第9話 ロストガール・スタンディング
――大倉 蘭と、日吉 綾香は、消失した。
まるでこの世界に、初めから存在していなかったかのように。
あの日、一緒に遊んだ相手は、アヤちゃん。日吉 綾香だった。
なんで忘れてたんだろう。――もう一つ、思い出す。
蘭。僕の妹。そのことも、記憶から消失していた。
なんでだ?
――悪いのは、きっと神様だ。
一見してギャグとしか思えないような名前の邪神。化け物。――こっくりクトゥルフ大納言ハスター。
あいつがすべて悪いんだ。あいつさえ、いなければ――僕はこうなっていなかった。
じわじわとセミが鳴いていた。
初夏から始まったこの話は、いつの間にか梅雨を過ぎて、夏にずれ込んでいた。
短いながらも重ねた日常。その痕跡は、僕の脳内にしか残っていない。
「クソ……」
家のベッドの上。僕は小さく呟いた。
ああ、歯がゆい。なんだか言葉にできないけれど、歯がゆくてたまらない。
親友と妹が、もうこの世界にいないことが。――二人の存在を、自分しか知らないということが。
「ああ、クソ……っ」
鬱屈とした気分が止まない。もはや散歩に出かける気にもならない。
すべてが鬱陶しい。
「どうすればいいんだよ……教えてよ、おねえちゃん」
呼んだ彼女は、いるはずもなく。
僕はただ首をもたげ、熱い空気を吸い、呼吸した。
「お困りのようですね☆」
「うわぁぁぁ!?!?」
突然の声に驚愕する僕。
振り返った先にいた声の主――銀髪の少女は「『あなた』とお会いするのはお久しぶりですね☆」と意味深な発言をする。
「どこから入ってきたんだ。お前はゴキブリか」
「この超絶美少女をゴキブリ扱いとは。失礼な奴ですねぶっ殺したりましょうか☆」
いちいち語尾の『☆』がうざいし怖い。
僕はそのゴキ……もとい、名前も知らないが無駄に記憶に残っている銀髪少女に話しかける。
「で、何の用だ?」
「いよいよとりつくろわなくなりましたね。まあ、いまのあなたは正真正銘の女の子なのでなんにも言えませんが……」
――一瞬遅れて、そういえば地声で話していたはずなのに女声になっていたことに気付く。
慌てて股間に手をやる。湿ったおむつのじめっとした感覚。そして、小さいながらも存在感を放っていたはずの性器が消え去っていた。
頬を赤く火照らせ硬直し、そっと足を閉じた僕を横目に、目の前の銀髪の少女は「こほん、閑話休題☆」と話題を逸らす。閑話休題で済ましていい問題じゃない。
「何もかも無くしちゃった気分は、どうですか☆」
不意に、彼女はとても軽い口調で口にした。
――ああ、そうか。
はじめてできた、仲のいい友達。大切な義理の妹、そして姉。さらに、男という立場、プライド、性器――もう一人の自分。
そうして列挙して、僕は小さい拳を、握って、広げ、掌を見つめた。
――本当になにもかも失っちゃったんだ、僕。
一瞬忘れそうになった憂鬱がフラッシュバックして、かくりと首を垂れた。
ため息をついた。
「どうせお前にはわかってんだろ」
「何もかもはわかりませんよ」
「神様のくせに。悪趣味だ」
「なんとでも言うがいいです。どーせワタシは神様の操り人形なので」
「どちらにしたって、悪趣味だよ。……どうして、僕なんだ」
毒が、口から飛び出してくる。
「――そもそも、急に妹ができたことからおかしかった。その妹が突拍子もなく僕を妹にしだしたり、それから小学校に通わされたり――ああ、なんで、なんでぼくなんだ」
「いやでしたかね?」
「さいあくだ」
目を伏せた。唇を噛んだ。
「本当に、そうでしょうか?」
「わかってるくせに。……本当に、悪趣味だ」
涙がこぼれた。
「――失ったものが、愛しくてたまらないんだ」
僕には何もなかった。
高校を卒業した僕に、肩書きなんてものはなかった。
いわば高卒ニートというやつだった。大学に行けるほどの頭もなければ、なにか目指したいものがあるわけでもないし、そもそも何かを成し遂げられるほどの根性もない。そんな奴だった。
のうのうと過ごしてた灰色の高校時代。友人などはなく、ほどほどの成績で、進路もろくに考えず――恐ろしくてとても考える気にならなかったというのが正しいだろう。
どこで人生を間違えたのだろうか。
そんな答えのない後悔と共に、親の小言から逃げるためにふらふらと散歩に出かける日々が、三月終わりから続いていた。
思えば、親が再婚したときにもろくに祝ってやれなかった。妹にも合わせる顔がなくて、逃げていたのかもしれない。
――そう考えて、ようやくこんなことになってしまった原因が垣間見えた気がした。
そうか。罰だったんだ。
妹から、家族から、世間から世界から未来から、逃げてきた、罰。
それで何が変わったというわけでもないけど。
守るべきものが出来て。愛すべきものが出来て。
ようやく色付きはじめた世界。向き合ったことで、見えてきた世界。
「失いたく、ない。……なかった。…………ああ、取り戻したい」
鈍い後悔が火花となって、バチバチと脳内にスパークを撒き散らす。
――背中に、柔らかい感覚。温かさ。耳元から、囁き声。
「きっと、こうなるから……絶望から這い上がる『意思』があるから……きっと、神様はあなたを選んだんだと思いますよ」
ね。悪趣味じゃなかった。
そんな風に笑う銀髪の少女。ふっと、心に抱えたものが軽くなったような気がした。
「さ、与えられるヒントは与えました。ここからは、アナタの試練です☆」
銀髪の少女が、僕から離れて告げる。
「面白い結果を期待してますよ。少年――いや少年でも少女でもない『アナタ』に、幸あらんことを」
僕が少女の方を振り返ると、もうそこに少女はいなかった。
「――ついでに最後の出血大サービスです。ワタシの名前は――――――――です☆」
微かに聞こえたその声。僕は首を縦に振って、深呼吸をした。赤い石を握りしめて。
さあ、『僕』のさいごの仕事を始めよう。
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