第16話「扉」

 木造りのその扉は図体ずうたいと質感に見合う重さで、舞衣の細腕ほそうでにはいささか手に余る代物であった。

金属製のハンドルを握り締めて力を込めても、扉が少し開く位で隙間ができる程ではない。

屋敷の門扉もんぴよりも遥かに重く、100kgはあるように思えたが、隙間からキュルキュルとゴムの擦れ合う音がするのを見るに防音扉なのだろう。

デイヴィッドが開けたときは重そうには見えなかったのに、つくづく自分の非力さを痛感する。

 少し遅れて廊下の奥から水衣がやってきてもう片方のハンドルを掴み、舞衣と同じように力を込めた。

すると、扉の真ん中に人ひとり通れそうなくらいの隙間が出来た。

 「みーちゃん、もうちょっとだけ引っ張ってて」

その言葉に水衣が頷くと、舞衣は扉の内側に手を差し込んで引き開けながら、自分の身体を隙間へとねじ込む。

ハンドルを引くよりも、内側から押し開けた方が簡単だと思ったのである。

 水衣と舞衣の15mほど後ろを歩いていた千秋は、それを見て歩を早める。

恐らく舞衣の力であの扉を押しのける事は些か無理があると感じたからだ。

 舞衣が右半身をねじ込もうとハンドルから左手を離した刹那せつな、抑えを失った扉が舞衣の身体を強く挟み込む。

胸骨きょうこつへの強い圧迫から逃れようと、舞衣は右足で踏ん張って扉を内側から押した。

だが、思ったよりも右足が奥まで入り込んでいなかったのか、力がうまく伝わらない。

 その時、千秋が水衣の後ろから両扉のハンドルを掴み、引っ張った。

舞衣は余裕のできた左半身を内側へと素早く引き込むと、そのまま扉から手を離す。

この手の事に関しては不名誉ふめいよにも、水衣より舞衣の方が遥かに優れていると言えた。

 無事に内側へと入り込んで両腕で押し開けようとすると、千秋が勢いそのままに扉を開け放ったおかげで服のエプロンへと飛び込んだようになってしまった。

反射的にエプロンにすがりついた舞衣を見て、千秋は水衣に目配めくばせをする。

水衣のへたれた精神に背中を押してやろうという算段さんだんだ。

どうやら舞衣の体幹ではその傾いた身体を起き上がらせそうにない様だ。

水衣は千秋に目配せされたことには気が付いたし、それが何を意味するかという事にも思い至っていたが行動に移すことが出来ない。

 そんな水衣に千秋は内心あきれながらも、左手で水衣のブレザーをつまんで舞衣の方へと引き寄せる。

尻を叩かれてのっぴきならなくなった水衣は、頬を薄いピンク色に染めながらも舞衣の上体じょうたいを抱き上げる。

水衣の助力もあって舞衣はなんとか体勢をを立て直した。

 「ありがとっ、みーちゃん」

そんな言葉に水衣は小さくうなずくことしかできない。

いま面と向かってしまったらきっと心が悟られてしまう、そんな不安ばかりが水衣の心をめていた。

 上体を起こした舞衣は再び開け放たれた扉を見るが、やはりその扉は水衣と舞衣が感じたよりも遥かに軽く見えた。

だか断面をのぞけば5cmをゆうに超える厚さがあり、木造りに思えたのも表面に木の化粧板けしょういたを貼っているがゆえ、実際は鋼鉄製と見える。

 何はともあれ、舞衣は小走りで玄関に入る。

水衣もそれを追い、姉妹は靴を脱いで居間へと上がる。


 ようやくデイヴィッドたちが追い付いてきて扉を開ける頃には、二人はもう内廊下と居間をつなぐ引き戸を開けたところだった。

そのまま内廊下へと入っていった水衣と舞衣、そして千秋を見てアレクセイは呟く。

 「...若いな」

その言葉にデイヴィッドは

 「お前だってまだ若いし、別に小走りするくらい何でもないだろう」

デイヴィッドがそういうとアレクセイは

 「まぁ...そうかもしれないけどな、俺も今年で32だ、もう立派なおっさんだよ」

と答える。

 「お前も神水おちみずを飲めばいいじゃないか、注射は無理でも」

デイヴィッドは掘りごたつにゆっくりと腰をかけながら言った。

神水とは神人特有の遺伝子に作用する薬剤で、末端小粒まったんしょうりゅうを伸長させる酵素を活性化させることで細胞を不死化させる効果を有する。

 「流石にニーナより若い父親ってのはごめんだ」

娘を持ち出してつっけんどんな返事をするアレクセイに

 「まだ4つやそこらだろ?あと10年や20年は許容範囲だろう」

と食ってかかる。

アレクセイはゆっくりと溜息をつくとこぼすように口を開ける。

 「そうじゃなく、俺が言いたいのは銃を撃つくらいじゃ心がときめかないぐらい心が老いちまったってことだ...」

老練の戦士のような言葉にデイヴィッドはシニカルな笑みを浮かべながらも

 「そりゃ随分と戦争中毒の論理だな」と言った。

 「お前だってそういう時期はあっただろ?」

アレクセイが問いかける。

 「いや...悪いがが俺は恍惚こうこつを覚えた事はない、今まで幾度となく引き金を引いてきたが」

そこに井部が割って入る。

 「これは俺の私見だが、引き金を引くと心がたかぶるのはそれこそが自分の存在意義だと錯覚するからだ、戦場の兵士なんてのはまさにそうだ」

デイヴィッドは井部が急に割って入ったことに少々戸惑ったが、話を続ける。

 「そうかもしれないな、だが俺は今まで人を殺すことを自分の存在意義だなんて思ったことは一度もない、むしろ俺の存在意義は対極のところにある」

そんなデイヴィッドの言にアレクセイは呆れた口調で返す。

 「良い子ぶるのもここまで来ると病気だな」

デイヴィッドが何か言いかけたその時、アデライードが割って入る。

 「ほらそこ、ケンカしないの!というかあの二人に銃の使い方教えなくていいの?」

その高い声にデイヴィッドは耳の穴をふさぎながら

 「あのメイドが使えるんじゃないのか?流石に拳銃の訓練くらいは受けてるだろ」

と悪びれもしない口調で答える。

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