発明家生徒会長が作った「キスしないと出られない部屋」の密室が私に破られた話

森田季節

発明家生徒会長が作った「キスしないと出られない部屋」の密室が私に破られた話

「ですから高月(たかつき)さんとは決してキスをしていません!」

「するわけないっしょ。東三条(ひがしさんじょう)とキスするぐらいなら、皮だけになってさらにガイコツになってその骨が風化するまで耐えるっての」

 どっちかといえばお嬢様系の東三条さんとどっちかといえばギャル系の高月さんが同時にキスを否定したので、会長はあてが外れた「無」の顔になっていた。羽織ってる白衣がだぼだぼなせいもあって、「無」の顔はあほっぽく見えた。

 新築マンションの壁みたいに白くて巨大な箱の前での口論は、自己主張が強すぎてお客さんの少ない演劇みたいに見えた。

「そんなバカなことはないよ。『キスしないと出られない部屋』は本当に本当にキスしないと出られないんだ。ドアは開いたんだからキスは必ず発生したんだ!」

 会長はだぼだぼ白衣が作る萌え袖を振った。一種の抗議のしるしだ。黒髪ストレートに白衣は安っぽいチョコレートパフェみたいだなと思う。

「知りませんよ。我々二人はキスをしなかった。だけど、開かないはずのドアが開いた。事実はそれだけです。なんだったら会長自慢の高性能ウソ発見器でもお試しになります?」

「いや、いいよ。東三条さんと高月さんが部屋の中で暴れて、ドアをこじ開けた可能性もないしね」

 東三条さんの青みがかった髪はしっとりと肩に寄り添っている。もし暴れれば、髪も乱れているだろう。高月さんも非常識な人間に向ける目で会長と対峙しているが、こちらも汗一つかいてないから実力行使の線はない。神経質に頬をかいてる右の人差し指で会長につかみかかることはあるかもしれないけれど……。

「まっ、今回は失敗だったということだ。生徒会長として女学院内の恋の後押しをしようと思ったんだが、脱出されてしまってはしょうがない」

「会長、忠告しておきますが、ごめんなさいと一言言えるだけで人生は円滑になりますよ。天才発明家だからって傲慢に生きてると、そのうちつまずきますから」

 東三条さんが副会長の私が普段思っていることまで代弁してくれた。

 しかし、それは難しい。なにせ、会長が一切罪の意識を感じてないからだ。悪いと思ってない人間を謝罪させるのは小学生に高校数学を教えるよりずっと難しい。

「もう、行かない? ここで苦情を言っても時間の無駄だしさ~。最悪の場合、会長が『キスしないと出られない部屋』第二ラウンドとか言い出しかねないじゃん」

 高月さんが東三条さんの制服を引っ張る。それで、東三条さんもふんぎりがついたようだ。二人は副会長の私の側にだけあいさつをして、生徒会室を出ていった。自動的に部屋には私と会長だけが残された。ここの生徒会は普段、会長と副会長の私しかいないのだ。

「ふうむ、千紗乃(ちさの)はどうやって脱出できたと思う?」

 会長はドアを開けっぱなしにして、ドアストッパーもつけたうえで、「キスしないと出られない部屋」という巨大な箱に入っていく。室内に箱があるせいで生徒会室は劇的に狭くなっている。

「うかつに入って、ドアが閉まったら面倒なことになりますよ」

「その心配はない。一人しか入室してない場合は絶対にロックされないようになってるから」

 自分が作ったものに関しては故障の可能性は考慮すらしない。ある意味、会長らしくはある。

「常識的に考えれば、非常口のほうから誰か出入りしたってだけの話じゃないんですか?」

 私は部屋(この場合は生徒会室じゃなくて「キスしないと出られない部屋」のほうだ)の外から呼びかける。狭い部屋に声が少し反響した。

 ちょうど私の視線の正面には、「キスしないと出られない部屋」のもう一つのドアがある。外からは開くが、内からは開かないオートロック仕様だ。閉じ込められた二人がキスを拒んで餓死すると困るので、こういう設備がある。会長にも最低限の人道的な配慮はあるのだ。

「常識的に考えれば、ね」

 会長は不思議そうにこっちに顔を向ける。黒のカチューシャが光の加減でちょっとテカった。

「けど、それは変だ。なにせ、キスで開く正面のドアはちゃんと開いたんだから。つまり、キスは間違いなく行われた。この部屋はキスという行為を正しく計測して、ドアを開けた。もし非常口を誰かが開けたとしたら、室内の二人は開けっ放しにしてもらってる間にそこから脱出するよ。非常口が空いてるのに、やっぱりキスをする意味がない」

 こういうところは論理的に考えられるし、それなりにすごい発明もできるのに、どうしてこの会長はこんなに残念なんだろう。倫理観と心情理解だけがやたらと浅い。

「確実なのは、部屋の中でキスが行われたこと。部屋の中の二人は両想いなこと。部屋の中の二人は絶対にキスをしてないと徹底して主張してること。部屋の中で何が起きたんだろう……」

