4 事件



 真緑市まみどりしの岩山鍾乳洞しょうにゅうどうで見付かった、氷漬け女性遺体。

 やっと日本人女性であることがわかったという報道の後、その話題がピタリと消えていた。

 真緑市民にとっては、騒ぎが中途半端に消えることこそ驚くべき現状だ。しかし世間の目は別の場所で起きた、似たような事件に向いてしまった。

 他県の鍾乳洞で、立ち入り禁止区域に侵入した一団が事故で死傷。

 侵入系動画撮影者の迷惑行為という方向に、話題が流れてしまったのだ。

 どんな大発見も『話題の旬』を過ぎれば、話題の方から提供されてくる事はなくなる。

 存在が消える訳ではないが、わざわざ新しい情報を自ら探す手間が必要だ。

 興味を向けていた真緑市民ですら、それをする事は少なかった。



 氷漬け遺体の話題が消え、2月になった。

 それでも、事実を文字で記録してきた歴史のある菅黄すがき家の蔵には、相変わらず閲覧希望や取引を持ち掛ける声が絶えていない。

 跡取り娘の菅黄は疲弊気味だった。

 決められた時間の送迎やら、門限や外出制限も厳しいままなのだ。

「もう、真緑市の歴史博物館にでも、こっそり寄贈しちゃえばいいのに」

 温かい缶コーヒーを片手に、菅黄がぼやいている。

 真緑高校ミステリー研究会の部室。

 本日も放課後に集まった3人は、推理小説や活動記録ノートを眺めていた。

 部長の赤井あかいはひとり、大学入試の勉強をしている。

 指定校推薦で、すでに合格している青枝あおえだはのんびりと、

「寄贈するにしても、スガの家の蔵って物凄い量の書物が納められてるんでしょ」

 と、聞いた。

原本げんぽんはそんなに多くないんですよ。でも曽祖父の代の時に、原文をそのまま新しい紙に書き写したから、書物の数は単純に倍になったらしくて。祖母の代では古い言葉を現代用語に直したので、3倍? 祖母が現代解釈で書き直した量は、そんなに多くないですけど。今の時点で、蔵に並べた書棚が満タンになってますね」

 青枝も思い浮かべてみながら、

「塀の外から蔵が見えるけどさ。あの蔵が満タンになる量なのね」

 と、感心の息を漏らす。

「六人姉妹だった祖母が、現代用語への書き直しに姉妹総出で5年かかったって言ってました。父の代で、全部データ化しちゃいましたから、これ以上増える事はないんですけどね」

 さらりと答える菅黄に、青枝はゆっくりと顔を向けた。

「ハイテク化もしてたの」

 と、呟く。

「はい。持ち出しも容易になっちゃって」

 青枝は難しい顔で眉を寄せ、

「その事は外にバレて?」

「ます。蔵の内容と一緒に、データ化されてる事も近所の年寄りがバラしちゃいました。って言うか、その近所の年寄りって祖母の妹のひとりなんですけどね」

「うわ。蔵主くらぬしの親戚だった……」

「6人も姉妹が居れば、ひとりくらい後先考えずに言い触らしたい欲求を優先させるのが居るって、祖母ちゃんが嘆いてました」

 くたびれた表情で、菅黄は肩を落とす。

 氷漬け遺体に関連するかどうかはともかく、蔵に古い記録が残されているとバラされたおかげで、菅黄は現在も窮屈な生活を続けているのだ。

「門外不出な内容なのに、門外不出な記録がある事をバラしちゃった時点で、もう門外不出じゃなくなってると思うんですよね」

「そうだね。お腹空いちゃった」

 突然、勉強中の赤井が言い出した。

「赤井、しっかりして。食べ物とか空腹についての話はしてないよ」

 青枝に言われ、赤井はペンを持ったままグーッと伸びをした。

「おしるこ缶が冷めないように、ヒーターの前に置いてたんだー」

 ソファーに座り直し、赤井はプシュッと缶を開けた。

 ごくごくと飲み干し、ふーっと深い息を吐き出す。

「試験日近いのに、付き合ってもらってすいません。部活の時間くらいしか、ゆっくり過ごせなくて」

「いいの、いいの。私も、ここの方が落ち着いて勉強できるしー」

「おしるこ缶、もう1本買って来ましょうか?」

「大丈夫! もう1本あるの」

 緑がかったグレーのブレザーのポケットから、赤井はおしるこ缶をもう1本取り出した。

「今日は、雪で山道が通れないのよ。遠回りの通学路から帰るんだから、そろそろいい時間だよ」

 腕時計を見る青枝に言われ、赤井もテーブルに置いていたスマホを見下ろした。

「あぁ、もうこんな時間?」

「もっと、ゆっくりして行きたいんですけどね」

「氷漬け遺体の話題がなくなったんだから、スガちゃんの蔵の方も早く落ち着くと良いのにねぇ」

 問題集を片付けながら、赤井が言った。



 林の中を、冷たい風が吹き抜ける。

 陽が落ちるのも早い季節だ。夕日は雲に隠れて、辺りは薄暗い。

 真緑高校は街を見下ろす山の中腹にある。

 通学路には遠回りなアスファルト道路と、近道になる土の道があるが、現在は積雪のため、土の道が封鎖されている。

 とは言え、アスファルト道路に残る雪は少ない。

 冬は降雪の多い地域だが、今年は暖冬で雨が多かった。

 外出できず門限も厳しい菅黄と、受験勉強が大詰めの赤井は少々重い足取りで歩道を歩いていた。

「赤井の受験が終わったら、内緒で部室にお菓子でも持ち込んでさ。受験おつかれ会しようよ」

 と、青枝は声を掛けてみる。

「いいですね。青枝先輩のお誕生日も祝いましょう」

「あっ、いいねいいねー」

 赤井が楽しげに答えていると、山の下の道に、菅黄家の送迎車とは違うタクシーが近付いた。

 真緑市内でよく見かけるタクシー会社の車だ。

『空車』ではなく『送迎』という表示になっている。

 若いタクシー運転手が顔を出し、

「菅黄のお嬢さん? 車が故障したから、今日はタクシーで帰って来てってことです」

 と、声を掛けてきた。

「えっ?」

 菅黄はスマホを出して確認しようとするが、タクシーの後ろから続けてやってきた車が2台、クラクションを鳴らす。

「乗って、乗って!」

 運転手に急かされ、

「あ、じゃあ。おつかれです」

 と、菅黄はタクシーに乗り込んだ。

「おつかれー」

 すぐに走り出したタクシーに手を振りながら、見送っていた赤井と青枝は顔を見合わせた。

「こんな時間にタイミングよく、あっちに向かう車が2台も?」

「珍しいよね」

「タクシーのナンバー覚えた?」

「うん。追いかけようか」

 ふたりは同時に駆け出した。

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