第四回「歴史を学ぶということ」

 私は歴史を“愛でる”ことが好きだ。それは紫式部の伝記を初めて読んだ小学3年生の時分から今にかけて、長く長く続けていること。


 各地の史跡や博物館めぐりは大きな趣味だし、大河ドラマは毎週欠かさずに観ている。書店に行けば歴史学の先生が書いた書籍を必ずといって良いほど購入し、時には小・中学生向けの歴史漫画を手に取って読んでしまう。ここまでくると創作活動と並び、私にとっては一種のライフワークとも云えるかもしれない。


 歴史とは人間の経験や営みの記録であり、私たちの存在に根付いた重要な要素。過去の出来事や意思決定にまつわる背後事情など知ることで、未来に向けてより良い道筋を描いてゆく。それこそが歴史の真の価値と私は思う。歴史もまた、人類の成功と失敗をつぶさに綴ったノンフィクション、物語なのである。


 さて、そんな歴史であるが、多くの人類にとって共通の課題は「歴史を学んで何を得るか」の一言に集約されるだろう。


 窮地に立たされた時、あるいはイレギュラーな事態が起きた時、偉大な指導者あるいは一般市民はどんな選択をしてきたのか。それを考察、検証することによって彼らの勇気に触れ、自らの価値観に刺激を与えて総合的な判断能力を高められる。過去の誤りや失敗を正面から直視することで、「ああ。自分はそうならないようにしよう」と反面教師にできる。歴史とは、それすなわち人類がやらかした間違いのデータベースでもあり、格好の教材なのだ。


 ところが、かつてプロイセン王国時代のドイツの哲学者、ヘーゲルは「人類が歴史から学べることは、人類は歴史から学ばないということである」との格言を残している。


 ひとつの文の中でふたつの意味が相反しており、論理的には矛盾している。されど、私はヘーゲルのこの言葉ほど、人類の業と実態を端的に表した格言は無いと考えている。


 ヘーゲルが生きていた18世紀から19世紀のプロイセンは、政治的にも文化的にも複雑な時代だった。地理的にはヨーロッパの中央に位置し、軍事力と工業化の発展によって決して弱い国ではなかった。しかし、フランス革命やナポレオン戦争などに翻弄され、国体は常に不安定だった。ヘーゲル自身も戦争の影響で勤めていた大学をクビになったりもしている。


 先の見えない鬱屈とした社会情勢の中で、彼は人類の歴史という広大な舞台に目を向けた。ヘーゲルはその生涯において突き詰めた哲学の中で「歴史の理性」という概念を提唱し、歴史が進む中に内在する理性的なパターンや方向性を追求した。彼によれば、歴史は対立や矛盾を解消しつつ、より高次の統一へと向かってゆくものであり、それはごくごく普遍的な過程だという。


 私がヘーゲルの格言に惹かれる最大の理由は、前述の“矛盾”だ。歴史の進展と人間の行動に対して見られる相反する側面を如実に示しているからである。


 人類は歴史を通して経験を重ね、教訓を得ることができるはず。それなのに、実際にはその教訓を活かせないでいる場合が多い。事実、洋の東西を問わず、世界には多くの“二の舞”が存在する。


 甚大な犠牲者を出した飢饉や自然災害が終息後に何の対策も打たれぬまま放置されたケースは思いのほか少なくない。それらは時が経てば大衆の記憶から消える。そして、結果として数十年後に似たような事態が発生し、またもや犠牲が出てしまう。


 その出来事が起きてしまった歴史的事実から学んできちんと防止策を講じていれば結果は違ったのだろうが、それが成されることが無い。よって悲劇は繰り返され、それでもまだ人は学ばない。


 では何故に歴史から学ぶことが難しいのかといえば、人間は常に感情や意識の影響を受けてしまうからではなかろうか。


 どんなに理性的な判断を心がけても、時には愛憎や好き嫌い、欲望が邪魔をするも。過去の成功や失敗、善と悪にまつわる教訓が明確に示されていたとしても、感情の衝動や抑制できぬ欲望によって愚かな決断を下してしまうことがあるのだ。また、歴史の教訓が特定の集団や個人にとって都合が悪い場合、その教訓を歪めたり無視したりすることがあるのも現実であろう。


 さらに、歴史の教訓を活かすことは決して簡単ではあない。人間社会は複雑で多様な要素から成り立っていて、人の数ほど正義があり、歴史的な教訓が常に一つの解答として適用されるわけではない。


 時代や文化によって異なる問題や状況に対しては、過去の経験がそのまま適用できない場合もあるのだ。歴史的な教訓を現代の課題に適用するためには、複数の視点から問題を考え抜き、状況に応じた解決策を模索する必要があります。


 私は歴史が好きだ。しかし、偉人たちの勇敢な行動、もしくは史上の失敗例から考察して常に賢い選択ができているかと問われれば、決してそうではない。


 入社して6年目、職場における業務中は一切の私情を捨てねばならぬという社会人として当たり前の原則はようやく身についてきた。けれども、私生活は違う。かくあるべき、かくあらねばならぬという模範解答はそこにはっきりと提示されているのに、ついつい感情的に動いてしまうことが未だに多々ある。そして、得てして痛い目に遭ったりする。そんなことを繰り返してしまううちは、私もまだまだ未熟なのだろう。


 要は、私は書籍や文献ばかりを読み漁っているくせに、歴史から何も学べていないのだ。冒頭の部分で「私は歴史を“学ぶ”ことが好きだ」ではなく「私は歴史に“浸る”ことが好きだ」と敢えて書いたのは、そのためだ。


 ヘーゲルより少し後の時代に活躍したプロイセンの政治家、ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言った。独語の原文を書けば


 Nur ein Idiot glaubt,aus den eigenen Erfahrungen zu lernen.Ich ziehe es vor,aus den Erfahrungen anderer zu lernen,um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.


 となる。直訳すれば「私は愚者だけが自分の経験から学ぶものと考えている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶべきだと思っている」という意味だ。


 これは何をするにもまずは独学で初めてしまい、一時は成功するも最終的には変な癖が身についたことが原因で失敗、挫折したりする私にグサッと刺さる言葉だ。


 手間や金を惜しんで正式なレッスンに通わなかったがために、10代の折にやっていたピアノとギターも熟練者の域に達することができなかった。


 尤も、それらの楽器経験が活かされて今ではいっぱしの曲作りができているわけだが、ビスマルク的にいえば幾多もの駄曲を生み出した試行錯誤の末に現在の“雨宮流作曲術”に辿り着いた私は愚者で、賢者ならば最初から誰かに教えを乞うて難なくやってのけるのだろう。


 兎にも角にも、私は痛い目に遭ってばかりだ。だいぶ少なくなってきたとはいえ、感情的な判断で失敗する例は今年に入ってからも依然として存在し続け、他者へ頭を下げることを嫌って自己流にこだわる悪癖も未だ健在。あまつさえまぐれな成功例や非科学的なジンクスを勝利の方程式だと思い込み、それに囚われてしまうのだから始末に負えない。


 そろそろ取り返しのつかない年齢になってきた。1998年8月3日に生まれた私は、来る次週でひとつ歳を重ねる。25歳は人生の節目。様々な失敗を「若さ」という言葉で片付けられなくなり、否が応でも若者から真の大人への脱皮を迫られよう。


『私は歴史を“学ぶ”ということが好きだ』


 いつか、そう胸を張って言える日が、私には来るのだろうか? 来ると信じて、これからも人として研鑽を積んでいきたいものだ。

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