自白剤とかないのか

 今朝方に見た幻覚はなんだったのか。

 神と繋がった故に発現した未来予知の類だとすれば、なんとしても回避せねばなるまい。不快感を振り払うように決意していると、いつのまにか放課後を迎えていた。視界の端からみほろが寄ってきて、いきなり右耳にイヤホンをねじ込んでくる。知らない曲である。俺はイヤホンを外し、何事かと問う。


「ヘルちゃんが好きなんだってさ」

「誰の曲?」

「大貫妙子」


 知らない歌手だった。調べてみると、四十年近くも前の曲らしい。


「ちあきち、今から辿るんだっけ」

「そうらしいけど、具体的に何をするのか聞いていない」

「嗅ぐみたい」

「……なにを?」


 素早く聞き返すが、みほろは口を閉ざしてしまう。まさか警察犬のように、地面を嗅ぎながら移動するわけではあるまい。


「……ちゃんと、たくさんの人と会話した?」 

「したけど」

「じゃ、ちあきちの家に行こ」

「何をするか、みほろは全部知ってるのか」

「うん。ヘルちゃんが教えたくれたから。まあ――ちあきちには、酷な話かも」


 不穏な言葉がのしかかる。詳細を聞けども薄ら笑いを浮かべるだけで、何も答えない。校舎を出て、道を歩いても、バス停に辿り着いてもみほろは答えてくれなかった。「大丈夫だから」と励ましてくるが、大丈夫かどうかは俺が決めるものだろう。もやもやした感情を捏ね回していると、自宅へ向かうバスが流れ込んできた。


 みほろと連れ立って帰宅すると、リビングで三人の神様がテーブルを囲っていた。デリ子と、ヘルちゃんと、健康運を司るミーさんだ。ミーさんは首元がよれた白のカットソーと、作業着のような野暮ったいチノパンを合わせている。神だと知っていても、普通のオッサンにしか見えない。ミーさんは俺に気付くと、ヒゲ面をくしゃりと歪ませて頭を下げる。


「いやあ、千晃くん。心配かけてすんませんなぁ」


 ただでさえ細い目がさらに薄くなり、眉間の中心にぎゅっと集まる。肛門みたいな笑顔だと思った。


「もう大丈夫なんですか」

「完璧とは言えんけど、なんとか動けるで。まあ、あと数日くらい健康運が悪いのは堪忍してや」


 そう言いながら、ミーさんがげほげほと咳込む。リハビリも兼ねて社殿から出てきたらしい。俺は台所に居た母さんを捕まえて、小声で会話をする。


「なんで家に上げたの」

「だって、自分のことを神様って言ってたし」

「神を自称する中年男性を簡単に信じちゃ駄目だ」

「でも……って、そちらのお嬢さんは?」


 母さんは目を丸くしながら、俺とみほろを交互に見比べる。


「はじめまして、笠置みほろと申します」


 みほろが頭を下げると、母さんの目尻の皺がさらに深くなる。「あらあら」と言いながら、俺の胸を叩く。盛大に勘違いされている。


「帰ったらお話を聞かせてね。お母さんは高島屋に行ってくるから」


 母さんはそう言い残し、リビングを後にした。慌ただしい人である。俺はコップを二つ取り出し、お茶を注ぐ。戸棚から適当に煎餅を摘んで、みほろに差し出した。


「さて、千晃さん。色んな人と交流しましたか?」

「うん。できる限グェッ」


 俺の返答を聞き終えるよりも早く、桃色の頭が下腹部に直撃する。デリ子は謝りもせず、俺のブレザーをくんくんと嗅いでくる。


「おい、なんなんだ」

「じっとしてください」

「ちあきち、これは必要なことだよ」


 わけがわからない、俺が悪いのだろうか。困惑する俺をよそに、デリ子はブレザーに鼻を擦りつけながら俺の身体を二周する。最後にもう一度鼻を鳴らすと、顔をばっと離して何度も頷く。そして不気味に笑う。


