第六回「祭り」

 今年の夏、八月もいよいよ中盤に差し掛かろうとしている。世間的には盆、夏祭りのシーズンだろう。私は子供の頃からお祭りが大好きだった。


 普段は閑散としている我が地元も、盆踊りの一日だけは盛大に賑わった。多くの町民が集結し、夜のメインストリートを出歩く。「この町ってこんなに人がいたっけ?」と思わず首を傾げたくなるほどに人の群れが現出する、そんな特別感が何より好きだった。


 看板を出した夜店で飲食をするのも醍醐味のひとつ。以前にも書いた通り、故郷には二〇一〇年代までコンビニが無かった。そのためたこ焼きやフライドポテトといったジャンクフードが気軽に食べられるのもお祭りの日くらいで、大人も子供も、多くの人が行列を作っていたっけ。無論、都会では夏になればどこでも味わえるであろうかき氷も、我が故郷では祭日のみの限定品であった。


 射的や金魚すくい、それから型抜きのお店で白熱し、子供ながらに大はしゃぎしたりもした。尤も、それらの運営元は的屋であり、巧妙な“イカサマ”が施されていたのだが。それでもあの頃は楽しかった。


 夏祭りの日は、過疎化が進み急速に衰退していた我が地元が、一年の中で唯一活気を取り戻す貴重な日。あれは人々を一体感の中に結集させる力を持っていたと思う。祭りの期間中、人々は日常の煩わしさや立場を超え、誰もが共に楽しむことでコミュニティの結束を深めていた。それは日本の農村に限らず、世界各国の事例を見ても云えること。


 たとえばインドの「ホーリー祭り」では、人々が色とりどりの粉を投げ合い、社会的な隔たりを一時的に忘れ、心から笑顔を交わす。ご存じの通り、あの国は古来の階級制度に基づく厳格な身分差別が今なお根強く残る。それでも祭りの日だけは各々が立場を捨てる。


 人々がお互いに関わり合い、共に喜びを分かち合う機会を提供することで、日頃の憂さを晴らし、同時に社会的な結びつきを強化してゆく。その点においても、お祭りは絶対に必要不可欠な行為なのだ。


 一方で、現代社会の変化により、祭りの意義や形態も変化している。都市化やテクノロジーの進化によって、祭りの実行方法や意義が再構築されているのだ。


 例えば、令和改元以降、瞬く間に登場・普及したしたオンライン空間でのバーチャル祭り。物理的な距離を超えて人々がつながる新たな形式として、世の中のスタンダードになりつつある。この変化は、伝統と革新が融合する興味深い現象であり、祭りの持つ柔軟性と適応力を如実に示している。


 商業主義の浸透によって、日本人の中では「祭り=夜店」といった図式が広まっている。恥ずかしながら、かくいう私もそのうちの一人だ。しかし、お祭りの本質は神を祀ることだ。


まつり」というワードも、元を辿れば「まつり」だった。この語の背後にある意味や意義は、文化と信仰の複雑な結びつきから派生している。


 有史以前の日本列島の人々は、自然の力や神秘的な存在に対する畏敬の念を抱いており、それらを祀ることで平安や繁栄を願ったと考えられる。まだ天気予報や科学の概念さえも無かった時代、日常的に起こる現象の殆どは神の御業と考えられ、それが自分たちに良い結果をもたらすよう、ひたすらに祈りを捧げるしか無かったのだ。


 この頃から祭りは神聖な場として位置づけられ、神々への感謝や祈りが捧げられていたとされる。事実、日本各所に残る縄文時代の遺跡には「祭り=祀り」を行っていた形跡がはっきりと存在する。この神の存在への敬意は、自然や環境に依存していた古の縄文人たちにとって特に重要であり、生存と豊かさを守るための重要な要素だったことは想像に難くない。


