第10話「Teleport and Delete」

 恰好かっこうをつけて睥睨へいげいするようなデイヴィッドの態度に二人は若干まゆをひそめつつも、まずは舞衣が実演じつえんしてみる。

 左足を軸にして自分の周りに円を描いた途端、床が抜けて落ちる。

一同は乾留液タールを張ったようなその穴を覗きながら「おおっ」と小さな歓声を上げた。

その刹那、射撃場の奥から「おーい」と声がする。

射撃位置に設置されている液晶に映るように、一番奥の人型標的ひとがたひょうてきの手前で距離調整用のレールをまたいで手を振る舞衣の姿に一同は再び歓声を上げた。

舞衣がこちらに小走りで寄ってくる間にデイヴィッドは傍らの弾薬箱を開けて、0.45ACP弾を1発取り出し胸ポケットに入れる。

 アレクセイとアデライードがあれこれ話している内に、舞衣が射撃区画の方に戻って来て壁付けの折りたたみ机の下をくぐろうとすると、デイヴィッドはそれを制止して

「ちょっとその机に穴を開けてくれないか、真上の天井に繋がるように」と言う。

 舞衣はそれに従って左端の机の上に人が入るには少し小さいを穴を描いた。

デイヴィッドが天井を見上げると、穴の真上には黒光りする膜が円状に張っている。

それを確認すると胸ポケットから0.45ACP弾を取り出して穴の真上で手を放す。


 アデライードはそれを見て、デイヴィッドの意図を即座に理解した。

一点と一点の間を即座に移動するだけでも勿論もちろんすごいことではあるけれど、それらの間を半永久的に周回することは革新的かくしんてき要素を秘めている。

4m程度の高さと実包じっぽう1つだけであれば高が知れているが、運動エネルギーを保ったまま瞬間移動した際に発生した重力による位置エネルギーはどこからか捻出ねんしゅつされているはずである。

すなわち、実包の温度が下がるとか舞衣のたくわえている熱量を消費するだとか、いずれにせよ等量とうりょうのエネルギーを消費していなければ大変なことになってしまうだろう。

 理論りろん的に考えるならば終端しゅうたん速度に達して机と天井の間を実包は、机と天井の間を1秒でおよそ18周する。

すなわち、20g(グラム)の実包1つが4mの高さにあるときの位置エネルギーを0.785J(ジュール)だとすると1秒当たりおよそ14Jを消費する。

実包の素材の比熱ひねつ容量を多く見積もって0.4J/(g・K)としても20gだと8J/Kの熱容量を持っていることになり、1秒当たり約1.75K(ケルビン)ずつ下がっていく計算になる。

舞衣が4mの高さへ瞬間移動する際に発生する重力による位置エネルギーは1,570Jほどだが人間の熱容量の約14万J/Kからすれば微々びびたる数値であることを考えると、温度の変化を見るのに比熱容量の低い金属を用いるのは賢明けんめいなやり方ではある。


 そんなアデライードの思索しさくをよそに、デイヴィッドが落とした実包は机に開いた穴へと入り天井からてくる。

20秒ほどの間、実包が天井と机の間を周回している間にデイヴィッドは一行を右端の角へと移動させてから、舞衣に穴を閉じるように伝える。

その瞬間、弾 だんがんを下向きに薬莢やっきょうは真ん中であざやかに切れて雷管らいかん側が机に激突げきとつし、発射薬が机や床に散乱さんらんする。

アデライードは後ろの平机ひらづくえに飛び乗って白い歯をこぼしながら、

「あーあ、また面倒めんどくさいことになってる」と朗笑する。

 大惨事ともいえるような状況に、舞衣は

「すみません、よく見て閉じてればこんなことには...

