ほお。ソレ、御利益の効果だったりして

 吉田神社へ通じる東大路通りは、様々な香りと大勢の人手が混ざり合っていた。真冬の京都であるのを忘れさせるほどに暖かく、俺はほうっと息を吐く。眼前に広がる露店の数々は、まるでカラフルな龍が大通りに寝そべっているようだった。


「んぐ、もごこご、んぐんぐ」


 ふと、コートの裾を引っ張られる。目につく限りの買い食いを繰り返し、頬をぱんぱんに膨らました陽向である。何を言っているのかは聞き取れないが、陽向の心を読めば対話は可能だ。俺は目を瞑り、陽向が欲しがっていた回答を口にする。


「お兄ちゃんの美の秘訣はな、毎日の保湿ケアとたっぷりの睡眠」

「――そんなの聞いてない。ベビーカステラが欲しかったの」

「ああ、そっちか」

「二択にも含まれてないから」


 陽向は串に刺さった唐揚げを飲み込むように口に入れ、俺の手からベビーカステラを奪い去る鬼と化す。その食べ合わせはどうなんだという疑問ごと飲み込んだ陽向は、けろりとした表情で俺を見る。


「ねえねえ、あとで抽選やろうよ」

「ああ……厄除けの福豆についているやつか」

「そそ、運試し運試しっ」

「そうだな。今年もやってみるか。去年は日本酒だったから、今年は俺たちが使える景品が当たればいいな」


 俺の許しを得た陽向は、小さくガッツポーズをする。

 しかし、まずは神々に挨拶するのが筋だろう。陽向の背中をぽんと押し、大量の人の流れに乗って進む。ライトアップされた真っ赤な大鳥居をくぐると、奥に広がる闇の中で何百もの後頭部が蠢いていた。俺達は最後尾に混ざり、にじにじと進む大きな生き物の一部と化す。


「そういえば、陽向は何をお願いするんだ」

「ベタだけど健康でもお願いしよっかな」

「それがいい。何においても健康が一番だ」

「あとついでに、千晃にいの合格もね」


 ついでかよ、と俺が小突く。陽向は嬉しそうに小突き返してくる。そんなやり取りを続けていると、いつの間にか俺達の番が回ってきた。世にも珍しい八角形の社殿の前には、この日のために用意されたであろう大きな賽銭箱が設置されている。俺達は五円玉を放り投げ、脳内でお願い事を唱えた。


 志望校に合格できますように。恋やら健康やらを良い感じにしてほしい。あと、陽向が今年も幸せに暮らせますように。


「いいことあればいいね」

「だな。すぐに効果が現れたりしないかな」


 俺はほんのりと期待を抱きつつ、陽向の肩を叩いて退散を促した。社殿に背を向け、戻ろうとした瞬間にふわりと風が吹く。咄嗟に振り返るが、何も異常はない。


「なんだ、今の風は」


気のせいだろうか。腑に落ちないものを感じながらも、来た道を戻り、福豆を二つ購入する。そのうちの一つを陽向に手渡してやると、楽しげにぴょんと飛び跳ねていた。抽選券は、結果発表の日まで保管しておこう。


「お参りもしたし、福豆も買ったし、これで千晃にいの柳高校やなこー合格間違いなしだね! さっそく食べようよ!」

「そうだな。邪魔にならない場所まで移動するぞ」


 さて、どこかにスペースはないものか。参拝客を掻き分けるように辺りを見渡していると、妙な集団が目に飛び込んできた。

 浅葱色の装束を纏う若い男女に囲まれるようにして、白い装束の老人が歩いている。冠をかぶり、笏まで手にしているのは珍しく思ったが、今日は祭だ。神職の衣装として違和感は無い。妙なのは、その集団に対する周囲の行動だ。人混みの中をただ真っ直ぐ、ゆっくりと歩いている。それなのに、誰ともぶつからない。絶妙なタイミングで人の波がぐにゃりと曲がり、集団の進路を形成していくのだ。


 拍子木の音が鳴る。

 それを合図にするように、白い装束の老人が歌を口ずさむ。妙な節回しが、べったりと耳にこびりつく。合いの手、拍子木の音が二つ鳴る。異様だ。節分祭の神事にしては場当たりな印象を受ける。周囲の人間が、誰一人として注視していないのも不思議だった。あんなに目立つにも関わずだ。


「なあ陽向、あの集団さ――」


 思わず声を切る。いつのまにか、陽向の姿がない。さっきまで俺の隣に居たはずだ。目を離した時間は三十秒にも満たない。トイレだろうか、いや、それならば俺に一言くらい声をかけるだろう。スマホにメッセージが届いているわけでもない。これは、もしや。


「誘拐、されたのか?」

「……それはないと思うよ」


 突如、耳元に声が届く。反射的に振り向くと、知らない女の子が立っていた。眠そうな瞳と色素の薄い肌が相まって、起き抜けに外出しているような雰囲気を纏っている。


「えっと、誰?」

「笠置(かさぎ)みほろ」


 深々とお辞儀をされたので、同じように頭を下げる。


「よきよき」


 笠置と名乗った女の子は、俺の様子を見て満足そうに微笑んだ。背丈は陽向と同じくらいだが、顔立ちは少し大人びている。俺と同い年くらいだろうか。いや、そんな分析よりも、先に聞くべきことがある。


「陽向……えっと、俺の妹について何か知ってるのか?」

「うん。君達の後ろに並んでたから。あっちに行ったよ。ふらふらーって」


 間延びした声を乗せて笠木さんが指差したのは、大元宮がある方角だった。


「ありがとう、行ってみる」

「あ、ちょっと待って」


 走りだそうとしたタイミングで止められたので、体勢を崩してしまう。


「当たるかな?」

「……なにが」

「福豆の抽選。アレが欲しくて」


 笠置さんは、ヘッドホンを装着するようなジェスチャーを見せる。赤いミディアムヘアから覗く耳には、ピアスの穴がびっしりと開いていた。


「音楽が好きなのか?」

「うん。なんかさ、生きてるって感じるから」

「そ、そうか」

「引き止めてごめんね。妹さん、見つかるといいね」

「……おう、ありがとな」

「よきよき。またね」


 俺は両手でゆらゆらと手を振る笠置さんに別れを告げ、大本宮へ向かうべく地を蹴って駆け出した。周囲の景色が流れ、思考が研ぎ澄まされる。先程の女の子は、一体なんだったのか。それに、陽向はなぜ大元宮に戻ったのだろう。たった数分の間に、不可解な出来事が連続している。言い表し様のない不安を覚えつつ、大元宮へ辿り着いた。


「陽向、いるなら返事してくれ!」

 不安が胸を侵食する。必死の想いで社殿を周囲を捜索すると、壁にもたれるように腰を下ろす陽向の姿を認めた。心配して駆け寄ると、すうすうと健やかな寝息が聞こえてくる。俺は胸を撫で下ろしながら、お餅のような頬を引っ張る。ゆっくりと、瞳が開かれた。


「ふぁ。どこ、ここ」

「おはよ。吉田神社だよ」

「え、私こんなところで寝てたの」

「――覚えてないのか?」


 俺の問い掛けに、陽向はこくりと頷く。無意識でここまで辿り着き、気を失うように眠っていたというのか。普段の陽向からはあまり考えられない行動に、そこはかとなく不気味さを覚える。だが、陽向が無事でなによりだ。俺は陽向の頭を撫でてから、手を取りゆっくりと引き起こす。歩くペースに合わせつつ、参道の階段をゆっくりと降りる。福豆の販売所付近まで戻ると、先程よりも人手が増えていた。背伸びをして見渡してみるが、笠置さんも奇妙な集団も、すでに移動したようだった。


「千晃にい、誰か探してるの?」

「ああ。陽向の居場所を教えてくれた女の子がいてな」

「へぇ、どんな人だったの」

「不思議系パンクガール」

「本当にどんな人だったの」


 残念ながら、上手く表現できない。強いて言うなら、つかみどころがないのが特徴だった。よくよく考えれば、どこか操り人形のように無気力だった気もする。今しがた起床して、寝ぼけた状態で会話を繰り出していたような。


「まぁ、綺麗な女の子だったのは確かだ」

「ほお。ソレ、御利益の効果だったりして」

「まさか、そんなわけがない」


 俺は笑いながら否定した。時刻はすでに二十二時。あまり遅くなると母親が心配するので、最後に綿飴を一つ購入して帰宅した。装束集団や陽向の行動は奇妙ではあったが、翌日にはすっかり忘れていた。


 節分祭から三日が経った夜。購入した福豆の抽選結果を確認すると、驚くことに高額景品が当選していた。


「ヘッドホンが当たるなんて凄いね」


 吉田神社のホームページを満足そうに眺め、陽向は目尻に笑みを湛える。しかし、俺の脳内は、笠置さんの言葉で埋め尽くされていた。


 ――アレが欲しくて。

 アレとは、すなわちヘッドホンだ。


 節分祭の夜を回想する。

 笠置さんと邂逅を果たしたのは、陽向が行方不明になったからだ。大元宮に一人で向かった理由は、未だ解明されていない。まあ、それだけなら不思議な出来事もあるもんだと割り切れる。しかし、笠置さんが欲しがっていた景品が当選してしまうのは、さすがに見過ごせない。これはまるで、あの夜の出来事が全て仕組まれていたようではないか。疑心はむくむくと育ち、実体の無い鬼と化す。部屋の外から拍子木の音が鳴った気がして、俺は小さな声を漏らした。

 

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