「じゃあ、こういう考えはどうです? 東三条さん・高月さんのどちらかが愛しているAさんが別にいて、そのAさんが部屋に入ってきた。どちらかがAさんとキスをした――これなら筋は通ってますよね」

「そんなAさんは存在しないので無意味な仮定だなあ」

 不服そうに会長が腕組みする。

「ちなみにAさんが存在しない根拠は……?」

「なぜなら、私の目に間違いはないから。東三条さんも高月さんもAさんを愛してるなんてことはない! そんなAさんがいたらわかる! 以上!」

 ものすごく大きな声が、部屋の中に響いた。私すらうるさいと思うぐらいだから、会長の鼓膜は悲鳴を上げているんじゃないか。

 でも、私も反論はできなかった。

「会長がそう言うなら、そこは事実なんでしょうね。会長が両想いの二人を見誤ったことは一度もないですから」

 私が生徒会室のパソコンでネットニュースを見ていた時のことだ。小さなサムネイルに映っていたアイドルを会長は「この子にはパートナーがいる」と断言した。二か月後、そのアイドルは本当に同性のパートナーをメディアに紹介した。

 会長には女子を愛している女子を見抜く六番目の感覚が備わっている。どういう原理か科学的に証明できないが、当ててしまっている以上、そういう感覚は存在するのだ。

 サムネイルで見たアイドルでも察知するぐらいだから、学院の中の女子なら誰と誰が両想いかなんて一発でわかる。人の迷惑を顧みないこれまでの発明も頭がいいから作れたというより、何をどうしたらどんなものが作れるか会長はだいたいわかるのだ。

「これまでも私は四組のカップルをこの部屋で成立させてきた。学院の安寧のために、カップルを安定的に増やすのは大切な生徒会長の仕事だと思っている」

「その点は否定しません。強引なところを別にすれば会長の理想は素晴らしいです」

「しかし、しかしだ。東三条さんと高月さんはキスしてないと言い張っていた……。どういうことなんだろ……?」

 会長は部屋の中であおむけになって、足の力でぐるぐる回っていた。答えが出ずにもどかしくてたまらないんだろう。

「両想いでキスをしたら、もうカップル成立と言っていいはずなのに! これまでもそれで上手くいってたのに! 今回は密室の中で何が起きたんだ!?」

 そんな会長を見て、私は蔑みとも同情ともつかないため息をつく。

 この人は人の気持ちを見抜くことは得意だが、機微を理解する力はまったくない。

 いや、どっちかというと、人の気持ちを見抜けてしまうから、機微を理解する意義が生まれなかったのか。

 私は「キスしないと出られない部屋」に入ると、ドアストッパーを蹴り飛ばす。

 ドアを自分のほうに引く。

 オートロックがかかるガチャという音が鳴る。

 本当に閉まっているかの確認などはしない。会長が作るものに失敗などないからだ。

「会長、ごく簡単なことですよ。悩むほどのことは起きてません」

「え~? じゃあさ、千紗乃が非常口から入って、部屋にいた東三条さんか高月さんとキスをしたとでも言うわけ?」

 会長は寝転がったまま、私を見上げて言う。

「あっ、やっぱり可能性としては考慮してたんですね」

「だって、『キスしないと出られない部屋』に入ってた東三条さんと高月さんを除けば、生徒会室には私と千紗乃しかいなかったからね。私が非常口を使ってないんだから、非常口を使えるのは千紗乃しかいない」

「そしたら、答えは出てるんじゃないですか? 私が少なくともどっちかとキスをした。ドアが解錠された。私は非常口側から出た――それだけの単純明快なことですよ」

 それしかないのに、会長が悩んでるので私は答えをバラした。バラすも何も答えは最初から見えていて、なぜか会長が勝手に悩んでいるのだ。

「だ~か~ら~、それはないんだって! 東三条さんも高月さんも千紗乃が好きじゃないんだから。千紗乃を好きなのは私だけだ。千紗乃のほうから二人に仕掛けることはあっても、すぐそばに想い人がいる前でキスなんてしない」

 バカだなあ、と私はまたあきれて、ひょいと会長の白衣を踏む。

 会長の動きが止まったところで、私はさっと会長に体重をかける。地味な短いポニーテールの私が会長より上位に来る。

「逆ですよ。好きじゃないからキスができることもあるんです」

 抽象的に表現すると、こうだ。


〇東三条さん・高月さんの二人ともが別に愛してなどいないAさんが入ってきた。

〇二人は愛する相手と気軽にキスをするのには抵抗があったが、愛してもいないAさんとキスをするのは問題なかった。


「友キスってことです。恋愛を介在させない女子同士でのキスには抵抗がない人間は珍しくありません。私は非常口を開けっ放しにしたまま、こう提案しました。『この部屋はキスしないと出られないんですが、愛しているかどうかの判定はありません。友キスということで部屋から出ませんか?』って」

