言い訳が異次元すぎるよ!

カップラーメンは、叡智の結晶である。

 お湯を注ぐだけで完成するお手軽さと、飢えた胃袋をしっかり掴む味の濃さ。日本が誇るスーパーフードと言っても、差し支えはないだろう。


「なんですか、これ」


 そんなカップ麺を前にして、デリ子は困惑気味の表情を浮かべている。


「まあ、食べてみろって」


 不満そうなデリ子に割り箸を渡す。デリ子はゆっくりと麺を口に運び、もにょもにょと咀嚼する。無言のままもう一口。カップの縁に口をつけ、スープを一口。さあどうだ。


「可もなく不可もない味ですね」


 反射的にチョップをお見舞いしてしまう。


「いっだ! 何するんですか、率直な感想を口にしたけじゃないですか!」

「うるせえ。お礼の一つくらい言いやがれ」

「契約内容に含まれてるんだからお礼なんていひゃい、ちょっと、危ないです、こぼれる。いや、ほんとすみませんでした、クソデリシャスです!」


 契約の二文字を盾にしてくるが、俺は口車に乗せられて握手しただけだ。印鑑はおろか書面すら見ていない。子どもをいじめる趣味はないが、初日につけ上がらせると後が怖い。いまでさえ、どこからかラジカセを引っ張ってきて勝手に山下達郎をエンドレスリピートしているのだ。気が狂うからやめろと言っても、聞く耳を持ちやしない。俺は躾の意を込めて、念入りに頬をつねり上げる。

 その瞬間、廊下から足音が響いた。


「ちょっと千晃にい、さっきからうるさい……」


 部屋の扉が不意に開く。

 隙間から顔を覗かせた陽向が、目を見開いて固まってしまう。

 秒針の音が部屋を支配する。背筋を冷たい汗が伝う。

 デリ子の存在は陽向に伝えていない。こんなファンキーな髪色をしたガキを「拾ってきました」などと説明できるわけがないからだ。


 ――ずるずるずる。


 デリ子が麺を啜る音を合図にして、久美浜家の時が再び動き出した。陽向がずんずんと部屋の中に乱入し、俺に顔を近づける。


「千晃にい、児童ポルノ禁止法って知ってる?」

「待て、誤解だ」

「彼女を作るって意気込んでたけど、まさかこんな小さな子を……」

「違う! こいつはその、恋愛運を司る神様で」

「言い訳が異次元すぎるよ!」


 駄目だ、濡れ衣が乾かない。

 俺がどれだけ弁解しても、陽向の視線は湿度が増していく。こんなちんちくりんに、劣情を抱くはずがない。腹立たしいことに、当の本人は他人事のようにカップ麺をずるずる啜っている。なんだこいつ、本当は疫病神じゃないのか。


「おいデリ子、神っぽいことをしてくれ。浮かんだり光ったりしろ」

「雑なことを言いますね。そんなの無理ですよ」


 このままだと兄としての威厳は地に落ち、穴を穿ち、マントルで焼失してしまう。脳をフル回転させながら打開策を探していると、スマートフォンから着信音が鳴り響いた。みほろである。陽向を見やる。目で「出なよ」と促している。


「……もしもし」

『ねえちあきち。神って何を食べるのかな』

「ヘルちゃんは、何も教えてくれないのか」

『水でいいですって言ってる』


 なんという慎ましさか。どうやら俺は、預かる対象を間違えたようだ。


「千晃さん、なにか問題でも発生したんですか? ずぞぞぞぞ」


 デリ子が耳元で麺を啜ったせいで、熱々の汁が飛んでくる。


「あっづぃ!」


 俺が身をよじると、げらげらと爆笑しやがる。蹴っ飛ばしてやろうか。


「……みほろ、スピーカーにしていいか?」

『うん』


 そもそも、俺を通訳に挟む必要はないのだ。スピーカーモードに切り替え、みほろとデリ子で会話してもらうことにした。その様子を、陽向が不思議そうに眺めている。


「千晃にいが、女の人と連絡先を交換してる……」

「話せば長くなるが、節分祭で会った子だよ」

「もしかして、彼女さん?」

「まだ付き合ってはないけど」

「まだ? まだってことは予定はあるの?」


 陽向が瞳を輝かせながらぐいぐいと詰め寄ってくる。今はそれどころじゃないのだが、説明せねば追及は終わらないだろう。俺は深呼吸してから、陽向に経緯を伝えた。


「へぇ、そんなこともあるんだねぇ」


 みほろの存在を挟むだけで、説得力が増したらしい。神や御利益などのトンデモ現象も、素直に受け入れている様子である。なんだか釈然としないが、威厳の失墜は免れただろう。