 ぱちん。


 ここでなぜか、ヘルちゃんとハイタッチをした。選手交代のようにヘルちゃんが前に出る。デリ子と同じ要領で俺のブレザーを嗅ぎ、どこか不満そうに首を傾げた。


 ぱちん。


 そして当然のように、ヘルちゃんはミーさんとハイタッチをする。山のような巨体がのしのしと前に出てくる。


「――いや、待て、やめろ!」


 あまりにも自然な流れに、危うく身を任せるところだった。あと数秒判断が遅れていれば、精神的苦痛で即死していただろう。


「どうしたんですか」

「いや……そもそも、何をしてるんだ」

「千晃さんの運に引き寄せられた残滓を嗅いでます。ヘルちゃんは嗅ぎ取れなかったようですが、私は福の神の残滓を感じました。つまり、千晃さんと福の神は恋愛運で結ばれています」

「それはもう、確実なのか」

「はい。私の御利益なので間違いありませんね」

「じゃあ、もうミーさんが嗅ぐ必要はないよな」


 デリ子が手にしたマグカップをテーブルに置くと、かちゃんと音が鳴った。


「……みほろさん、今です」


 デリ子の合図で、みほろが俺を羽交い締めにする。


「千晃さん。試行回数を増やせば増やすほど、精度が増します。これは必要な犠牲です。京都のために割り切ってください」


 デリ子の声と共に、ミーさんが鼻を鳴らしながら近寄ってくる。大猪のようなオーラに気圧されて、一言も発せなかった。


「千晃くん。すぐ終わるから、堪忍してや」


 ぶぼっ。

 掃除機のような吸引音がひとつ鳴る。その後の記憶は無い。


   

 目を覚ました俺の身体に繋がっていたのは、桃色の糸だった。半透明で、てかてかと発光している。手繰り寄せようとしても掴めない。出どころを目で追うと、あろうことかリビングの壁を貫通していた。しばらく呆然と眺めていると、頭の上から声が降ってくる。


「気が付きましたか、千晃さん」


 視線を流し、椅子の上でふんぞりかえるデリ子を捉える。


「その糸は、千晃さんと福の神を繋ぐ御利益を可視化したものいひゃいいひゃい、え、なんでつねるんでふか」 


 一度ならず、二度も純潔を奪った罪は重い。むにむにと引っ張っていると、涙目で「ごめんなひゃい」と謝ってきたので仕方なく離してやる。


「……で、この糸を辿ればいいのか」

「はい、そうです。切っても切れないものですよ」


 桃色の糸は福の神と繫がっているらしい。こんな便利な機能があるのならば、そこまで焦る必要は無かったのではないか。俺がその疑問をぶつけると、デリ子は苦い顔をする。


「実は、見つけてからが問題なんですよね」

「どういうことよ」

「福の神は、病を患っていると伝えましたよね。その病がわからなければ対策すらできません。欲を言えば、天界から逃亡した理由も聞き出したいですし」


 つまり、病名と逃亡理由の二つが必要なのか。逃亡した神が簡単に口を割るとは思えない。


「自白剤とかないのか」

「そんな物騒なものありませんよ」

「なら、デリ子の交渉術に期待するしかないな」

「私は行きませんよ。オフですから」


 デリ子がいけしゃあしゃあと言い放つ。


「みほろさんとヘルちゃんも、今日は一緒に行動できないらしいです」 

「えっ、なんで?」


 反射的にみほろを見やると、なんでもないように呟かれる。


「ヘルちゃん連れて美容室に行くから。髪の毛を切りたいってさ」


 ミーさんが「女の子やしなぁ」と同意する。見た目に気を遣いたいのはわかるが、今日じゃなくてもいいのではないか。俺はやんわりと抗議するが「ちあきち、女心だよ」とみほろに一蹴される。

 では、この毛達磨と仲睦まじく桃色の糸を辿れというのか。大罪人が落ちる地獄か。だいたい、恋愛運で繋がっているということは、福の神は俺と同年代なのだろう。ミーさんが女子高生を追跡する光景は、通報でさえ生ぬるい。国が違えば銃撃されても文句は言えまい。


