第15話「吸い殻」

 車を内務省ないむしょうの駐車場に停め、デイヴィッドは灰皿に3本目の煙草たばこを押し付ける。

22時前の内務省は、ところどころに部屋のあかりがいてはいるものの、19時ごろのそれと比べると明らかに人気ひとけが減っているのが分かった。

後ろのドアを開けて、前向きに停めた車の運転席から出る。

 サイドシルに腰掛こしかけてポケットから4本目の煙草を取り出し、火を点けようとすると1つ分空けた区画に停められた黒のセダンから水衣みいが出てきた。

「煙草、吸うんですね」

嫌煙家けんえんかのイヤミは御免ごめんだね、だいたい君のお父上も大層たいそう愛煙あいえん家として名高いだろう」

 水衣の言葉に、デイヴィッドは不愛想ぶあいそうな顔つきで答える。

「いや、特にそういう訳では...。ただ何の銘柄めいがらを吸ってるのかなと」

「赤マルだ、アメリカにいた18の時からずっと吸ってる」

 白地の真ん中に赤丸が印刷されたしわしわの箱をかざしながら、デイヴィッドは言う。

箱の中から一本を取り出して水衣の方へ向ける。

「いえいえ、まだ16ですし」

 水衣がそう言うと、デイヴィッドは何も言わずに煙草に火を点けた。

先端から立ち昇る副流煙ふくりゅうえんに含まれた粒子りゅうしが、街灯の光を散乱させて青紫あおむらさき色をていする。

「父は敷島しきしまをよく吸うんですけど、煙草って札幣さつを丸めて燃やしてるような物じゃないですか?