 徐々に国家としての体裁が整っていった弥生時代以降においても、「祭り」は神を祀る儀式として行われた。いまなお残る神社や神宮寺においては、特定の神を祭る祭りが季節や行事に合わせて行われている。これらの祭りは、農耕社会において自然や収穫の神々への感謝や祈願が込められ、地域の安定と繁栄を願う重要な役割を果たしていた。


「祭り=祀り」が持つこの神聖な要素は、日本の文化や精神に深く刻まれている。祭りは単なる娯楽や祝賀だけでなく、神々や先祖への敬意を捧げる場として、日本人のアイデンティティや価値観を形成してきた。これは、日本の伝統や信仰が現代においても重要な位置を占めている一因であり、祭りが持つ意味と価値を深める要素となっていると私は思う。


 また、「祭り=祀り」は神を祀るだけでなく、地域社会や共同体の結束を形成する役割も果たしてきた。祭りは人々を一堂に集め、交流や共感を促進する場として機能し、地域社会の結びつきを強める要素となっていたのだ。前述のように人々が共に祭りを楽しみ、神聖な空間を共有することで、共同体の一員としての意識が高まり、地域の結束が強化されるのだ。


 そうした結束の強化の産物が、祭囃子の数百年にもおよぶ伝承だ。録音はおろか楽譜すらも無かった頃から、あの軽快なリズムとメロディーは口承によって脈々と受け継がれてきた。


 老人が若者に伝え、若者が後世へと繋げてゆく。それを長い時の中でひたすら繰り返し、今日へと至る。そんな伝統文化の継承こそが、「祭り=祀り」というイベントのみならず共同体の結束を強化する一翼を担っていたのではなかろうか。祭りの参加者全員が一体となって演奏し、踊り、祭りの雰囲気やエネルギーを高める。この音楽を通じて共有される感情や体験は、参加者同士を結びつけ、地域コミュニティの一員としてのアイデンティティを強化する。また、祭りに参加することで、人々は自分たちの伝統や文化に誇りを持ち、過去と未来を結びつける重要な橋渡しとなるのだ。


 良くも悪くも誰もが開放的になり、高揚感に浸る祭日であるが、それが終われば途方もない寂しさが押し寄せてくる。この「祭りのあと」という現象は、複数の要因が絡み合って生じる心理的な結果だ。この感情は、祭りに関わるさまざまな要素が、人々の情緒や社会的結束に影響を与えることから生じている。


 下世話な書き方をすれば、心を一気に開放するイベントにおけるトランス状態の終了。嫌でも日常へと引き戻されるこの過渡期に、寂しさや虚脱感が生じるのだ。イベントが華やかであればあるほど、普段の生活の単調さや慣習性を強く感じることになる。


 今も昔も、興奮のピークを人々に提供する「祭り=祀り」。それが去った後、覚めた後の虚しさは、先人たちも痛いほど経験してきたと思う。


 よって、熱く燃える夢から覚めたことの比喩表現として、昔から「祭りのあと」という言葉が使われてきた。JーPOPにおいて同タイトルの有名曲は二曲存在する。吉田拓郎さんと桑田佳祐さんの楽曲だ。前者は学生運動の熱の収束に伴う虚無感、後者は失恋によって穴が開いた心を見事な言葉選びによって巧みに表現し、多くの人の心を救ってきた。


 創作活動という夢に向かって邁進している限り、いずれ私にも「祭りのあと」がやってくるのかもしれない。それでも、今はひたすらに心を燃やして、今という時間を楽しんでいたい。夢から覚めた時にどうするかは、その時が来てから考えれば良いのだ。


 なお、このエッセイを書いているのは地元へと戻る新幹線の中。四年前に上京して以来、この時期に帰省するのは初めて。理由は冒頭に書いた故郷の盆踊りに参加するため。


 果たして、四年ぶりに見る故郷の夏景色はどうなっていることやら。ちょっぴり不安でもあり、大いに期待してもいる。楽しんでくるとしよう。

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