高校生ってさ、無敵なんだよ

 季節は進み四月。

 晴れて柳高校の一年生となった俺は、桜が舞う通学路で食パンを咥えた女子高生と衝突していた。なんと、本日すでに三度目である。何度も頭を下げ、波風を立てずにやり過ごす。ここで言い争えば、教室で偶然再会して「あー、あのときの変態!」と叫ばれるオチが待ち受けているのだろう。三重奏で。


 おかしい。ここのところ全てがおかしい。思い返せば、入試問題だっておかしかった。直前に勉強していた範囲が全て出題されたのだ。本来ならヤマが当たったゼと喜べるだろうが、得体の知れない幸運が二ヶ月も続けば話が変わる。道を歩けば美少女とのイベントに発展するし、俺と陽向のお小遣いは理由もなく倍増した。朝の報道番組の占いに至っては、ずっと一位をキープしている。蟹座、蟹座、蟹座。留まることを知らない甲殻類への忖度は、社長が蟹漁師に代わったのではとネットで噂されるほどだ。


 人生における幸福の総量は、誰しも定まっていると聞いた。それが事実なら、今の俺は幸せのエナジードリンクをガブ飲みしている状態だ。前借りの後に待ち受けるのは破滅しかない。運気のしっぺ返しを想像してしまい、寒気に襲われる。タイミング良く青に変わる信号に、もう許してくれと願いながら柳高校へと向かった。


 入学式は滞りなく終了し、クラス分けが発表される。教室に入ると見知った顔が何人か居たのですぐに固まった。馬鹿が集まると、話題は自ずと可愛い女子へとシフトする。それぞれの目撃情報を持ち寄って、早くも推しの女子生徒を熱く語っていた。


「千晃はもう可愛い子見つけた?」


 同じ中学だった竹田が問うてくる。正直、血眼になって可愛い女子を探す余裕など無かったので適当に話を合わせる。彼女が欲しいと願ったものの、こうも不自然だと警戒心が強くなってしまう。俺はその後も愛想笑いに終始したが、竹田の発言に思わず固まってしまう。


「あとさ、朝に見かけた赤い髪の女子も綺麗だった。何組なんだろう」


 髪を赤く染めた女子生徒など、そうそう居るものではない。回り始める運命の歯車を、なんとか止めたかった。


「そ、そんな女が実在するわけないだろ」

「妖怪みたいに言うなよ」


 訝しげな視線に、曖昧な笑みで対応する。冷や汗が止まらない。


「お、噂をすればだ。同じクラスだぞ。これは運命かもなぁ!」


 竹田が嬉しげに前方を指差す。おそるおそる視線を向けると、やはり笠置みほろ嬢が立っていた。少し着崩した制服と、ピアスが見えるようにアレンジされた赤い髪。白い肌とつんと尖った鼻。パーツを観察していると、ばっちり目が合ってしまう。


「あ、やっぱりいた」


 笠置さんは少し目尻を下げ、こちらに近寄ってくる。


「ねえねえ、無事に見つかった?」


 吐息がかかる距離。毛穴など存在しないのではないかと疑うほど、つるつるの肌。ぱっちりと大きいのに、どこか眠そうな目。笠置さんが放つ不思議な魅力に圧倒され、陽向についての問い掛けだと理解するまでに数秒の時を要した。


「あ、あぁ。ちゃんと見つかったよ。ありがとう」


 俺は一歩後退し、お礼を述べる。


「そっか。よきよき」

「……それより、やっぱりってどういうこと」

「節分祭の日に言ってたから。妹さんが」

「陽向が?」

「うん。柳高校合格、間違い無しだねって。だから同じ高校なんだなって」


 よく覚えていないが、合格祈願をしていたのは確かだ。笠置さんは俺達の後ろに並んでいたらしいので、会話が耳に入ったのだろう。


「あ、そうだ。キミの名前教えて」

「……久美浜千晃だよ」

「ちあきち」


 笠置さんは満足そうに頷き、自分の席へ向かってしまった。ちあきちとは、俺のあだ名だろうか。


「お前、あの子と面識あったのかよ」

「なにあの距離感。もう彼女じゃねえか」

「説明しやがれ、ちあきち」


 野郎共から抗議の声が飛ぶ。対応に四苦八苦していると、いつの間にか担任とおぼしき男性が到着していた。



「ちあきち」

 

 終業のチャイムと共に、笠置さんが俺の席に寄ってくる。妙なあだ名はすっかり定着してしまい、早くも受け入れつつある自分が居た。


「なにか良いもの当たった?」


 なんのことかと逡巡していると、件のヘッドホンが記憶の棚から落下した。伝えるべきか悩んだが、謎の幸運が舞い込んでくる状況だ。隠したところで、運命が辻褄を合わせるのだろう。


「うん。笠置さんが欲しがってたやつが当たった」

「みほろって呼んで」


 少し不満気な表情。距離感が近い。


「……みほろが欲しがってたヘッドホンが当たった」

「いいなあ。アレ、重低音の響きが良いモデルなの」

「使ってないし、良かったらあげようか?」

「え、いいの」

「うん。それを見越して、保管してたってのもある」

「……え?」


 みほろが不思議そうに首を傾げる。しまったと後悔したが、もう遅かった。再会できるかもわからない相手のために保管していたなんて、不自然すぎる。俺の最近の運勢や数奇な巡り合わせを語ったところで、変な宗教に傾倒していると引かれるのがオチだろう。背中を嫌な汗が伝う。だが、みほろは気に留める様子を見せず、ぱっと微笑んだ。


「そっか。嬉しい。ありがとう」

「いやいや、気にしなくていい」

「でも、なにかお礼しなきゃ」

「……ちなみに、どんなお礼を考えてくれてるんだ?」

「天ぷらとか? 揚げたことないけど」

「脊髄反射で会話してんのか」


 適当すぎるお礼に呆れつつも、なんとか誤魔化せたことに胸を撫で下ろす。おそらく、この笠置みほろという人物は、俺の人生においてメインヒロインのポジションなのだろう。みほろと付き合えば、誰もが羨む美男美女カップルが誕生するのは間違いない。仲睦まじく登校する姿は評判となり、周囲の評判はにょきにょきと上昇する。陽向の友人も俺への評価を改めるはずだ。まさに、吉田神社に願った通りのストーリーである。


 だが、それは本当に恋と呼べるのだろうか。得体の知れないレールに乗せられて付き合うのが、幸せに繋がるのだろうか。それに、二ヶ月間の幸運が不幸への布石で、レールの先が奈落の底に通じている可能性だって否めない。そもそも、なぜ俺の運命が回り始めたのだ。発端が吉田神社なのは間違いないが、理由がわからない。参拝と福豆を購入したくらいでハッピーになるなら、争いなど存在しない。


 悶々とする俺の背に、野郎共が「また明日な、ちあきち」などと、妙な節回しに乗せて言葉を浴びせてくる。なんだか節分祭で見かけた老人の歌を彷彿させたので、思い切ってみほろに質問してみた。


「節分祭の日にさ、変な集団を見なかった?」


 ぽかんと口を開けるみほろに、装束集団の特徴を伝える。あの場に一緒に居たのだから、間違いなく目にしているはずだった。しかし、俺の僅かな希望を打ち砕くように「見てないなあ」と首を傾げてしまう。では、あれは俺の幻覚とでもいうのか。考えても答えは出ず、脳味噌の回転数だけが上昇していく。胃袋がキリキリと悲鳴を上げた。



 入学から一週間が経った月曜日の朝のこと。不自然な幸運に辟易する日々を送っていたが、今だけは幸運に感謝している。欲しかったスニーカーが、格安で入手できたからだ。新しい一日を祝うように、白くてピカピカのスニーカー。鼻歌交じりで靴紐を調節していると、蝶々結びの最後の工程でぶちんと音がした。俺の右手に残ったのは、先程まで靴紐だったもの。引き千切れ、ただのゴミと化した繊維は「次はお前もこうなる」と天から告げられたようだった。ついに、この日が来てしまった。


「千晃にい、変な顔してどうしたの」

「なあ、今の俺の顔を見てくれ。不幸な人間の顔をしてないか?」

「はいはい、イケメンイケメン」


 陽向は真剣に取り合うこともなく「先に行くね」と玄関を飛び出した。

 得体の知れない恐怖が、むくむくと膨らんだ。これから先、何が起きるかわからない。靴を履き替え、恐る恐る家を出る。通いなれた道の全てが凶器に見えた。倒れてくる電柱、飛び散る窓ガラス、俺の右尻を噛みちぎるポメラニアン。不幸に繋がる可能性が幾重にも枝分かれして、思考を狂わせる。道が怖い、車が怖い、自分の影さえも怖い。


 これは駄目だ。


 俺はスマートフォンを取り出し、この日のために温めておいた『御利益リスト』を開く。一番上に表示されている安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)の情報を再確認し、すぐさま参拝する決意を固めた。本当なら吉田神社に行きたいのだが、大元宮は毎月一日と節分祭の日しか開放されていない。ならば、洛中最強と名高い神社に頼るしかないだろう。市バスに乗るのが怖かったので、徒歩で移動する。サッカー選手のように首を左右に振りながら歩く俺を、道行く人々が奇怪そうに一瞥していく。百万遍交差点を南に折れた頃には、すでに一時間以上経過していた。


 縁切り神社として親しまれている安井金比羅宮は、京都府の東山区に位置している。境内には断ち切りたい悪縁を殴り書きした絵馬が、大量にぶら下がっている。また、悪縁を切るだけでなく良縁を結んでくれることでも名が知られ、国内有数のパワースポットとして君臨しているのだ。


 午前中だからか、境内は比較的空いていた。辿り着くまでに二時間以上かかってしまったが、ここまでくればこちらのもの。ほっと胸を撫でおろしていると、石畳の隙間に爪先が引っ掛かり派手に転倒してしまう。やっぱり駄目だ。早くお参りしないと死ぬ。俺は慌てて立ち上がり、本殿でしっかりとお参りをする。賽銭箱に五百円玉を投入し、足首に額をつける勢いで頭を下げた。しかし、これだけではまだ不安なので、隣の社務所で形代を購入する。これは身代わりの御札であり、願い事を記入し、縁切り碑に貼り付けることで効果を発揮するらしい。備え付けられた長机で、丁寧に丁寧に記入した。


 不幸の連鎖が断ち切れますように。願い事を脳内で唱えつつ移動する。縁切り碑には形代が隙間なく貼り付けられており、まるで白い毛で覆われた生き物みたいだ。中央に空いた穴を這うようにしてくぐり抜けると、御利益を授かれるらしい。表からくぐれば悪縁が断ち切られ、裏から戻れば良縁が結ばれるようだ。伝統に倣い、縁切り碑の前で体勢を低くしてみるが、予想以上に穴が狭い。難儀しながら這い出ると、こちらを楽しそうに眺める赤い髪の女の子が立っていた。笠置みほろである。


「なんで、こんなところにいるんだ」

「スマホが壊れたから」


 電源ボタンをぽちぽちと押しながら、画面をずいと見せてくる。


「もっと詳しく頼む」

「アラームが鳴らなかった」

「……それで遅刻したと」


 みほろが首肯する。段々と、不足した言葉を補って会話するのに慣れてきた。


「遅刻だなって思ってたら、ちあきちを見つけたの」

「はぁ」

「楽しそうだから、ついてきた」


 満足気な表情を見せてくれるのは有り難いが、犬じゃあるまいし、出席を犠牲にしてついてくるのはどうなんだ。


「ちあきち、なにか嫌なことでもあったの」


 俺を覗き込むようにして、みほろが問い掛ける。学校をサボって制服のまま、縁切り神社に訪れているのだ。何も無いなんて嘘は、通用しないだろう。


「ああ。ちょっと色々あってな。でも、もう大丈夫だと思う。なにせ京都最強の縁切り神社の御利益を授かったわけだから――」


 俺の言葉は、足裏に伝わる柔らかな感触で遮られた。下を向くと、産まれて間もないであろう犬の糞をしっかりと踏みしめていた。すぐに飛び退き、石畳の角に何度も靴底を擦り付ける。不幸が終わらない。


「駄目だ、縁切りが足りないんだ」


 俺の言葉に何かを感じたのか、みほろは合点がいった表情で、つかつかと歩み寄ってくる。俺の頬とみほろの鼻がぶつかるのではないかという距離に、思わず心臓が跳ね上がった。


「私に話してみて」


 真剣な眼差しで俺を射抜く。話すべきか迷った。普通の人間であれば、ここ二ヶ月の運勢を語ったところで鼻で笑われるだけだろう。精神科に担ぎ込まれる可能性だってある。しかし、みほろは普通の人間にカテゴライズされるだろうか。クールな見てくれに騙されがちだが、中身は適当であり天然、猫のような人間だ。パーソナルスペースだって、ご覧の通りおバグり召されている。色々と普通ではない。だからこそ、すんなりと受け入れてくれるかもしれない。


「笑わないで、聞いてくれるか?」

「うん、そういうの得意」


 謎の自信を覗かせるみほろを見ていると、張り詰めていた気が抜けてしまった。一人で抱え込むのも限界があると結論付け、全て伝えてみる。話してみると、止まらない。どうやら想像以上に気が参っていたようで、堰を切るように感情が溢れ出す。みほろは俺の頭を撫でながら、じっと話を聞いてくれた。俺が話し終えると、みほろは顎に手をあてて黙り込んでしまう。しばらく待つが、一向に再起動しない。間に耐えきれず口を開こうとした瞬間、色素の薄い瞳に光が宿った。


「ちあきちって蟹座なんだ」

「今の時間を返してくれ」


 何がおかしいのか知らんが、大笑いしている。


「これでまた一つ、ちあきちのことを知れた」


 みほろは目尻を指で拭ってから、俺の手首を掴んだ。ひんやりとした柔らかな指に、またもや鼓動が加速する。


「じゃ、今から行こ」

「どこに」

「吉田神社」


 当然でしょう、と言いたげな顔。


「大元宮は、一日まで待たないと開放されないぞ」

「そんなに待てない。ちあきちが死んじゃう」

「でも、封鎖されてたら、どうしようもないだろ」

「乗り越えようよ。柵なんてさ」


 みほろが駆け出すと、俺の足も動き出した。


「高校生ってさ、無敵なんだよ」


 春風をまとう笑顔を見た瞬間、俺の頭の中で音楽が鳴り響いた。昔どこかで聴いた曲。名前も知らない音楽だったが、えらくポップで、えらく都会的で、なぜだか胸が高鳴るメロディだった。 

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