「それだったら、キスなんてせずに非常口から出ればいいだろ」

 萌え袖をばたばたさせながら、口調のほうは落ち着いた様子で会長は言う。

「既成事実ですよ。まさに会長が考えたように、『ドアが解錠されたってことは東三条さんと高月さんはキスしたんだろう』と外部は認識しますよね。その話が広がれば厄介者が間に入ってくることを防止できるじゃないですか」

 両想いであることは事実なのだから、相手がとられるリスクは減らせるなら減らせるほうがいい。

「あるいは、友キスは無価値だから、何のこだわりもなくキスしたというだけのことかもしれませんけどね」

 私は人差し指で頬をかく。高月さんが私にキスされたところをかいてたみたいに。

「それで、東三条さんと高月さん、どっちとキスしたの? 聞いてどうなることでもないけど、知っておきたいな……」

 ちょっと不安そうに会長は聞く。残念だけど、その二者択一に正解はない。

「東三条さんが私にキスしました。ここです、この頬。それから、高月さんは頬にキスしろと言ってきたので、素直にそれに従いました。私はドアが開く前に、半開きにしている非常口から出ていって、キスをしないと開かないドアが開いたのに驚いてみせたってわけです」

「それだと、キス一回は無駄だよね?」

「どっちかだけがキスをするというのが帳尻が合わない気がして嫌だったんじゃないですか? 自分か相手のどっちかだけがどうでもいい人間一人とキスしてるっていうのがモヤモヤするっていうのはわからなくもないです」

 共感できるかは別としてね。

 謎が解けたからか、会長はつまんなそうな顔になった。

「新しい学びを得たよ。愛する者同士のキスに意味を持たせすぎる人間は、閉じ込めるとかえってキスができないってことだ。キスが解錠の手段になっちゃうのが許せないんだね」

「その理由が合ってるかはわかりませんが、状況説明自体は正しいので△です」

 キスしなきゃいけない状況を作られたら、キスしたくなくなると考えたほうがシンプルでいい。たいていの人間は自分があまのじゃくだと思ってるし、変わった奴だと思っている。予想どおりの言動をとりたくないとも思っている。

「ところで、会長、答えが出たのに浮かない顔ですね」

 私は会長の顔をじっと見下ろす。

「千紗乃がキスするの……あまりうれしくないから」

 顔を背けて会長は言ってくれる。

「よくできました」

 そこはちゃんと嫉妬してくれないとつまらない。

「千紗乃も友キスはノーカンで、私とのキスしか意味がないって思ってくれてるのはうれしいけど……」

 はぁぁぁぁぁ……。

 こんなに近づいてもわかり合えないって、逆にすごいな。私は思う。

「違います! 肝心のところを間違ってます! 友キスも恋人同士のキスも、全部どうでもいいんですよ! そんなことで愛の深さが決まってたまるもんかってことです。だったら、キスが上手い人が愛が深いことになる! キスしたらステータスアップでもするのかってことです!」

 私が「キスしないと出られない部屋」を無効化してみせたのは、キスに価値がある前提を見せられるのが退屈だったからだ。

 もっと自由に好きでいさせてくれ!

「それでも、私は……千紗乃とキスしたいし……」

 それは、たしかに、そうだな。

 なので私は会長――愛華(あいか)のくちびるを奪う。好きな人とのくちづけに悪い気分はない。ないけれど、それが最上かって言われると得心しがたい。

 私は愛華といる時間のすべてが好きなのだ。特定の行為に価値を見出すのは愚かしい。

 もちろん、特定の行為に価値を見出すのを否定したりはしないけど。

 ドアのロックが解除されるカチッという音がする。

 どうでもいいことだ。キスをしてもかまわない二人にとって、ここは密室でもなんでもない。むしろ、キスをすると密室じゃなくなるほうが問題で、もっともっと二人で閉じ込められているほうがいい。

 私は愛華のカチューシャを外す。それでどうということはないけど、イタズラの一種だ。髪は乱れているほうが美しい。

 私もポニーテールを作ってるシュシュを外す。

 髪の毛も混ざり合ったらいいな。まずは形から入らないと。髪の毛が混ざり合ったら、体も混ざり合いそうだし、体が混ざり合ったら、心っていうあるかないかわからないものも混ざれそうな気がするから。

「でもさ……私は千紗乃にあまりキスしないでほしいかな……」

 私と手を重ねながら愛華が言う。カチューシャがないせいで、いつもよりずっと大人っぽい。

「そうですか。そこは価値観の違いですね。私にとって愛華以外とのキスはノーカンですから。楽しいことでもなければ、嫌なことでもないんです。『無』なんです」

「そんな女子ばかりだったら、この部屋の存在価値もなくなるな」

「ほかの人に見られづらいから、そこは悪くはないですね」

 私は意地悪なので愛華の発明を無効化して楽しくなっている。それでまた長いキスに入る。

 施錠されてない部屋には解錠の音もない。

 せいぜいくちびるをむさぼる音だけ。


◆終わり◆

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

発明家生徒会長が作った「キスしないと出られない部屋」の密室が私に破られた話 森田季節 @moritakisetsu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