第8話「揃い踏み」

 内務省の扉をくぐると、18時前という時間帯もあって玄関は職員で混み合っていた。

5階まで突き抜ける吹き抜け、天窓からは星の無い空がけて見える。

柳原ら一行が受付に向かうのに水衣みい舞衣まい、千秋らは追従ついじゅうする。

柳原が受付じょうと話している間、舞衣は出入口から出てくる職員らを眺める。

没個性ぼつこせい的な服装に疲れた顔、猫背ねこぜの背中、それらを見ながら舞衣は多少の憐憫れんびんを覚えながらも人の波にぼんやりと視線を流す。


 幾分いくふんか経って、舞衣は自分の制服のそでが引っ張られている感覚に気づく。

ふと見ると水衣が制服の裾を引っ張り、「ほら」と言うようにに目配せする。

舞衣が視線を移すと、柳原の手には幾枚かの紙片しへんがつままれていた。

柳原は水衣と舞衣と千秋にその紙片を一枚ずつ渡すと、

「とりあえず入ろう」と言った。


 紙片は幅8cm、高さ5cmほどの白色であったが、二人は使ったことのないその紙片の扱いに目を見合わせて戸惑っている。

すると千秋が後ろから二人の紙片を取り上げ、目の前の機械にかざす。

ピッと音が鳴り、画面には"来客用"とだけ表示され消える。

突然のことに二人が戸惑っていると千秋が後ろから

「ほら、早く行ってください」とグイグイ押してくる。

 水衣と舞衣はよく分からないまま柳原たちの後について内務省の廊下を歩く。

床の白大理だいり石は汚れ一つなくピカピカに磨かれ、コツコツとした靴音に包まれながら角を何度も曲がる。

舞衣は一体どこに連れていかれるんだろうかと不安になりながらも、少しだけワクワクするような、そんな気持ちでもあった。

初めは相当な人の数とすれ違っていたが、角を曲がるたびにだんだん少なくなっていき、最終的には廊下の突き当りまで自分たち以外の姿が見えなくなった。


 どれくらい進んだだろう、柳原が鍵のかかった扉に財布をかざして開けるとそこには地下へと続く階段があった。

真っ暗なその階段の電気が点き、一行は階段を降りていく。

舞衣は内心「えーまだ歩くのー」なんて思いながらも、黙って後を追う。


 地下3階まで降りると廊下の電気が奥まで一斉いっせいに点く。

幅は3mほど、奥まで100mはあろうかという殺風景な廊下だ。。

柳原はその中で階段から30mほど歩いて横幅が2mはある大きな扉の前で立ち止まり、ハンドルに手を掛ける。

 舞衣は固唾かたずを飲んで柳原が扉を開けるのを見ている。

きっとその部屋の中には執務机に座って渋い顔をした強面こわもての偉い人がいて、色々聞かれるに違いない、なんてことを考える間もなく扉は開く。


 だが、舞衣の予想とは裏腹に、そこには驚くべき光景が広がっていた。

そこには執務机も強面の上司もおらず、玄関からふすまを開けるとすぐ居間があり、台所と大きなこたつまであるのだ。

生活感が満載まんさいの雰囲気に舞衣は愕然がくぜんとした。

内務省なんて物はそれこそ官公庁かんこうちょうの中でも一番かたい雰囲気と言っても過言ではないような気がしていたのだが、そのような感想を抱く。


 柳原が「どうぞ」と招き入れる。

唖然あぜんとしている舞衣をよそに、柳原らが当然のように上がりがまちで靴を脱ぐのを見て舞衣は水衣の手を掴もうと左腕を空に泳がす。

しかし、水衣の手はいくら探っても掴めない。

ふと靴箱のそばを見ると水衣が皆と同じように黒革靴くろかわぐつを脱ぐところであった。

舞衣はとっさに

「みーちゃん...」と戸惑うような声を漏らすと同時に水衣が

「まーちゃんは上がらないの?」と靴を揃えつつ言う。

 対応力が高いのか低いのか分からない水衣を見つつ舞衣は靴を脱ぐ。

 その時、奥の方から「おっ来たな」とやや強面な50代ほどの男が姿を現す。

柳原と少し話した後で居間に入ってきた二人に

「課長の井部いべだ、どうぞよろしく」とふしくれだった大きな手を差し出す。

 二人の手よりも二回りは大きいその手に一瞬驚いたが、舞衣は手を差し出す。

親指から中指までしかおおええない舞衣の手に、水衣が小指と薬指を握って付け足す。

二人と握手を交わすと、井部は柳原に封筒ふうとうを渡して

「じゃあ、あとはそいつらに任せたから」と奥の方へ去ってしまった。

 柳原は「あのオッサン...」と悪態あくたいをつき、二人にこたつに座るよう促した。

二人がこたつの左側に座ると柳原らは向いに座り、三和土たたきに直立している千秋に

「そこの貴女もどうぞ上がってください」と声をかける。

 千秋は「桐野きりの千秋です」と名乗ると一揖いちゆうして靴を脱ぎ、部屋の隅に座る。

千秋が座るのを見届けると柳原は「まずは自己紹介を」と言う。


 舞衣はまたしても吃驚きっきょうした。

なんと柳原が山高やまたか帽を脱ぎ黒眼鏡サングラスと黒髪のかつらを外すと、濃い緑色の目とやや濃い茶髪といういかにも西洋人という外貌がいぼうが現れたのである。

正体を現したその男は、

「柳原は世をしのぶための仮の姿、

 本名はデイヴィッド・クーパー、アメリカうまれだ」と手を差し出す。

 舞衣は戸惑いつつもその男の手を取る。

男が水衣に視線を向けるより前に、舞衣の向かいに座る北方ほっぽう系の男も黒眼鏡を外して

