5 未遂


「さっきから、軽トラがついて来てますよ」

 タクシーの後部座席に、黒いコートの男が乗っている。

 男は、ルームミラー越しに後ろを見ながら言った。

 タクシーの運転手は無言で運転を続けている。

 もうひとり、助手席に座るダウンジャケットの茶髪男も、サイドミラーをチラ見し、

「どう見たって農家のババアだろ」

 と、溜め息をつく。

 後部座席の男の横では、半透明の衣装ケースが幅を取っている。その中には白く大きな布袋が詰められていた。

「一応、その辺に停まって、やり過ごした方が良いんじゃないですか」

「そうだな」

 路肩に寄せて停まったタクシーを、軽トラが追い抜いて行った。

「……アオ。タクシーが一旦停まったから追い抜いた。近いかもね」

 制服の上に作業着を羽織り、首に手ぬぐいなど巻いている軽トラの運転手は赤井稲穂あかい いなほだ。

「了解」

 と、答えたのは、フルフェイスヘルメットを被り、ビッグスクーターに股がった青枝蒼子あおえだ そうこ

 制服の上から、ライダースジャケットとジーンズを重ねている。

 ふたりは、菅黄すがき寿々理すずりが乗ったはずの不審なタクシーを追跡中だ。

 街灯も少なく、タクシーのヘッドライトがよく目立つ。

「目標確認。少し距離つめる」

『了解』

 青枝は、赤井とイヤホン通話をしている。

 タクシーが到着したのは、人気ひとけのない廃ビルの裏駐車場だ。

 周囲のシャッター街は、除雪車も来ないのか。歩道の積雪も放置されている様子だが、廃ビルの裏口付近だけはキレイに雪が消えていた。

 停車したタクシーからふたりの男が降り、後部座席から半透明の衣装ケースを引っ張り出している。

 ふたりが衣装ケースの左右を持って、廃ビルの裏口へ向かい始めたところへ、青枝のビッグスクーターが追いついた。

 男たちがギョッとして青枝に目を向ける。

 青枝はヘルメットを被ったまま、

「中止、中止。その子置いて、急いでここを離れてだって」

 と、男たちに近付いた。

「は?」

「え?」

「いや、詳しくわかんないのは知ってるでしょ。ほら、早く早く」

 ふたりは慌ててタクシーに乗り込んだ。

 逃げるように走り出すタクシーと入れ替わりで、赤井の軽トラが駐車場に到着。

 廃ビルの裏口付近は静かだ。

 赤井も駆け寄り、青枝とふたりで衣装ケースを軽トラの荷台に乗せる。

 赤井と青枝も、急いでその場を離脱した。



 病院の個室で目を覚ました菅黄は、すぐに検査を受けた。

 医師の診断では、薬を嗅がされて眠っていただけだろうとのことだ。

 明るい個室のベッドで、菅黄はまだぼんやりとしていた。

 そのベッドの横にパイプ椅子を並べて、私服姿の赤井と青枝が座っている。

 夕暮れに病院へ担ぎ込まれた菅黄は、様子を見るため、ひと晩病院に泊まった。

 赤井と青枝は、朝一で菅黄の様子を見に来たのだ。

「色々、検査されました」

 寝ぼけ眼を擦りながら、菅黄が言った。

「うん。薬の影響も残ってなさそうで良かった」

 と、赤井が言い、青枝も安堵の表情を見せる。

「なんか、タクシーがヤバかったのはわかったんですけど。結局まだ、なにがなんだかで」

「全校集会で、闇バイトについての映写会があったでしょ。まさに、それだったみたい」

 青枝が言うと、菅黄は、

「……えーっと?」

 と、首を傾げた。

 説明しようと青枝が口を開きかけたが、コンコンッと病室の戸がノックされた。

「はい」

 菅黄が返事をすると、菅黄と同じ病院着姿の中年男性が駆け込んで来た。

「あぁ、お嬢さん。ご無事で――」

 言いながら床にひれ伏し、中年男性が土下座する。

