4 新トイレの調査


 新設されたトイレにも、詰まりそうな気配があるらしい。

 ミステリー研究会の3人は、体育館事務員・桃瀬ももせの案内で、新しいトイレの調査に来たところだ。


 新しい女性用トイレから、水を流す音が聞こえている。

「……館長?」

 女性用トイレの個室に、スーツ姿の中年男性が屈み込んでいた。

 個室の扉を開けたまま、驚いたような表情で見上げている。

 館長と呼ばれた中年男性は慌てて立ち上がり、

「桃瀬さんが午後は休みだったから。この時間帯は静かだし、パパッと貼ってしまおうと思ってね」

 と、言う。その手にはA4サイズの紙束があった。

 『万引き禁止』と書かれた横に、ロール紙のイラストをつけた貼り紙らしい。

「早い方が良いだろうと思ってね。今日明日は吹き矢の夜間部もあるし」

 と、館長は、わざとらしく声をひそめて言った。

「あの、館長。この子たちは姪っ子と、お友だちです。今日は見学で」

「そうかそうか」

 慌てた様子は始めだけだった。

 女性用トイレの中で、館長は堂々とした笑みを見せる。

「キレイなトイレですね。古いトイレは詰まりやすかったって聞きましたけど」

 と、青枝あおえだは聞いてみた。

「設備はキレイだけどねぇ。ほらっ、これこれ!」

 館長は、先ほど屈み込んでいた個室を指差した。

 使い掛けのロールが床に置かれている。

 ペーパーホルダーには、新しいロールがセットされているようだ。

「無芯タイプのロールを使ってるんだけどねぇ。残りが少なくなると破れやすかったりして使いにくくなってくる。これは置いてあるからまだ良いけど。新しいロールを使うために、こういう使いかけを流しちゃうんだよ」

 そう言って、館長は大きな溜め息を吐き出した。

 赤井あかい、青枝、菅黄すがきは顔を見合わせた。

「やっぱり僕は、これが詰まりの原因だと思うなぁ。持って帰っちゃう人も居るし、使いかけを流して無駄にする人も居るし。なんで大切に使えないんだろうねぇ」

「……」

「……」

 いつまでも女性用トイレに居座る男性館長に、女子高生たちは正直な視線を向けた。

「館長。その貼り紙は私が貼っておきますから」

 苦笑いで、桃瀬が言った。

「そうだね。じゃあ、頼むよ」

 貼り紙を手渡すと、館長は周囲を気にする様子もなく女性用トイレから出て行った。

 静かな時間帯とはいえ、度胸があると言うべきか。

 館長の足音が遠ざかると、桃瀬は軽く咳払いしながらスマホを取り出した。

「遅番の吹き矢の先生と友だちだから、話を聞いてみる?」

「聞いてみたいです」

 と、青枝が答えた。

「OK」

 すぐに桃瀬は電話をかけてくれた。

「スガちゃん。こっちの間取りも簡単に書いておいて。予備のロールの置き場も」

 と、赤井が言う。

「はーい」

 青枝はトイレを見回しながら、

「館長さん、普通に女性用トイレに入ってましたね」

 と、桃瀬に聞いてみた。

「これを貼るためって言ってもねぇ。私が出勤するまで待てないのかしら。セロテープもベタベタになるから駄目って言ってたのに」

 貼り紙と一緒に手渡されたセロテープを見せ、桃瀬は渋い表情で言う。

 赤井は桃瀬の手にある貼り紙を眺めた。

 縦書きされた『万引き禁止』という文字の左横に、ロール紙のイラスト。

 右側の空白にバランスの悪さを感じるが、トイレットペーパーの持ち帰りも万引きである事は伝わるだろう。

「館長さん、水も流してたよね。詰まりの確認? いつも女子トイレで水流したりしてるのかな」

 と、赤井が言っている。

「それは問題ね」

 青枝が即答し、菅黄も頷いている。

「私から注意しておくわ」

 と、桃瀬は苦笑いだ。

 青枝は、館長が屈み込んでいた個室に入ってみた。

 手を近づけると水が流れる、センサー式の水洗トイレだ。

 横壁に水洗センサーと、ウォシュレットの操作パネルが取り付けられている。

 水を流してみると、ごく一般的な水量で流れていく。

 3分の1ほどの細さになった使いかけロールが床に置かれている他は、汚れている個所もない。

 ペンを走らせながら菅黄は、

「館長権限で堂々と覗くために、トイレを詰まらせてたりして」

 と、言っている。青枝も苦笑いで、

「だから使う人が少ない時間帯に侵入してた? 女性陣には通用しないでしょ。館長も、スポーツ教室の時間割は把握してるんですよね?」

 と、桃瀬に聞いた。

「もちろんよ」

「流れ方は普通だよねー」

 個室の水を流して回りながら、赤井が言っている。

 数か所でほぼ同時に水を流しても、水流が変化することもない。

「なにか、わかりそう?」

 桃瀬が聞いたところで、キュッキュッと運動靴の足音が近付いた。

 桃瀬と同年代に見える、ジャージ姿の女性が顔を見せた。

「ちょっと、また詰まったの? 吹き矢教室に言われても……あら?」

「違うのよ、黒部くろべさん。この子たちは姪っ子とお友だち。真緑まみどり高校の生徒さんなの」

「見学?」

「地域的な下水の問題なら、高校の方も詰まってるかと思って聞いたの。ついでに体育館の見学もね」

 女子高生3人は水道前に集まって、ペコリと頭を下げた。

「そう。それで、高校も詰まるの?」

「詰まりません」

「なんだ、そうなの?」

 黒部と呼ばれた吹き矢の先生は、肩を落として言った。

「もしかして、吹き矢教室が疑われてるんですか?」

 と、青枝は聞いてみた。

 黒部は、眉を寄せて息をつく。

「以前、吹き矢教室の生徒さんが、トイレットペーパーを持ち帰っているところを目撃されていたのは事実よ。でも館長、全員に周知してるなんて言って。吹き矢の生徒さんたちにだけ、何度もトイレの注意事項を伝えてるの。持ち帰りが確認されているだとか、ロールは最後まで使い切って下さいとか。他の教室の生徒さんまで、吹き矢教室に問題があるから何度も注意されてるんだろうなんて言い出してるのよ」

 と、ご立腹な様子で話してくれた。

「そんなこと言われてるの?」

 と、桃瀬が目を丸くする。

「そうよ。館長だって、そう思ってるでしょ?」

 ご立腹の向きは館長らしい。

 桃瀬は肩を落として見せ、

「うーん、自分の思い込みが正しいってスタンスの人だから……以前の事実ばかり重要視して、現在を客観的に見られていない節はあるわね。でも、周知は平等にするべきね。問題のあった人が所属していたことは、吹き矢教室全体を疑う根拠にならないわ」

 と、話した。頷きながらも黒部は、

「館長は疑う根拠にしたいようだけど」

 と、言っている。

「私はそう思ってないし、もし館長が意識を変えてくれないようなら、本部に伝えるから」

「ええ。そうして欲しいわ」

 桃瀬と黒部が、困惑の表情で頷き合っている。

 菅黄は、黒部という吹き矢教室の先生の話も、さりげなくメモを取った。

 一瞬、静かな空気の流れた女子トイレに、カポンカポンという音が聞こえた。

 青枝が使いかけのロールを外し、新しいロールを設置し直した音だ。

 館長の居た個室に残された使いかけロールも、拾って一緒に差し出し、青枝は、

「だいたいの見当はつきました。桃瀬さん、確かめてみて欲しいことがあります」

 そう言って、自信ありげに頷いて見せた。

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