1本十えんとかして7割くらいが税金なんですよね」

 水衣は紫煙しえんに目を奪われつつも、問いかける。

「まぁそれはそうだが、だからといって簡単に辞められたら世に禁煙きんえんの苦労は無いね、それに私も紙銭しせんに火をつけて吸っても余るくらいに金はある」

 純粋な興味にしろ、デイヴィッドも流石にうんざりしてきた。

個々人ここじんが自分の金がどう使おうが自由だし、それは誰にもおかすことのできない権利であろうと考えていたからだ。

だからこそ今の今までよめを取ることはしていないし、これからもその予定は無い。

所帯しょたいを持てば自分の好きなように金が使えないことは自明じめいだ。

デイヴィッドはその点、ある種の享楽きょうらく的で利己りこ的な人間であった。

「そんな事より、そこの眠たそうなお姫様ひめさまを起こさなくてもいいのか?」

 さっき停車した時に起きたのに、また眠りそうな舞衣まいを見つつデイヴィッドは言う。

水衣は車の中を振り返る、千秋も舞衣が寝ているのには気が付いているが、あえて起こしてはいないようだった。


 "お姫様"、その言葉をアデライードは聞き逃しはしない。

のどの奥の方からドス黒いおりが湧き上がり、吐き気をまぬがれずにえずきかける。

たまらずバンパーにもたれかかって、気取けどられぬよう静かに呼吸を落ち着かせた。

デイヴィッドへ声をかけてやろうとも思ったが、喉から声が出ない。

 アデライードとて、好きな人の肩で泣き、優しく抱きしめて背中を撫でて欲しいと思っている。

しかし、その元来がんらいの負けん気も相俟あいまって自分の想いを吐露できず、うじうじしている自分への嫌悪ばかりが胸をめた。

 生まれてこの方、何十年も両親や周りの人にも天才として特別視とくべつしされ生活してきたアデライードが初めて出会った自分のじくを持っている人間。

煙草を吸うときの「彼」にも似たデイヴィッドの横顔。

堆積たいせきした感情にえて名前を付けずとも、それが心をかき乱すやまいであることは十分に理解していた。


 SUVの後部座席からイヴァンとアレクセイも降りてきて、井部のトラックも駐車場に停まった。

半分も吸っていないであろう煙草をコンクリートでみ消し、デイヴィッドは立ち上がる。

「さて、そろそろ行くか」

そのデイヴィッドの声にアデライードはハッとしてバンパーにもたれるのをやめた。

右手人差し指と中指に煙草を挟んだまま運転席に座り直し、車内の灰皿にがらを入れる。

バンパーが視界に入ったのはアデライードが我に返った数瞬すうしゅんの後であったが、デイヴィッドは気にも留めない。


 駐車場の横にある内務省の北玄関は、18時前に来た時とは別物であった。

窓際に設けられた椅子に男二人が腰掛けて何やら話をしているのみで、受付にすら誰も居なかった。

その静けさには水衣でさえ何やら底知そこしれぬ恐怖感を覚えたほどである。

 千秋が水衣と舞衣に先ほども使った白い紙片しへんをそれぞれ差し出すのと同じくして

「今日中はそれ使えるから」

 とデイヴィッドが言う。

 各々が財布や官吏証かんりしょうをゲートの機械にかざして通過する。

水衣は未だ寝ぼけ眼の舞衣の手を握り、自分のと一緒に紙片を端末へとかざしてやる。

再びピッと音が鳴ってゲートが開いた。

またさっきの道を通らなきゃいけないのか、と水衣は思ったが、その予想は外れる。

 ゲートを通ってすぐ、デイヴィッドが廊下ろうかを左へと曲がるので一行がそれに続くと、そこにはエレベーターホールがあった。

正面玄関から直進した道を中心に8個のエレベーターが並んでいる。

南、正面、北、そのいずれから来てもこのホールを使うようだ。

デイヴィッドがそのうちの一つのエレベーターの下降ボタンを押した瞬間にベルが鳴り、扉が開く。

当然ではあるが、そのエレベーターには誰も乗っていなかった。

エレベーターのボタンには上から5、4、3、2、1階、それにマイナス1、マイナス2階とあるのみで地下3階のボタンが無かった。

「地下3階のボタン無いですけど、どうやって降りるんです?」

 と水衣が問うと、デイヴィッドはエレベーターの扉を閉めた上で財布をマイナス2階のボタンのさらに下にかざす。

どうやら官吏証が反応したようで、ピッと音が鳴りエレベーターは下っていく。

行き先を示すボタンの上の画面には何も映っていない。

「ここに官吏証をかざせば、例え地下2階で誰かが待っていても直通だ」

 感嘆かんたんの声を漏らす水衣に対し、デイヴィッドは操作盤そうさばんの最下部を指さして言う。


 チン、とベルが鳴りエレベーターのドアが開く。

天井に設けられた橙色とうしょくあかりによってエレベーターホールは光に満ちていたが、その中心から伸び、左へと曲がっていく道はやや薄暗かった。

しんと静まり返った廊下を革靴かわぐつの足音が響く、やたらに長く左右にドアもない殺風景な廊下の奥にガラスが張られた扉の明かりが見える。

デイヴィッドが扉の横の端末に三たび財布をかざすと、電子音と共に鍵がいた。

扉を開けて左に曲がると、今の廊下と変わらないほどの廊下が続く。

違っている点と言えば、進んですぐの両側に扉があることと、道の突き当りがやたら明るいことだろう。

「ここがさっき駐車場に行くときに通った道だな」

 アレクセイがそう言うとデイヴィッドが両腕を広げながら続ける。

「この二つの部屋はそれぞれ調査班ちょうさはんと総務の部屋だ

 調査班は聯合れんごう圏内けんないだけじゃなく、まぁゲルマニア国内は流石に無理だが同盟圏どうめいけんの他の国は勿論、アメリカ、アフリカ、ペルシアにルーシ、それこそ世界中に展開して神人しんじんの情報を収集している、ここの部屋はその情報を集積しゅうせき統合とうごうする為のものだ」

 確かに水衣が耳をませると、扉越しに何やら声が聞こえてくるような気もした。

「こいつ俺のコネを使い倒して陸軍から大分引き抜きやがった、中野学校なかのがっこうの人間に至っては根こそぎだ」

水を差すように、井部がどくづく。

「まぁまぁ、神人関連以外の情報は陸軍や保安課にも流してるんだからもう良くないか、それに加えて平穏へんおんの世に陸軍ばかりが優秀な人材を独占するのはいかがなものか」

 綽々しゃくしゃくとした態度でデイヴィッドは受け流した。

そんなこんな言う間に廊下は半分を過ぎ、左手に金属製の重厚な扉と端末が現れる。

くだんのごとく端末から電子音をはなたせて扉を開ければ、そこには最初ここに来た時に目にした廊下が広がっていた。

もちろん、逆の突き当りには初めに降りた階段がある。

ここから70mほど歩いた右側には居間に入ったあの扉もある。

水衣も脳内で書き上げた地図の意外な単純さに内心ほっとしていた。

「あっ、ここか」

 舞衣は得心とくしんしたような声を上げた。

冷たい空気にどうやらもう眠気ねむけは抜けたようで、舞衣はカッカッと明朗めいろうな音を立てて小走りになる。

舞衣の屈託くったくのなさにされ、水衣の足取りも心なしか軽くなる。

その目には最早、充血の色は無かった。

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