第7話 ミッドポイント


 数十分後。

「はい。アイス買ってきたよ」

「わーい! ありがとー、りんちゃ――お兄ちゃん!」

 まったく兄遣いの荒い妹だ。疲労困憊の僕にコンビニまで行かせるとは。

 もっとも、自業自得と言われたら返す言葉もないのだけれど。

 ぜーはーと息を吐きながら、縦に二つに分けられるタイプのアイスを手渡す。

 蘭は「やったー」とパッケージを破って、ぱきっと二つに分けて、片方を口にくわえて――僕の方に、口をつけてないほうの片方を差し出した。

「……なんで?」

「おすそわけ。いらないなら私が食べちゃうけど」

「いります」

 蘭の好みがわからないからとはいえ、自分の好みで買ってきたのだ。欲しくならないわけがない。

 吸い口を開け、口に入れる。蘭は食べ方を知らなかったようで、僕を真似て、すでに唾液と歯型がついた吸い口を開けた。

「蘭って意外と世間知らずなんだな」

「このアイスははじめてだったの」

 コンビニではよく見かける奴だから、当然知ってると思ったんだけど。

 よく考えてみたら、私立の女子大付属の小学校に通っているお嬢様なのだ。普段の言動からはとてもそうは見えないけど。

 そう考えてみると、蘭は意外と世間知らずの箱入りお嬢様だった可能性も浮かび上がる。であればコンビニアイスを知らなかったのも無理はない。


 肩出しのTシャツにショートパンツ。そんな恰好で胡坐をかいてる蘭。

 ツインテールの先をいじくりながらアイスを食べている彼女の鼠径部。――やっぱり痣がちらちらと目につく。

 痣というか、刺青のようにも見えるような、そんな模様。僕はたまらず。

「なぁ、その……アザ? タトゥー? みたいなの……なに?」

 聞いてみると、彼女は首を傾げた。

「え、なにそれ」

「ほら、ふとももの内側の」

「ふとももの……あ、ほんとだ」

「いままで気付いてなかったのか」

「だって痛くなかったし」

 痛くないんだ、それ。

 やけにはっきりとしたそれは、痣というよりかはやっぱり刺青みたいなものだったのかもしれない。

 二人して考え込んで、何にもつながらずに「なんなんだこれ」で終わった。

 ――「あの日」のことを忘れていた、初夏の日。


    *


 あくる日。学校。

「体育でも普通に着替えられるようになったね、お兄ちゃ――りんちゃん」

「呼び方ほんとうに複雑だね、お姉ちゃん」

 そう言って僕は服を脱いで下着姿になる。

 男らしい身体のせいで性別バレする、とかほざいてた時期が懐かしい。無駄に華奢な体格と、まだ小学生であることも手伝ってか、意外とバレることはなかった。

 おむつも、制服のスカートの下にショートパンツなりスパッツなりを履くことを覚えたので、なんとか隠せている、はずである。

 それでもなるべく肌をさらす時間を減らしたりとか、気を付けてはいるけどね。

 もはや慣れてしまった着替え。他の女子の着替えを見ないようにしつつ、しかしすぐ隣の席にいる蘭の姿は意識せずとも目に入ってしまう。

 ――気になるのは、ふとももの内側。刺青のようなもの。

 本当に痛くないのか? というかそもそもなんなんだ?

 というか、形が変わってないか?

「ねえ、それ――」

「えっち」

「ごめん」

 慌てて目をつぶって後ろを向く僕。着替えは既に終わらせた。

 僕が男だと知っているのは、蘭一人である。なので、クラスメイトの大半はいまの行動の意味が分からんかったことだろう。残り約半数は気付いてすらいなかったと思う。

 閑話休題。

「――ところで、あの……アザ? タトゥーみたいなの……形、変わってない?」

「あ、ほんとだ」

 デジャブ。

 それにしても、不思議な形だ――まるで、時計の針が一つ進んだような錯覚を覚える。カウントダウンされているような――じゃあ、ゼロになったら何が起こるんだ?

