第12話「Prima Cena」

 19時半、よいの口ということもあって東京駅の省線しょうせん最寄りである駅前広場は勤め帰りの男女でにぎわいを見せていた。

奥には省線を運営している運輸省の重厚長大じゅうこうちょうだいな庁舎もそびえる。

デイヴィッドは四菱本社を左に通り過ぎると、ハンドルを左に切って車を駅ビルの駐車場まで乗り入れた。

 前払い式の駐車機ちゅうしゃきに10えんを支払うと、地下2階へ下ってすぐのところに車を停める。

時間帯が時間帯なだけあって、駐車場は混みあっていて、駅ビルの出入り口からは大分遠くはなってしまったが仕方がない。

 千秋が左手のドアを開けて水衣と舞衣を降ろすと、

「旦那様には私の方から伝えておきますので、心置きなくおくつろぎください。」と語りかける。

 そんな千秋の言葉に舞衣は少し驚いたように

「えっ千秋は来ないの?」と返す。

「私はお邪魔かと思いますので、ていとしては職場の懇親こんしん会な訳ですし」と答える。

 それに舞衣はしゅんとした様子で

「分かった」と返す。

千秋がデイヴィッドに耳打ちをすると、デイヴィッドはうなずく。

 千秋は少し寂しくもありながら、駅ビルの中へと入っていく二人の背中を見送った。


 駅ビルの中も中々盛況なようで、一行はエレベーターに乗って11階まで昇る。

中年の男と若い男3人に女子高生2人、それに(見た目は)女子小学生という奇妙な一行は11階の一角へと歩を進めて、イヴァンが見繕みつくろったという鮨屋へと入る。

 井部が受付に7人だと告げるとデイヴィッドは舞衣に

「あれ?さっきの側付そばつきの子は?」と尋ねる。

 それに舞衣は明らか悄然しょうぜんとした声で

「駐車場で待ってるって」と答える。

 デイヴィッドは護衛も兼ねているであろう侍女じじょの不在に引っかかりを覚えつつも

「そうか、それなら仕方ないな」と返す。


 通された8人用の座敷は物静かな雰囲気に満ちていた。

聞きたいことが山ほどある水衣にとっては最高の場所ともいえる。

ひたいを寄せ合うようにして話すのはまっぴらごめんだし、怒鳴り合うのも無駄な労力であると思えたからだ。

とはいえそんな状況は流石に庶民しょみん的すぎると言ってしまえばそれまでだが。

 入口から見て左手の席に奥から井部、デイヴィッド、アレクセイ、イヴァンと順に座ると、向かいの席にアデライードと舞衣と水衣が奥から座る。

皆々がコートを店員に預けそれがハンガーに掛けられるころ、席に着いたデイヴィッドは品書きを見た。

品書きには六十えんの松、四十圓の竹、八十圓と百圓のコースメニューがある。

デイヴィッドはとりあえずと八十圓のコースメニューを七人分注文し、

「経費で落とすから好きに食べてくれ」と言う。

 どうやら彼の辞書に不正経費の四文字は無いらしい。

もちろん酒も置いてはいるが、水衣と舞衣は未成年であるから、酒を注文するのは禁止となった。

井部はシラフじゃ云々うんぬんと文句を垂れていたが、アレクセイになだめられて収まる。

 店員はその不揃いな連中に怪訝けげんそうな顔を見せつつも下がる。


 料理が来るまでの間にとりあえず各々おのおのが改めて自己紹介を始める。

課長の井部は横須賀生まれなのに陸軍ばたけをひた走っていることを自嘲じちょうし、

デイヴィッドは両親を亡くしたのちまとめていたギャングも壊滅させられて日本へと渡ってきたこと、

アレクセイには6年前に結婚した日本人の奥さんと4歳の一人娘がいること、

イヴァンは片親育ちの15で母親を亡くした後にデイヴィッドに拾われたこと、

アデライードは小さい頃に将棋指しょうぎさしになるべくして日本の親戚しんせきの養子となり、5年前に専業棋士せんぎょうきしを引退した後に神人課に入ってこんな姿になったこと。