 ところでこれ爆発しないですよね?」とふるえ気味の声で言う。

 デイヴィッドは綽々しゃくしゃくとした表情で

「たぶん大丈夫、イヴァン、掃除機そうじき取って」と冷静そのもの。

 イヴァンがね上げられた右端の机横つくえよこの扉を開け、防爆ぼうばく掃除機を引き出す。

デイヴィッドは古臭ふるくさ塗料とりょう缶にも似たそれを受け取り、高周波こうしゅうは音を上げて床にき散らされた無煙むえん火薬を吸い込んでいく。

いくら粒の細かい銃薬じゅうやくと言えども実包1つ分であれば大した量ではない。

掃除機の電動機モーターうなりを上げるたび、見る見るうちに床が綺麗きれいになっていく。

30秒も経たないうちに散乱した火薬はすっかり吸い取られ、デイヴィッドは

「ふぅ、これでよし」と掃除機を置き、床に落ちた薬莢の断片だんぺんを拾い上げる。


 先に計算した通り、重力による位置エネルギーと等量の熱エネルギーが実包から奪われているのならば、35Kほど温度が下がっている事で室温からある程度伝熱でんねつしていたとしても触れた瞬間に冷たさを感じるはずである。

しかし、そうした演算や予想とは裏腹に、薬莢の断片を手にしたデイヴィッドは冷たがる様子を一切見せない。

アデライードは相変わらず平机に腰かけたまま、

「どう?」と問う。

 デイヴィッドは怪訝けげんそうな顔をして

「いや、特に冷たくはないな」と答える。


 そうであれば、消去法的に考えて舞衣が蓄えている熱量を消費しているということになる訳だが、280Jであれば1kcal(キロカロリー)にもならないので特段お腹が空いているということも無いだろう。

しかも、穴を閉じた時点でスッパリとその部分が切れてしまうのならば人間を天井と床の間で周回させて位置エネルギーを稼ぐことも難しい。

周回させないにしても500kcal=約210万J分の位置エネルギーを消費するには約51万kg(キログラム)、すなわち510t(トン)の物体が必要だが、この部屋に海軍かいぐんの小型かんほどの重さの物を用意するのはいささか非現実的な話である。

 商工省しょうこうしょう電気局でんききょく管掌かんしょうする日本発送電にっぽんはっそうでんの水力発電施設はつでんしせつを借りれば、放水庭ほうすいていのあたりで大規模な実験をすることもできるだろう。

とはいえ此処ここでは手詰まりであることに変わりはない。


 デイヴィッドは「まぁいつか発送電の方に回してみるか」と呟いて

「とりあえず今日のところはこれくらいにしておこう」と続ける。

 そして水衣みいの方へと向き直って

「じゃあ次は水衣...さんで良いですか、ちゃん?」と話しかける。

 水衣は苦虫にがむしつぶしたように顔になりかけるも飲み込んで、作り笑いで

「さんで良いです」と即答する。

 デイヴィッドは一瞬たじろいで

「じゃあ、まぁよろしく」と返す。


 水衣は一回うなずいたのち、壁の方へと寄って平机の上に置かれた弾薬箱を開けた。

そこから小銃用の少し曲がった複列弾倉ふくれつだんそうを三つほど取り出し、そのうち実包の装填されていない物を左隣のアデライードへと山なりに投げる。

「わっ」と短く声を上げ弾倉をキャッチしようとするその手が弾倉に触れる刹那、弾倉はアデライードの視界からぱっと姿を消す。

 「ほよ?」と間の抜けた声を出しているアデライードを尻目に水衣の抱える残り二つの弾倉がデイヴィッドとイヴァンの方へと投げられては姿を消す。

またしても「おおっ」と歓声が上がり、デイヴィッドは水衣に

「どれぐらいの大きさの物なら消せるんだ?」と尋ねる。

 水衣はそれに

「まぁ...動かせるものなら、そこに対象が無い状態を想像そうぞうするので。

 今朝けさも鮭の小骨とか消しましたし」と答える。


 デイヴィッドが次の問いを投げかけようと口を開いた瞬間、アデライードは正気に戻り、弾薬箱の中を覗き込むやいな

「ちょっと、私が弾めておいたのも消しちゃったの!?」と高声こうしょうを立てる。

 そんなアデライードをアレクセイが

「まぁまぁ、どうせ装填機ローダー使ってるんだから良いだろ、それより弾倉に詰めっ放しにするのはバネをいためるんじゃないか」等となだめている。

 壁際の騒がしさにデイヴィッドはおもむろに髪をかき上げて腕時計を見た。

そのウォーターベリー製の腕時計のガラスの中で、19時08分を指す二本の針がわずかに揺れて夕飯時ゆうめしどきを告げている。

デイヴィッドは紫煙を吐くかような溜息をつき、喧騒を破るように呼び掛ける。

「そろそろ飯にしないか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る