「千晃さん、これってどうすればいいんですか」


 デリ子とみほろの会話も終了したようで、すでに電話は切れていた。なんだか、どっと疲れが増してしまった。


「みほろになんて伝えたの」

「お刺身やお肉が好きですって伝えました」

「そうか。うちでは期待するなよ」


 呆れながら陽向に視線を戻すと、相変わらず瞳がキラキラと輝いている。これは間違いなく、神という未知の存在に興味を抱いているご様子だ。


「デリちゃんって本当に神様なの?」

「そうですよ。恋愛運を司ってます」

「えー、すごい!」

「ふふふ。信仰してください」


 薄々感づいていたが、デリ子はちやほやされると調子に乗るタイプらしい。


「信仰したらどうなるの?」

「存在が強固になりますし、御利益も強くなります」

「じゃあ逆に、誰にも信仰されないとどうなるの?」

「信仰されなければ、人々から忘れられます。田舎にあるような、朽ち果てた神社を思い浮かべるとわかりやすいかと」


 ネットを漁っていた際に、偶然見つけた廃神社の存在を思い出す。確かに、あのような状態になれば誰からも信仰されることはない。心霊スポットとしてマニアから人気を博す可能性は否めないが、そこにあるのは好奇心だ。神として崇める気持ちは微塵もないだろう。


「じゃあ、忘れられた神様はどうなるの?」

「認識できませんし、触れられません。人間の記憶から抜け落ち、いずれ死に至ります。文献には残るかもしれませんが、ただの文字の羅列に意味なんてありません」


 神でも人間でもない存在が、誰からも認識されずに息絶えていく。あまりにも悲しすぎる末路を、福の神も辿るのだろうか。そこでふと、嫌な可能性が頭の中に浮上する。


「なあデリ子、京都は保ってあと一ヶ月だと言ってたよな。それってまさか……」


 デリ子が、俺の言葉の続きを察したように頷く。


「はい。私達が福の神を認識できる期間です。病状の進行具合は予想なので、正確ではありませんけど。ただ、早く見つけて対処しないと、不可視の厄災になるのは間違いありません」

「死んだとしても、厄災は終わらないのか」

「――終わらないです。そうして御利益が反転して残ったものを、人間は呪いや祟りとして恐れています」


 カップ麺を床に置き、少し長くなりますよと前置きをする。デリ子が語り始めたのは、学問の神様として名高い菅原道真の真相だった。


 今でこそ天神様の愛称で親しまれている道真だが、元々は大怨霊として恐れられていた。藤原時平を病死させたり、清涼殿に雷を落としたりと、エキセントリックな方法で朝廷を呪ったとされる。見兼ねた朝廷は、道真の怨霊を鎮めるために北野天満宮を建立した。怨霊として恐れるのではなく、神様として崇めることでご機嫌を取ったわけだ。その後、災害が発生するたびに天神様を祀る神社が、全国にぽこぽこと建立された。


 以上が日本に伝わる史実だ。しかし、これは表向きの話らしい。


「天神様が災害を引き起こしているのは呪いではなく、体調不良で御利益が反転していただけです。人間が都合よく脚色して、全国に似たような神社を建ててますけど……」


 デリ子は少し呆れた様子を見せながら「そのせいで天神様がどこにいるのか、全くわからないんですよ」と付け加えた。


「じゃあ、北野天満宮に道真様はいないの?」

「基本的にいませんね。天満宮は全国に一万以上あるので飛び回ってます。ですが、天神様の御利益はそれぞれの神社に残っているので、私達のような新米の神が数人で管理しています」


 わりと時給が良いんですよと笑っているが、俺は笑えなかった。由緒正しき神社の御利益が、アルバイトに管理されているとは。歴史を揺るがすほどの事実を、どう受け入れて良いのかわからない。


「創業者が生み出したレシピを、全国のチェーン店で受け継いでいる感覚ですね。やおよろズが千晃さんに提供しているのは、牛丼みたいなものですよ」


 デリ子は軽い口調を崩さぬまま話し終え、カップ麺のスープを飲み干した。まだまだ聞きたいことはあるが、これ以上詰め込むと頭がパンクする。明日、みほろと一緒に要点をまとめることにしよう。


「デリ子、明日なんだけどさ」

「あ、私はお休みを頂きますよ。シフトなので」

「じゃあ、誰が出勤してるんだ」

「ヘルちゃんと、ミーさんですね」

「……ミーさんとは」

「健康運の神様ですよ。テイク・オン・ミーさんです」


 俺の脳裏を、巨大なナメクジが這い回る。

 なんだその名前。くじ引きで決めてんのか。


 

 慌ただしい邂逅から一夜明けた朝。目を擦りながらリビングに向かうと、すでに陽向が食パンを齧っていた。普段は俺より起きるのが遅いのに、今日はやたらと早起きだ。珍しいこともあるもんだと思いながら席に着くと、母さんが焼き立てのトーストを出してくれた。