水衣と舞衣も当然自己紹介をする訳だが、まぁ双子なので舞衣は双子の妹です、くらいしか無い。


 そんな話をしている内に料理がやってくる。

握りと刺身、金目鯛きんめだい煮付につけにハマグリの酒蒸さかむし、小皿がいくつか。

どれも食指が動く逸品いっぴんばかりだ。

寒びらめの縁側えんがわによく肥えた赤貝あかがい、色の濃い寒ブリに穴子、アマダイに綺麗な桜色の大トロ、どれから手を付けるか迷うほどだ。

ひとまずヒラメの握りを取って、醤油をたねに少し付け口に運ぶ。

舌に触れた途端、引き締まった身に閉じ込められた脂が滑り出し、旨味うまみと歯応えが口内で絶妙な風味をかもし出す。

うちの厨房ちゅうぼう長の矢野やのは洋食上がりだから、こういった本格的な寿司を食べられるのも一年に数回しかない。


 しばらくしてデイヴィッドは水衣と舞衣の方へと身体を向け、神人課について語りだす。

そもそも神人とは大部分においては我々が一般的に"神"と呼んでいる存在からの啓示を受け、神力を与えられた人間を指し、神人は一般的な人間とは異なる遺伝子組成そせいを有していること。

全体数は不明としつつも神人は世界中に一定確率で存在し、それらが制限を受けずに市井しせい跋扈ばっこすれば社会に混乱をきたしかねないため、暴力装置ぼうりょくそうちともいえる公権力・警察や軍隊で統制とうせいする必要があること。

昼間に水衣が調べていた不老帝オットーも神人の一人であるということ。

 それを踏まえてデイヴィッドは

 「君たちのように快く協力を申し出てくれる神人は多くはない、ましてや戦争や犯罪に従事じゅうじしている者もいると聞く。」と言った。

それを聞いて舞衣は神が聞いてあきれる、と思った。

恩寵おんちょうを与えたその人が罪を犯すのならば、その恩寵には何の意味があろう。

神とて我々人間をもてあそんでいる訳でもないだろうに。

 デイヴィッドは続けて、「もちろん相応の対価は支払う、支払うがそれでもなお、我々に協力してくれることに感謝する」と椅子に座りつつも頭を下げた。

舞衣は今しがたまで高飛車たかびしゃ気味だったデイビッドの態度の豹変ひょうへんに面食らいつつも、頭をお辞儀を返す。

水衣はそんな二人に我関せずといった風にハマグリを口に運ぶ。


 宴もたけなわとなってきたところで、舞衣は一番気になっていた事を切り出した。


「アデライードさんって何歳なんですか?」


 それに答えようとしたアレクセイをアデライードは制止し、口を開く。


「まぁ話せば長くなるんだけど、簡潔かんけつに言えば...」


と全くと言っていいほど簡潔になっていない内容を話す。


 要約すれば水衣と舞衣が廃神社で言われたような永遠の命を得るためには特定の成分を少量摂取する必要があり、その実験中に用量を誤って"余計に"若返ってしまったという事らしい。

その上で実年齢は34歳だという。


 水衣は表情には出さないものの内心驚愕きょうがくしていた。

化学合成が可能なその成分を少量摂取さえすれば永遠の命が得られるというのは、古代や中世においてはいざ知らず、現代においては悠久ゆうきゅうの時を生きるに等しいからである。

この先何百年、何千年と神人が生き続けるということの時間じくと規模の大きさに目眩めまいを覚える。

とはいえ、妻子持ちのアレクセイはそれを摂取していないと言うし、何も解けない呪縛じゅばくという訳でもないだろうが。


 水衣は心に秘めた野望と欲望を抑えつつ、隣で甘味を頬張ほおばっている舞衣を眺めた。

死が二人を分かつことがないと実感したとて、この愛執染着あいしゅうぜんちゃくに囚われた心は毎分毎秒ふくらみ続ける。

このグロテスクにも映る愛を体現たいげんするために十余年ものあいだ雌伏していた。

降って湧いた幸運、最良の機会を活かさない手はないだろう。

そう自分に言い聞かせるように椅子に座り直す。


 ふと時計を見ると時間は21時をとうに回っていた。

ここから内務省まで15分弱かかるとして、今ここを出たとしても21時半ごろに戻ることになる。

内務省から内田山の別邸までは10分と少しかかるが、鳥居坂の本邸まで戻るならもう少しかかる。

千秋は”心置きなく”と言ってはいたが、こんな遅くに外を出歩いた試しが無いから門限が何時かも分からない。

もうとっくに過ぎているかもしれないし、そもそも門限なんてもの自体が無いのかもしれない。

 そもそもとして、今朝のように二人の位置は測位そくいされている可能性があるのだから一言さえあれば問題無いのかもしれない。

色々な可能性はあるが、とはいえ早めに帰ることに越した事はない。

日付が回る前に本邸に戻る事を考えるとそろそろここを出た方が良いだろう。

 水衣がそんなことを考えていると、デイヴィッドが

「9時半でラストオーダーだ、そろそろ閉店だし庁舎ちょうしゃに戻ろうか」と声を上げた。

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