もう会えないって、こんなに辛いんですね
厄災が消滅した。
この一報は神々のネットワークを駆け巡り、皆一様に胸を撫でおろしたそうだ。なぜこのような大事な任務を新米に任せていたのかと疑問だったが、あの天神様が指揮する部隊となれば、これ以上の適任はいなかっただろう。ミーさんはデリ子の監視をしつつ、娘である福の神を退治するために、全国各地の天満宮を飛び回り御利益を回収していたのだ。
大元宮には落雷の痕跡がくっきりと残っていたが、ミーさんと茶山さんの遺体は見つからなかった。地面がえぐり取られるように荒れていたので、跡形も残らなかったのかもしれない。反転した御利益については、しばらく京都の町に残るらしい。とはいえ、大騒ぎするほどの祟りにはならないとハートは説明した。
「じゃ、僕は僕でまだまだ用事があるから」
大元宮の調査を終えたハートはそう言い残し、ぱちんと指を弾きながら去っていく。事後処理が山ほど残っているのだろうと、やけに饒舌になったヘルちゃんが答えてくれた。
帰宅してからも、デリ子の表情は晴れないままであった。無理もない。突きつけられた事実が多すぎるのだ。自身の御利益が突出していたこと。恋愛運の神様ではなかったこと。新米だと思っていたヘルちゃんやハートが、実はデリ子より先輩だったこと。
そしてなによりも、ミーさんと茶山さんの死。死んだ神がどうなるのかわからないが、デリ子の反応を見る限り、もう二度と会えないのだろう。ミーさんと過ごした日々は短いし、茶山さんと交流した記憶はぼんやりとしている。そんな俺でも悲しくなるのだ。デリ子が抱える感情は、俺とは比べ物にもならないはずだ。
「おかえり。千晃にい、デリちゃん!」
俺達が無言のまま帰宅すると、陽向が笑顔で出迎えてくれた。その暖かさに、冷たくなった心が少しだけ解けていく。
「昨日、ミーさんが長五郎餅を買ってきてくれたんだってね。お母さんがめちゃくちゃ喜んで、今日はミーさんの好物を並べちゃうって張り切ってたよ」
陽向は「美味しいご飯だよー」と歌いながら、ぱたぱたと自室へ戻っていく。俺はミーさんの好物を知らないが、ご馳走を予感させる香りが玄関にも充満している。ミーさんが生きていれば、ヒゲまみれの顔をくしゃくしゃにさせ、喜んでいたはずだ。
「千晃さん」
「……どした」
「もう会えないって、こんなに辛いんですね」
涙を堪えるように放たれた言葉は、いつもより大人びた響きを帯びている。人には寿命があるが、神に明確な寿命は無いのだろう。なにせ、千年以上前の偉人である菅原道真が生きていたくらいだ。離別など、初めてに違いない。俺はぷるぷると震える桃色の頭を、優しく撫でてやるしかできなかった。
ミーさんと茶山さんが亡くなってから五日が過ぎた。家族には、ミーさんは任務を終えて帰還したと伝えている。母さんは「挨拶もできないなんてねぇ」と悲しんでいたが、またふらっと遊びに来てくれると信じている様子でもあった。茶山さんに関しては、正直よく覚えていない。信仰されたまま死を遂げたミーさんと異なり、神去病を患ったまま命を落としたからだ。
今では、スマートフォンのメモと僅かな記憶だけが、茶山さんを構成している。アルバイト先でも、学校でも、話題になっている様子はない。だが、なんとなく忘れてはいけない気がした。
意気消沈していたデリ子も、少しずつ元の調子を取り戻している。二日ほど食欲不振に陥っていたようだが、昨日は勝手に冷凍庫を開けてアイスを貪っていた。しかも母さんが買い与えたものではなく、俺が後で食べようと購入したものである。この厚かましさを取り戻したのなら、もう大丈夫だろう。
「千晃にい、準備できた?」
俺の部屋のドアがノックされる。
「今から出る」
陽向にも、ミーさんの正体は伏せてある。福の神の件については、他の神が片付けてくれたと嘘をついた。無用な悲しみを背負う必要はないと、判断したからだ。デリ子もみほろも、口裏を合わせてくれている。
「ほら早く。みほろさんとデートでしょ?」
「デートってほどでも……」
「意識しあう男女が二人で出掛けるのはデートなの!」
ぴしゃりと叱られる。
「まあ、そうかもしれんが」
「そうかもしれんじゃなくて、そうなの。ほんと、千晃にいを気に入ってくれる人なんてレアだよ! 絶対に逃しちゃダメだよ!」
陽向はどうにかして、俺とみほろをくっつけたい様子だった。俺としても付き合うのはやぶさかではない。ルックスは言わずもがな、掴み所のない性格や、人としての温かさ。何かとネガティブ思考に陥りがちな俺の手を引っ張ってくれるところ。もはや惹かれているどころの話ではなく、好きだと断言してもよいだろう。
「じゃ、バス停まで一緒に行こっか」
陽向の髪が揺れる。毛先をコテで巻いているのか、いつもよりふわふわとしていた。河原町で友達と買い物らしい。俺と陽向が一階に降りると、ソファでデリ子がだらりと寛いでいる。デリ子はこちらに気が付くと、棒アイスを口に咥えたまま「お出かけするんですか?」と問うてきた。
「みほろと出掛けてくる。陽向は買い物だとよ」
「あ、じゃあ私の服も見繕ってくれませんか」
「任せてデリちゃん。可愛いの選んでくるね!」
デリ子が服を欲しがるのは、来年の節分祭まで久美浜家に居座る決意を固めたからだろう。日々を怠惰に過ごしているのは頂けないが、妙な安心感が芽生えているのも事実だ。
「あの。晩ごはんまでには、帰ってきますよね?」
デリ子が恥ずかしそうに呟く。妙に寂しそうである。俺が「なるべく早く帰るよ」と言うと、デリ子は少しだけほっとした様子を覗かせ、「仕方ないのでお見送りしてあげましょう」と身体を起こした。桃色の前髪がはらりと動き、大きな瞳が顕になる。目の下は、はっきりと隈で縁取られている。
「お前、まだ眠れてないのか?」
「そうなんですよねぇ」
「まあ、色々あったからな」
「本当ですよ。ミーさんがあの天神様とは知りませんでしたし、福の神と親子ってのも教えてもらってませんでした。なんだか私だけ、蚊帳の外じゃないですか」
デリ子は小声でぷりぷりと怒る。とはいえ、あとは時間が解決する問題だ。俺にできるのは、気晴らしに付き合ってやるくらいしかない。帰ったら、音楽の再生方法を教えてシティポップをたんまり聴かせてやろう。
「じゃ、行ってくるぞ」
間延びした「いってらっしゃい」を背中で受け止めながら、玄関で靴を履く。靴紐を新調したばかりの、お気に入りの白いスニーカー。俺は鼻歌交じりで蝶々結びを施していく。最後の仕上げにぐっと力を込めた瞬間、ぶちりと嫌な音が鳴り響いた。
手に残ったのは、引きちぎれた靴紐の先。
「おい、嘘だろ……」
俺の呟きに、陽向が「また切れたんだ」と大笑いした。なにかの御利益が裏返っているのだろうか。やおよろズの面々を思い浮かべるか、そもそも御利益が不透明だ。最初に教わった五つの運も、デリ子が恋愛運の神様でない時点で前提が覆ってしまう。ヘルちゃんでさえ、金運でない可能性がある。
一体、どの運気が上昇しているのか。点滴まみれの女はいつ顔を出すのか。まだまだ疑問は尽きないが、今はそれどころではない。白のスニーカーが履けないとなれば、コーディネートを変える必要がある。俺は陽向に断りを入れ、猛スピードで自室に戻った。
◇
「千晃にい、走って!」
前を走る陽向が、振り返らずに叫ぶ。俺のせいで、乗車に間に合うかどうかの瀬戸際に陥っている。どうやら、今週の俺は全力疾走と縁があるらしい。御蔭通を右に折れる。びゅんびゅんと走り抜ける車を横目にしながら、数百メートル先にあるバス停を目指した。数分間駆け抜けたところで、目の前にある青信号が明滅する。頑張りの甲斐もあり、なんとか間に合うだろう。俺と陽向はニヤリと口角を上げ、拳を突き合わせた。ゴールデンウィークに突入した京都の空は、雲一つない快晴で澄み渡っている。火照った身体を爽やかな風が冷やしてくれた。なんとも清々しい休日の始まりだ。