「千晃さん。いちごジャム塗りますか?」

「うん」


 斜向かいの席に座るデリ子から、いちごジャムの瓶を受け取る。

 いや、待て。


「なんで、ここにいる」

「今日から久美浜デリ子になりましたので」

「お母さんがね、デリちゃんもご飯食べて良いよって」


 なるほど、陽向が伝えたのか。よほどデリ子を気に入ったらしい。昨日だって、自分の部屋で一緒に寝ている。押入れに詰めて寝かせる話をしたら、こっぴどく怒られたほどだ。


「母さんにどう説明したの」

「フツーに、恋の神様だよって」

「……そうか」


 なぜその説明で受け入れたのかと母さんを問い質したいが、もはや突っ込むのも面倒臭かった。


「千晃さん。今日の私はオフなので、あまりお手伝いできませんが頑張ってくださいね」


 珈琲を啜りながら、やる気のないエールを飛ばしてくる。


「じゃあ、今日はデリ子の御利益が無いのか」

「昨日の残りがちょっとだけ作用するかもしれませんが、基本的には無いですね。金運と、裏返った健康運が今日の御利益です」


 それは御利益と言っていいのだろうか。早く病気を治してほしいが、あのオッサンの世話を考えると一生寝込んでいてほしい気もする。


「それより、福の神を見つけるにはどうすればいい。動き方を何一つ決めてないぞ」


 コップに牛乳を注ぎながら、デリ子に問いかける。


「そうですね。今日は学校でいろんな人と接してください。授業が終わったら、みほろさんと一緒に帰ってきてくれれば大丈夫です。あとは私が辿りますので」

「辿る?」


 どういう意味だろうか。質問しても「オフの日なので!」と取り合ってくれない。もう少し具体的な説明が欲しかったが、デリ子に構っている時間はない。今日も今日とて、安全確保をしながら登校する必要があるのだ。ご馳走さまと告げてから、食器を台所に持っていく。


「あ、千晃にい。途中まで一緒にいこうよ」


 突然の提案だった。久々に訪れる陽向タイムに小躍りしそうになったが、思いつめたような表情を浮かべているのが気にかかる。俺は快諾してから、急いで身支度を整えた。母さんとデリ子に一声駆けて外に出る。しかし、なにやら空気が重たい。こうして並んで歩いているのに、会話が生まれない。あまりにも無言が続くので、適当な話題を振ろうとした瞬間、陽向が口を開いた。


「京都が危ないって、本当なの?」


 ああ、そういうことか。デリ子が居ないタイミングで、俺と会話がしたかったのだろう。


「たぶんな、嘘じゃないと思う」

「そっか。実はね――私の友達が入院しちゃったんだ」


 陽向の瞳が大きく潤む。入院したのは、先週のことらしい。命に関わる怪我ではないようだが、タイミングが気にかかったのだろう。入院と福の神が関係しているのかはわからないが、身近な不幸を結び付けてしまうくらいには、デリ子の話には説得力がある。


「千晃にい……私も手伝っちゃ駄目?」


 振り返ると、陽向の視線は真っ直ぐに俺を捉えていた。好奇心旺盛な陽向のことだ、協力を申し出るのは予想していた。だが、どんな危険が付き纏うかもわからない捜索劇に、首を突っ込ませるわけにはいかない。不承の言葉を口にしようとしたが、陽向に遮られる。


「千晃にいが、駄目って言うのはわかってる。でも、黙って見過ごすなんて無理だよ。こうしている間にも、どこかで不幸がばら撒かれて、誰かが苦しんでるんでしょ?」


 昨日デリ子から何を聞いたのか知らないが、折れそうになかった。本当はこの件に関わってほしくないのだが、デリ子が家に居る限り、進捗を隠し通すのは無理だろう。勝手に行動し、危険に巻き込まれるかもしれない。それならば、制限を与えた上で許可したほうが、守りやすい気がした。


「……わかった。その代わり、一人で勝手に動いちゃ駄目だからな」


 陽向の笑顔は、白い花がぱっと咲いたようで眩しかった。もう一度撫でようと、陽向の頭に手を伸ばす。


 ――が、触れられなかった。


 手が宙で固まり、動かない。暖かい風が吹いているのに、寒気を感じてしまう。脳裏に浮かんだイメージを、振り払うことができなかった。


「千晃にい、どうしたの?」

「いや、なんでもない。大丈夫だ」


 陽向は「変なの」と笑った。そのまま御蔭通まで出たところで別れを告げ、バス停へと向かう。どうやって辿り着いたのかも覚えてないくらい、注意力が散漫していた。バスに乗車してからようやく、安全確保が頭から抜け落ちていたことに気が付いたくらいだ。


「大丈夫だ、大丈夫」


 自分に言い聞かせるために、何度も呟く。しかし、頭に浮かんだ映像は中々消えず、むしろ時間が進むにつれて鮮明になっていく。なぜ、陽向に手を伸ばした瞬間、白い花びらが散る想像をしてしまったのだろうか。もう一度「大丈夫」と呟こうとするが、声にならない。窓の外に視線を移すと、花びらを拾い集める自分の姿が見えた気がした。

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