 菅黄と、赤井に青枝も目を丸くした。

「ちょっと、橙野とうのさん?」

「お嬢さん、私がヘタ打ったばかりに、危険な目に……」

「えっと、私を送り迎えしてくれてる運転手さんですけど」

 目をパチパチさせる菅黄に、青枝が、

紫苑しおんさんの店の駐車場で、橙野さんも睡眠薬を嗅がされてたのよ」

 と、話した。

「えっ、大丈夫だったの?」

「はい。私はなんとも」

 もう一度コンコンと戸がノックされ、菅黄が返事をする前にスーツ姿の男も病室にやって来た。

「橙野さんも念のため、ひと晩様子を見て病院に泊まったんだよ」

 と、スーツの男が言う。赤井が、

真緑まみどり署の刑事さんだって」

 と、紹介した。

 内ポケットから手帳を出して見せ、

茶渡さわたりです」

 と、男性刑事は名乗った。

「青枝さんと赤井さんには、昨日も話を聞かせてもらいましたが、皆さん揃ったところで。もう一度、昨日のことを聞かせてもらえるかな」

 茶渡という刑事は、警察手帳とは別の手帳とペンを取り出しながら言った。

 ベッドの柵に掛けられたカーディガンを菅黄の肩に掛けながら、青枝が、

「部活が終わって、3人で通学路を降りて行くと、いつもの送迎車じゃないタクシーが近付いてきたんです」

 と、話した。赤井も、

「菅黄のお嬢さんですかって名前を呼んでたし、どこでも見るタクシー会社の車っぽかったから本物かとは思ったんですけど。スガちゃんのお家の人が先に連絡してこない事はないだろうし、スガちゃんが連絡に気付かない事もないんじゃないかって。ちょっと変だなって思ったんです」

 と、話した。

 何事も楽しむ性格の赤井も自重できる。

 現状が飲み込めていない菅黄と、茶渡刑事にもありのままをしっかりと話した。

「それで、タクシーの後ろから」

「あの、ちょっと良いですか」

 と、菅黄が話を止めた。床に正座したままの運転手、橙野に目を向け、

「橙野さんにも、椅子に座ってもらって下さい」

 と、言い、赤井がすぐに、畳まれているパイプ椅子を広げた。

「すみません、どうも」

 頭を下げながら、橙野はパイプ椅子に腰かける。

「そう。タクシーの後ろから、急かせるようなタイミングで乗用車が2台。クラクションを鳴らすから、スガはスマホを確認する前にタクシーに乗ったんです。今思えば、タクシーに乗り込んでいたふたりの男と、乗用車の運転手は同じ人だったかも。確実じゃないけど、似たような色の服を着てました」

 と、青枝が話す。赤井が続けて、

「もう1本下の大通りは車通りも多いけど、あの時間帯にスガちゃんの家の方向へ車が向かう事って珍しいんです。だからやっぱり変だと思って、念のため追いかけてみようかって」

 と、話した。

 頭を下げながら橙野も、

「私は、青枝さんの御親戚の方が営まれている喫茶店の駐車場に、車を停めて待たせて頂いているんです。昨日も、いつもの時間に待機していると、近所のおばさん風の女性が『猫ちゃん猫ちゃん』と言って、運転席に寄って来たんです。車の前を指差していたので、タイヤの前に野良猫でも居るのかと……轢いちゃいかんだろうと思ってドアを開けたら、その女性が隙間から何かを車の中に放り込んできたんです。外からドアを閉められて、何が放り込まれたのかを確認する間もなく意識が遠のいてしまいました」

 と、暗い面持ちで話した。

「橙野さんの車に投げ込まれたのは、催眠ガスの缶だったようです。今、入手経路を調べています」

 と、茶渡刑事は、手帳に書き込みながら言った。

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