「どうしたの、りんちゃん。顔、真っ青だよ」

 言われてはじめて気づいた。寒気。背筋が凍ったような感覚。

 深呼吸して。

「だ、い、じょう、ぶ。なんでも、ない」

「ならいいか。行こ!」

 着替え終わった蘭に手を引かれ、僕は教室を飛び出す。

 ――まるで真冬のひまわりのような、その笑顔にほだされ――――――――


「久しぶりですね、少年☆」


 ――目の前に、銀髪の少女がいた。

「うわ! 変質者!」

「誰が変質者ですか☆」

 そっと目の前に立つ銀髪ロングの変質者を指さした。

「失礼ですね☆」

 いちいち語尾に星をつけてくるのがやかましい。


「いきなり学校にやってくるなんて――」

 ここで僕は周囲の現状に気付く。


 ――なにもなかった。

 学校の廊下に出たところだったはずの空間は、暗く黒く染め上げられ、だだっ広い空間になっていた。

 振り向いても何もない。蘭もいない。誰もいない。目の前の女と僕しかいない。

 ――どういうことだ。

「ちょっとあなたの夢の中に入らせていただきました☆」

「夢?」

「そう、夢です☆ 現実のあなたは……そうですね、眠りこけて保健室にでも運ばれているんじゃないでしょうか☆」

 目の前の女はやはり人間ではなさそうである。


「で、なんの用?」

 僕は胡坐をかいて、その銀髪少女を睨む。

「おー怖い怖い☆ ではですね――ちょっと契約の話でもしましょうか」


 ――契約。

 複数の者の合意によって、当事者間に法律上の権利義務を発生させる制度。

 実現すべき約束。――実現するよう、法で縛られた約束。

「まあ、神様仏様の世界にも、契約ってのはあるんです。――むろん、神様仏様の法、言っても決めるのはその神仏なので実質自分ルールに則ったものなのですが☆」

 僕はこくりと頷き。

「それが、なんですか」

 問うと、少女は。

「あなた――いや、妹さんですかね☆ ……神様と、契約したことありますよね」

「神、さま……」

 すぐには思いつかなかった。それは――『アレ』を、神と認識していなかったからかもしれない。

「こっくり、クトゥルフ、大納言……」

「そう、それです」

 確かに、契約していた。いや、しようとしていたように見えた。

「それを――あなたが邪魔した。体当たりして、無理やり止めた。あたかも、歯車に異物を噛ませるように――あってますかね☆」

 僕はゆっくりと頷く。

 背筋に寒いものが走る。

「――契約。それは必ず実行されなくてはならない。神様の勝手な法に基づいて」

 不敵に笑うその女。――その貌は、あたかも魔女のように歪む。

「ま、そういうことです。ご愁傷さまでした☆」

「どういうことだっ!!」

 叫ぶ。否定。――いま一瞬で考えてしまったことを、否定、したくて。

「さて、答え合わせといく前に、なぜ私がこんなことをしたのかを明かしましょうか」

 綺麗すぎる笑顔を僕に向けて、銀髪の少女は告げる。


「そのほうが、『面白そう』だから、ですよ☆」


 瞬間、目が覚め――「なに、これ」

 起き上がる。保健室のベッド。隣――おそらく僕を見守っていたのであろう蘭が、なにかにおびえるような声を出して。

「おにい、ちゃん。――あれ」

 何かを指さす。

「なんで。呼んでないのに。召喚の道具もないはずなのに。――気付いたら、いたの」

 僕はその方向を恐る恐る緩慢な動きで――見た。見て、しまった。

 息を呑んだ。


 狐耳が生え、十二単を着た、緑色のタコのような何か。名状しがたきもの。――こっくりクトゥルフ大納言ハスター。

 能面のような顔面は、明らかに蘭の方へ向いていて――触手をニュルニュルと伸ばし――「だめっ!」

 僕はベッドから飛びあがる。ウィッグが外れるのも気にせずに――けど。

 触手は、僕の方にも伸びて――僕の首を絡めとる。

 首が、絞められる。

 苦しい。苦しくて苦しくて――死んでしまいそう、だけど。

「は、なせっ」

 火事場の馬鹿力。無理やり気道を確保し――あるいは、僕を捕らえるのにそこまでのエネルギーを費やしていなかっただけなのかもしれない。


 ――目の前で、蘭が触手に絡まれていた。


 能面が縦に割れる。

 口だ。一瞬で理解した。

「やめてっ! やだ! 死にたくないっ! 死にたくないよぉっ!!」

 泣き叫ぶ蘭。――はじめて蘭がアレを呼んだときに言っていた言葉を思い出して――僕は本能で理解させられた。


 願いをかなえる対価、それは願いを叶えた者の命なんだ。


 蘭は最初、願いを叶えさせるためにこれを召喚した。召喚文句に「我が願い叶えたまえ」と言った文言が入っていたことから推測したけど――もしそれが本当で、契約していたとして――契約には対価が必要だ。

 神様の勝手な法。自分ルール。完全に推測だけど、もしその中に「契約の対価は契約者の命である」なんて法があったとすれば。

 いままで踏み倒していたそれを、支払う期限。それが――いま、この時で。

 太ももの謎のタトゥーは、ゼロを指すような形に変わっていた。

 僕は脱力した。

 何故か。――もう「手遅れ」なのだと悟ったから。

「助けて! お兄ちゃ――!」

 僕を呼んで手を伸ばそうとする彼女に、僕はただ恐怖に失禁しながら見守ることしかできなかった。


 ――ああ、骨が砕け肉が裂ける音がする。

 耳もふさげない。すでに手足が縛られている。首もだ。

 せめて目を閉じて、目の前の非常な現実から目を逸らす。

 悲鳴。悲鳴。悲鳴――。


 ――どれくらい経っただろうか。悲鳴が尽きてから。


 吐瀉物と排せつ物にまみれ、床に倒れていた僕をクラスメイトが発見して、先生に伝え――病院へ連れていかされ――。


 そこから先は、よく覚えていない。

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