2 トイレに謎が詰まっているらしい



「暖かくなったよねー」

 進級したての高校3年生、赤井あかいは咲き残る山桜を見上げながら歩いている。

 その後ろを行く同じ3年生の青枝あおえだと2年生の菅黄すがきは、新緑の林に目を向けた。

 緑豊かと言えば聞こえはいいが、どこを向いても山が見える田舎町だ。

 3人の通う真緑まみどり高校と市民体育館は、同じ山の中腹に建てられている。

「直接、体育館に行くのかと思ったら」

 と、青枝が言った。

 制服姿の3人は、緩やかな山道を下っているところだ。

 遠回りになるアスファルト道路とは別の、最短で山を降りられる土の道。

 生徒たちにあまり人気のない山道だが、ミステリー研究会の女子高生3人は慣れた足取りで林を進む。

 前を歩く部長の赤井は、

「美味しいものでも飲みながら、依頼の話を聞こうと思ってね」

 と、楽しげに答えた。



 やって来たのは、高校のある山のふもと。

 『喫茶 紫苑しおん』という看板の立つ喫茶店だった。

 新緑の林と広い駐車場に囲まれた、趣のある木造店舗だ。

 赤井が喫茶店の押し扉を開けると、カラカラと軽い音色のドアベルが鳴った。

 天井吹き抜けのログハウス風喫茶店。

 挽き立て珈琲の香りが広がっている。

「いらっしゃいませ。おかえりー」

 と、渋みのある声が迎えた。

 店主は、黒髪オールバックに笑顔の似合う紳士だ。

 数人の常連客たちも、それぞれのテーブルから会釈してくれる。

「こんにちは、紫苑さん」

 赤井が挨拶し、菅黄もぺこりと頭を下げる。

「あのね、叔父さん」

 カウンター脇から青枝が声をかけた。

 店主・紫苑は青枝の叔父だ。顔を並べると面持ちがよく似ている。

「トイレが詰まるって話をしたいの」

 小声で、青枝は言った。

 当然、飲食店に歓迎される内容ではない。

「あはは。じゃあ、テラスを使ってくれるかな」

 と、紫苑は笑いながら、店の奥に見える裏口扉を指差した。

「はーい」

「あ。これから、もうひとり来るんです」

 と、赤井が言う。

「OK。3人の注文は、いつもので良いのかな?」

「うん!」

「かしこまりました」

 紫苑の紳士スマイルに、3人も笑顔を合わせた。



 裏口から店の外へ出ると、新緑の林に囲まれたテラス席になっている。

 パラソル付きの丸テーブルが2台。その片方に3人は腰を下ろした。

「市民体育館の事務員をやってる、赤井先輩の伯母さんが来るんですよね?」

 書記の菅黄が、活動記録ノートを開きながら聞いた。

「うん。そろそろ来ると思うんだけど」

 と、赤井は腕時計を見ながら言っている。

「あ。来たかな」

 青枝が目を向けると、グラスをトレーに乗せた紫苑が裏口扉を開けた。

 その後ろで、スーツ姿の女性が笑顔で手を振っている。

「こんにちは、伯母さん」

「こんにちは」

 グレーのパンツスーツがスタイリッシュな女性だ。

 四十代には見えるが、オバサンという言葉は似合わない。

「ご注文、どうなさいますか?」

 紫苑に聞かれ、赤井の伯母は、

「えっと。みんなはジュースね」

 と、テーブルを見回す。

 3人の前に置かれたのは、真緑色のメロンソーダだ。

「ここのメロンソーダ、美味しいですよ」

「あら、そうなの? じゃあ……」

 テーブルに置かれたポップを見下ろし、赤井の伯母は、

「コーヒーフロート、お願いします」

 と、注文した。



 夕方というには、まだ早い時間だ。

 サラサラと木々を揺らす風は暖かい。

「伯母さん。ミステリーマニア連れて来ましたよ」

 と、赤井が言った。

「あら、頼もしい。伯母の桃瀬ももせです」

「ミステリー研究会、副部長の青枝です」

「書記の菅黄です」

 と、自己紹介も簡単に済ませ、本題に入る。

 菅黄は活動記録ノートを眺めながら、

「市民体育館の新しいトイレの詰まりが、人為的なものかも知れないって聞きました。元々、古いトイレも詰まることがあったんですよね?」

 と、聞いた。

「ええ。時々詰まってたから、古いトイレは元々工事済みだったの。しばらく平気だったんだけど、また数年前から詰まるようになっちゃってね。クレームが運営企業にも届いちゃって。それで新しいトイレを新設したのよ」

 桃瀬という赤井の伯母は、苦笑いの表情で話した。

「運営企業?」

 と、赤井が首を傾げる。

「委託なんですね」

 と、青枝も聞いた。

「ええ。市民体育館は、民間のスポーツクラブ『ホワイトスポーツ』が、真緑市まみどりしの委託を受けて運営しているの」

 菅黄が、さらさらとノートに書き込んでいく。

 真緑色のメロンソーダをひと口飲み、青枝は、

「古い方のトイレは数年前から、また詰まり出したんですね。その頃、何かありましたか」

 と、聞いた。

「その頃?」

「例えば、利用者が増えたとか、新しいスポーツ教室が始まったとか」

 コーヒーフロートを口へ運び、

「……あぁ。吹き矢教室が、その頃に始まったわね」

 と、桃瀬は答えた。

「吹き矢? 楽しそう!」

 赤井が目をキラキラさせる。

「見学なら、いつでもどうぞ。日曜日に、体験教室もやってるわよ」

 と、桃瀬は笑顔で言った。

「他に、その頃から気になり始めたことはありませんか」

「そうねぇ……予備のトイレットペーパーが無くなるようになったのも、その頃からだったのかな」

「トイレットペーパー?」

「予備のロールをトイレの個室に置いておくと、持って帰っちゃう人がいるのよ」

 と、桃瀬は苦笑する。

「駅とかデパートでも、パクってく人がいるらしいですね」

 ノートに書き込みながら、菅黄も言っている。

「吹き矢教室の生徒さんの中に、バッグの外から丸見えなくらい持ち帰ってた人がいてね。でも、その人はもう教室をやめちゃってるし、たくさんの利用者さんが使うトイレだから。今の吹き矢教室の生徒さんが原因ってことはないと思うけど。新しいトイレまで、いまだに詰まりそうだから謎なのよね」

 と、桃瀬は話し、肩を落とす。

「詰まるのは女子トイレですか?」

「男女、両方よ」

「あ、両方なんですね」

 すでにグラスを空にした赤井は、

「実際のトイレ、見てみようか」

 と、言い出した。

「やっぱり、そうなるのね」

 ゆっくりとメロンソーダを飲み干し、青枝が息をつく。

 菅黄も慌ててストローに吸い付きながら、

「うちらが見て、わかる事ありますかぁ?」

 と、首を傾げている。

「まあ、体育館の見学も兼ねてってことで」

「あらあら。歓迎するわ」

 赤井と桃瀬は、楽しげに笑った。

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