「今日、告白しちゃえば?」
陽向が肩で息をしながら、ぶっ飛んだ提案をする。
「いやいやいや、それはまだ早くないか」
「今どき、期間なんて関係ないよ」
「そういうもんなのか……」
俺はふむと考え込む。陽向も恋愛とは無縁のはずだが、妙に造詣が深い。女子とは得てしてそういう生き物なのか、裏で恋仲が存在するのかは定かでないが、アドバイスに従ったほうがよいかもしれない。それとは別に、もし陽向に恋仲がいるのならば、兄として相手を見極める必要がある。俺は重々しい空気を作りながら、陽向に質問した。
「陽向は、好きな人とかいるのか」
「秘密。いたとしても教えたら発狂するじゃん」
「する。相手を肉片にしてしまうかもしれん」
「少年法の是非が問われるね」
陽向が呆れた表情を見せる。
「やっぱり、千晃にいに恋愛は無理かもよ」
「何を言うか。めちゃくちゃできるわ」
「でも、女子が喜ぶ恋愛テクとか知らないでしょ?」
挑発するような視線。たしかに、俺はその手のテクニックなどほぼ知らない。だが、妹にここまで小馬鹿にされて黙っているわけにもいかない。兄は、常に尊厳を保たなければならないのだ。俺はデリ子と初めて会った日に教わった、唯一のテクニックを披露する。
「おぉ」
陽向の肩を持ち、すっと立ち位置を交代する。デートの際に男が車道側を歩くのは、基本中の基本らしい。
「やるじゃん。どこでそんなの覚えたの」
「お兄ちゃんをナメるでない」
「あ……デリちゃんでしょ?」
ずばり言い当てられ、返事に窮してしまう。
「やっぱり。千晃にいに恋愛はまだ早いよねぇ」
「早くないわ、むしろ遅かったくらいだ」
「どうせ告白なんてできないでしょ」
「できる」
「無理だよ」
「じ、じゃあ今日みほろに告白してやる!」
そう言い放った瞬間、陽向がニタリと口角を吊り上げる。まさに売り言葉に買い言葉、陽向の術中に、まんまとハマってしまったようだ。
「言質とったよ、頑張ってね!」
陽向が「作戦成功だよ」と、ぴょんぴょん飛び跳ねる。帰宅して「やっぱ言えなかった」などと口走った瞬間、ヘタレのレッテルを貼られてしまうだろう。完全に退路が断たれてしまった。まあ、みほろが好きなのは確かだ。御利益で感情を操作されているなどと、言い訳しがちな俺にとっては、良いきっかけだろう。そう割り切りつつ頬をぱちんと叩いた。俺は陽向に礼を述べようと、視線を横に向ける。
その刹那、黒い乗用車が猛スピードで迫ってくるのを察知した。
歩道を乗り上げ、眼前に広がる車体。
俺は咄嗟に、陽向を安全圏に付き飛ばそうと躍り出た。
「ひな――」
俺の目は、青空を捉える。何が起きたのか。理解するより早く、身体が宙に浮く。ぐるりと反転する視界が、陽向の姿を映し出す。だらりと垂れた手先と、花火のように開く髪。全てがスローモーションで再生され、感覚が置き去りになり、やがて追い付いた。
最初に感じたのは、全身を貫く激痛。次に飛び込んできたのは、周囲の絶叫。ひび割れたフロントガラスの奥で、見覚えのある運転手が目を見開いている。ブレーキの音が、すべてを引き裂いていく。なんで、よりによって――歩道側の陽向に。ぐしゃりと、何かが潰れるような嫌な音。アスファルトに叩きつけられた陽向から、白い花びらが舞い散る。それが現実なのか、錯覚なのかはわからない。
陽向。
俺の身体が後を追うように落下する。鈍い音と全身が破裂したような痛み。薄れゆく意識の中、俺は何度も陽向の名前を呼び、手を伸ばし続けた。
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