと悪態をつきたくなる気持ちが胸の中で殴り合う。季節外れの名曲がサビを迎える。歌声が熱を帯び、力強い響きで胸に訴えかけてくる。
「この曲、いいよね」
みほろの言葉と共に、社殿の扉が開く。
現れたのは、装束を身に纏った。やけにファンキーな髪色をした。
「今回も、二ヶ月ほど待たされるのかと思ってましたよ」
ラブ・サイケ・デリ子なる縁結びの神様。少し恥ずかしそうに頬を掻きながら、社殿からぽよんと飛び降りる。縦横無尽に跳ねた髪が揺れ、陽だまりのような匂いが仄かに漂う。
「千晃さん、ありがとうございます」
桃色の双眸が俺を捉える。命を拾ったのも、記憶が残っているのも、何もかもが夢みたいだが、ちゃんと現実だ。そこに立っているのは、紛れもなくデリ子なのだ。
「わたし、もう絶対に駄目だと思ってました。でも、呼吸ができなくなったとき、千晃さんや陽向さん、みほろさんの顔が浮かんできて、それから、それから……あぁ、もうそんなのはどうでもいいです!」
デリ子は賽銭箱を踏み台にして、罰当たりな跳躍をする。月を背にして飛んできたデリ子が、勢い良く脇腹に直撃した。じわりと広がる鈍痛に顔を歪めるが、ここまでびいびいと泣かれては、怒る気にもなれない。俺は桃色の頭を撫で回す。
「おかえり」
「久美浜デリ子、ただいま帰りました!」
「よく、耐えたな……本当に、頑張ったな」
とてつもなく大きな不安を背負っていたに違いない。神去病を患い、将来を閉ざされたばかりか、親交の深い神や人間からも忘れ去られていく。どれほどの苦痛だっただろう。どれほどの孤独を抱えたのだろう。デリ子の心中を慮ると、涙が止まらなくなった。
「褒めてください、崇めてください」
号泣しているくせに、言葉だけはやたらと偉そうなのも変わっていない。ああ、これでこそデリ子だ。謎の安心感を覚え、俺とみほろは吹き出してしまう。
「そういえば、御利益はどこから得たの?」
隣に寄ってきたみほろが、デリ子の頭をわしゃわしゃと撫でながら問い掛ける。
そうだ、デリ子はどんな方法で命を繋いだのだろうか。俺が質問を重ねると、デリ子は懐から小さな御守を取り出した。そこには、北野天満宮の名と『延命長寿御守』の文字が刺繍されている。
刹那、ミーさんの姿が頭の中に蘇る。赤ら顔で帰宅して、肛門のような笑顔を作りながら、お土産と称して半ばむりやり手渡してきた御守だ。しかも、俺が受け取った御守とは御利益が異なるではないか。
「全部、お見通しだったのかもしれませんね」
つまり、デリ子に渡した延命長寿の御守に、あらかじめ御利益を注ぎ込んでいたのか。たしかに、延命長寿の御利益はデリ子の状況とぴったりではあるが、あの時点で対策していたなんて文字通りの神業だ。
「はは、凄すぎるだろ……」
笑うしかなかった。かの菅原道真公の御利益ならば、予備電力どころか、デリ子が縁結びの御利益を扱えるほどの量が備わっているだろう。
「じゃあ、出町柳で起きた騒動は、お前の御利益じゃなくて」
「ミーさんから提供された御利益を、私が得意とする形で放出しただけですよ。店舗オリジナルの牛丼みたいなものです」
鼻水を俺の服で拭いながら、デリ子が言い放つ。相変わらず有り難みに欠ける説明ではあるが、わかりやすい。ミーさんは京都の町だけでなく、デリ子や俺たちの命までをも守ったのだ。
「……偉大な神様ですよ、ほんと」
苦笑いと共に、デリ子はふぅと息を吐く。尊敬の念でもあり、規格外の神に対して呆れている様子でもあった。
「さあ、千晃さん。お家に帰りましょう」
どこまでも厚かましい神が、むにむにした手のひらを差し出してくる。それは俺の台詞なのだが、今日ばかりは勘弁しておいてやろう。
俺がデリ子の手のひらを握ると、いつか見た桃色の光が大元宮を包みこんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます