ヤオヨロズ・シティポップ

新田漣

テーマソングどころか、フルアルバムだって制作した



 これまでの人生を振り返れば、俺には運気の波とやらが存在しなかったように思える。とりたてて良い事もなく、悪い事もない。ただ淡々と日々を終え、なんとなく歳を重ねていく。これでいいのかと悩む日もあったが、その苦悩さえも平凡で、カラスは何故鳴くのかと問いかける子供のような通過儀礼に違いない。


 ゆえに俺は、少しばかりイケメンに生まれた小市民として、これからの人生も平々凡々に、何事もなく、ぬるりと天寿を全うするのだろう。根拠もなく、当時の俺はそう思っていた。だが、待て。お前は浅慮すぎる。中学生活を終えたくらいで、何を達観しているのか。もしも当時に戻ることができたのなら、胸ぐらを掴んでこう言ってやりたい。


 幸福は予測できないから幸福なのだと。

 そして、不幸もまた然りなのだ。



 冬の京都の風は冷たく、高校受験を控える中学生の心に、容赦なく寂寥感を落していく。硝子の切っ先と化した風に蝕まれた精神は、少しずつ不安定になり、学力に自信が持てなくなる。やがては積み重ねてきた知識が、跡形も無く吹き飛ぶ悪夢で飛び起きてしまう。こうなると、頼れるものは神しかない。


 俺はソファで寝転びながら、御利益がありそうな神社の情報を集めた。いくつか精査し、最後に残ったのは、自宅からほど近い吉田神社だった。吉田神社は、国内屈指の頭脳が集まる京都大学の裏側に位置しており、学問の神も祀られている。合格祈願との相性の良さは、他の追随を許さない。


「今の俺にぴったりだ」


 思わず独り言が漏れる。さらに驚くことに、吉田神社の斎場所大元宮さいじょうしょだいげんぐうには、八百万の神々が集まっているらしい。ここにお参りするだけで、日本全国の神様の御利益がいただけるようだ。よくばりセットだ、まるでミックスグリルだ。すぐに向かおう、こうしちゃおれんと、俺は部屋着の上からモッズコートを着込む。


千晃ちあきにい、どっかいくの?」


 じたばたと支度していると、妹の陽向ひなたに捕捉された。さきほどまで寝転んでいたのか、栗色の髪が視界を塞いでいる。俺が手で払いのけてやると、焦げ茶色の綺麗な瞳と、少し垂れた二重瞼が顕になった。本日も愛くるしいご尊顔である。


「吉田神社。合格祈願してくる」

「ああ、今日は節分祭だもんね。でも千晃にい、神様とか占いとか信じるタイプじゃなかったよね」


 陽向が俺を見上げながら問う。

 確かに、俺は占いの類いを信じない。もっと言えば、運の良し悪しに悩むほど人生に波が無かった。だが、八百万の神々が集う吉田神社の大元宮であれば、こんな俺にも何かしらの変化が訪れるかもしれない。そう自分に言い聞かせる。


「……何かに縋らなければ、おかしくなりそうなんだよ」

「相変わらず、変なところでマイナス思考だね。まぁ、祭だったら私も行こうかな」


 陽向はそう言い残し、駆け足で自室へと向かう。

 慌ただしく扉を閉めたかと思いきや、再び開いた扉から顔をひょっこり出した。


「それより。寝癖やばいから帽子かぶりなよ。洗ってない大型犬みたい」


 なるほど好評価だ。俺も自室へと戻り、茶色のニット帽を鏡の前で合わせる。いやしかし、我ながら顔が良い。切れ長の二重と、造形品のような鼻梁。薄い唇にも色気が漂っている。中学三年生にしてこの完成度、果たして将来はどうなってしまうのか。


「ナルシスタイム長すぎ。行くよ」


 扉の向こうから陽向の声。自室から出ると、ニット帽を指差した陽向がにこりと笑いかけてくる。合格のようだ。さて行くかと陽向の背中を押してから、やけに薄着であることに気が付く。


「あれ、陽向。コートを着なくていいのか」

「あ、そっか」


 陽向はどたどたと自室へ戻ってから、再び俺の前に姿を現す。千鳥格子柄のコートと、グレーのウールパンツ。中学生になってから、ずいぶんとお洒落に目覚めたようだ。我が久美浜くまはま家の宝ともいえる妹の成長に、兄として涙を禁じ得ない。


「ねぇ、泣くのやめてよ。そういうところだよ」

「……待て。そういうところってなんだ」

「残念さがにじみ出てるの。昔はさ、私の友達がイケメンだって騒いでたけど、今はイケメンに見えるトリックアートって言われてるからね。千晃にいの評判、結構低いから」


 無情な言葉に、俺は頭を抱えた。由々しき事態だ。これ以上評判が悪化すると、陽向の麗しき学校生活に支障をきたす恐れがあるではないか。現段階の評価を払拭し、陽向の友人から羨望される良き兄となるために手を打たねばなるまい。


「……素晴らしい彼女と巡り合って、印象回復を狙うか」

「い、いまなんと?」

「俺も春から高校生だし、彼女でも作ろうかなと」


 俺がそう宣言すると、陽向はわなわなと震えだした。


「無理だよ、まだ早いよ。だいたいさ、私が言うのもなんだけど、千晃にいって私のこと大好きじゃん。私のテーマソングとか作ってたじゃん」

「テーマソングどころか、フルアルバムだって制作した」

「なおのこと酷いよ」


 呆れるような口調。しかし、我ながら名案な気がしてならない。まだ見ぬ女子と誰もが羨む美男美女カップルになれば、陽向も鼻高々。俺の評判もにょきにょき上昇。その結果、陽向が拡声器で自慢できるような理想の兄が完成するのだ。


「はいもう決めました。今年の俺は、ドラマみたいな恋をします!」

「そんなクソ雑誌のキャッチコピーみたいな……」

「吉田神社は八百万の神が集うらしいから、どんな願いでも叶うだろ。合格祈願と一緒に、恋の成就もお願いしてみる」


 話にならない、と言わんばかりに陽向は首を横に振る。まあ、いずれ兄の明晰な頭脳が理解できる日がくるさ。


「とにかく、善は急げだ」


 俺はリビングにいる母さんに一声かけ、陽向を連れ立ち冬の夜へと飛び出した。住宅街である北白川の夜は、しんと静まり返っている。吉田神社は徒歩圏内なので、自転車には乗らずに二人で歩く。時折強い風が発生し、思わず肩が縮み上がる。岩倉の方角から吹き降ろされる北風は、こうして洛中の人々を凍てつかせるのだ。


「ああ寒い、あったかい飲み物でも買おうぜ」

「賛成」


 俺達は自動販売機の前で立ち止まり、ディスプレイとにらめっこする。


「千晃にいはレモンティーでしょ」

「そういう陽向はミルクティーだよな」


 俺はペットボトルを二本購入し、ミルクティーを手渡す。陽向は暖を取るように、ペットボトルを小さな手で包み込んだ。


「へへ、あったかいね」


 陽向の目尻がへにゃっと下がる。こんな心が暖まるやりとりも、陽向以外の女子と交わせば、また違った感情が芽生えるのだろうか。俺は悶々と想像を巡らせるが、どうも上手くいかない。陽向に聞いてもまだわからないはずだ。最近の女の子は色々進んでいると聞くが、うちの陽向に限ってはそんなことはない。断じて。

 では、誰ならば教えてくれるのだろう。またもや思考の海を彷徨うが、参拝すると決めたからか、答えは非現実的な存在へと辿り着いた。


 たとえば――神様とか。

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