「千晃くん、おっちゃんに任せとき」


 俺の苦悩をよそに、ミーさんは山賊のようにがははと笑った。一体どうするつもりだろう。路地裏で攫うつもりならば、バットで殴り倒してでも止めなければならない。そんなバイオレンスな決意を固めていると、デリ子が爆発音のようなくしゃみを連発した。


「ぶぇくしッ!」


 小さな鼻から、透明の鼻水をたらりと垂らしている。


「デリ子。もしかして風邪か?」

「花粉症だと思います、たぶん。私達の御利益は、人間界の病気では反転しないので安心してください」


 デリ子はテーブルの上のティッシュをむしり取り、ちーんと鼻をかむ。確か、初めて会った際もくしゃみをしていた。ただでさえ様々な運勢が悪いのだ。これ以上の悪化は避けたいところである。


「千晃くん、とりあえず出よか」

「……はぁ」


 気乗りはしないが渋々賛同し、糸を辿ることにした。戸締まりをデリ子に任せ家を出る。神宮丸太町の美容室に向かうみほろ達を見送ってから、糸が伸びるほうへと歩き出す。どうやら、福の神は北西の方角にいるらしい。


「千晃くん。今回の件、どれくらい知ってるんや」


 その声で振り返った俺は、ミーさんの真剣な眼差しを認めた。細い瞼の奥にある瞳が深淵のように黒い。印象の変化に戸惑いながらも、デリ子から聞いた情報をかいつまんで伝えた。


「なるほどな。じゃあ、病気のアタリもついとらんか」

「ミーさんはわかるんですか」

「多分、神去病かむさりびょうやと思うわ。これはな、人間からの信仰心が蓄積されんくなる病気や。読んで字の如く、神が忘れられて記憶から去ってまう。発症したら致命的やな」


 告げられたのは、予想以上に重い病。どう受け止めるべきか悩んでいると、ミーさんが「他のやおよろズには秘密にしといてや」と付け加える。


「どうしてですか?」

「あの子らは、若いやろ。半端な同情心は思考を鈍らせる。福の神がホンマに神去病を患ってるなら隠されへんけど、まだ伝える段階とちゃう」


 信号が赤に変わる。俺の隣に並んだミーさんは、チノパンのポケットからくしゃくしゃの煙草の箱を取り出した。路上喫煙を咎めようとしたが、あまりにも様になっていたので、止めることができなかった。今のミーさんには、得体の知れないダンディズムが漂っている。


「普通な、神が天界から逃げることはない。あるとしたら、罪を犯したときか――神としてのプライドがズタズタになったときや」


 煙草の煙が、京の夕空に溶けていく。


「ただ、福の神が罪を犯した情報は上がってきてない。そうなれば後者や。福の神は、百年に一度の傑物って評されたくらい能力が高い。要するにバケモンや。数人で監理する御利益を、一人で扱えてまうレベルのな」


 たしか、福の神は京都を担当しているとデリ子が言っていた。管理体制の詳細はわからないが、福の神が規格外であることは理解できる。


「そんで、福の神は若い。若いから危うい。神去病は若者特有の病気や。神の能力が、身体の成長を遥かに追い越してしまうのが発症の原因になるらしいわ」 


 信号が青に変わり、俺達は桃色の糸を辿りながら歩き出す。ミーさんの大きな影が横断歩道を覆い隠した。


「将来を嘱望されてたのに、病気で理不尽に扉が閉ざされてしまう。自暴自棄になって逃げてまう気持ちも、わかるやろ?」


 泣き笑いのような表情を見せる。福の神に対して、同情心が芽生えているのだろう。そんなミーさんを見て、自分の心が急速に冷えていくのを感じた。理解はできるが、共感できない。


「同情はしますけど……それで俺達の世界が不幸に晒されるのは、納得できないです。陽向の身に何かあったらと、考えるだけで手足が震えますから」


 そう発言しながら、気づいてしまう。もし、家族や友人に取り返しのつかない不幸が訪れたら、福の神を絶対に許せないと断言できる。神とはいえ、他人なのだ。


「そりゃそうや。まごうことなき正論や」


 周りの人が振り向くほどの大声。ミーさんの言葉は、自分に言い聞かせているような気がした。

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