「アレクセイ・マトヴェーエヴィチ・クズネツォフ、ルーシー出身、

 アリョーシャでもアレクでもお好みで。」と名乗る。

 りの深い顔に、淡い緑色をした目、確かにいかにもルーシー人と言った外見だ。

その頑強がんきょうそうな体躯たいくとは裏腹に、心なしか良い匂いを放っている気がする。

舞衣が手を差し出そうとすると、北方系の男は驚いた顔で咄嗟とっさに手を引っ込めた。


 舞衣が不思議そうな顔をすると、右端に座っていた有栖ありすも黒髪と黒眼鏡を外して

「アデライード・ロレーヌ。フランス生れ、アリスでいいよ」と言う。

 いまさら金髪碧眼へきがんであることは驚かないが、その背の小ささにはやはり驚く。

身長は133、4cmといった具合で、顔も心なしか私たちより幼く見える。

それにしても外套を脱ぐと随分ずいぶん可愛かわいらしい服を着ているようで、フリルのついた膝丈ひざたけの白いワンピースに薄肌色の長靴下タイツ、この寒さでもオシャレには余念よねんがないらしい。


 若干のがあいた後、左端の中背ちゅうぜの少年も黒眼鏡を外して

「イヴァン・コヴァチェヴィッチ、クロアチア生れです、よろしく」

とたどたどしい日本語で言う。

 舞衣より幾つか年上と思われるその少年は肩上まで伸ばした黒髪を後ろでまとめているが、内気な性格なのか自己紹介をするとうつむいてしまった。

顔は案外ととのっているように見えるが、お世辞にも派手とは言えない。


 全員の自己紹介が終わるとアデライードが立ち上がり、

「何か飲む?」と注文を取る。

 デイヴィッドとアレクセイ、イヴァンがコーヒーを頼み、さらに

「水衣さんと舞衣さんと千秋さんも何か飲みますか?

 紅茶ならセイロン、アッサム、ダージリンと大体はありますけど」と聞いてくる。

 舞衣はそれに「じゃあアッサムで」と答え水衣も追従ついじゅうする。

続けてアデライードは千秋に向かって

「千秋さんも良ければ何か飲み物入れましょうか」と尋ねるが、千秋は

「いえ、私は結構です、勤務きんむ中ですので」とややぶっきらぼうに断る。


 アデライードが台所の方へ向かうと、

デイヴィッドは井部から手渡された封筒を天板てんばんに置いて

「さて、仕事の話をしようか」と水衣と舞衣の方へ向き直る。

 デイヴィッドが封筒から取り出した2枚の紙は水衣と舞衣の辞令じれいであった。

差し出された辞令には警保局の局長である蔵上くらかみたかしの押印はもちろん、内務大臣である大久保おおくぼ利明としあき、そして二人の父である宰相さいしょう・井上精一の押印もなされている。

つまりは父もこの件について承諾しているということだ。

そして警部補けいぶほとして保安課に所属すると書かれているが、これは一般官吏かんり試験を通過して採用されたものが任命される階級である。

もちろん二人には官吏試験を受験した記憶など無い。

 舞衣がその事を尋ねると、デイヴィッドはまたしても机にひじをつき手を組みながら

「まぁまぁ落ち着きたまえ」と制する。

 続けてデイヴィッドは備え付けの投影電算機とうえいでんさんきの電源を入れる。

二人それぞれに雇用契約書こようけいやくしょが共有され、デイヴィッドは

「よく内容読んで、右下のところに署名と捺印なついんね、拇印ぼいんでもいいから」と言う。


 二人はそれぞれ雇用契約書に目を通す。

契約期間は明日12月15日から、業務内容は治安の維持、執務時間は9時から17時と無定量むていりょう服務ふくむ義務、俸給ほうきゅうは年俸20万えんを月割りで毎月16日、等々などなど

執務時間が9時から17時とは、学校に行く時間と丸々重なっている。

当然だが学校を辞めるわけにもいかないので、舞衣は

「あの,,,9時から17時って...」とデイヴィッドに尋ねる。

 デイヴィッドはオクターブの上がった声で

「ああ、別に用も仕事も無いなら来なくて良いよ、一応書いてあるだけ。

 仕事の時も別に9時5時って訳でもないしね」と答える。

 舞衣はひそかに胸をで下ろしつつも、続けて

「そんな適当でいいんですか...?」と掘らなくてもいい所を掘ろうとする。


 デイヴィッドも手を組みなおして若干オクターブを下げる。

そして

「業務内容も"治安の維持"って書いてあるけどうそ半分、真実半分なんだ。

 啓示けいじの力、我々はこれを「神力しんりき」と呼んでいるが、

 これが世界に及ぼす影響は君たちが考えているよりも甚大じんだいだ。

 だからこそ、我々は何としても君たちを確保せねばならない。

 もし反政府はんせいふ勢力せいりょくに加担すれば冗談じょうだん抜きで国が滅びかねないからね。」

と長たらしい解説をし、続けて

まる所、業務と言うのはなんだ」と答える。

 舞衣は分かったような分からないような煙に巻かれたような感覚を覚えつつも、

「それならいいですけど...」と署名し拇印を押す。

 水衣はけむに巻かれて印を押す妹を見ながらも「まぁいいか」と印を押す。

反政府活動の予定は無いし、何もせずに俸給が貰えるのならば選択の余地は無い。

経済けいざい的自立の野望を果たすためにも使えるものは何でも使う方が良いのは自明じめいだ。


 二人の署名と捺印を確認したデイヴィッドは右手を二人に差し出して言う。

「ようこそ、我らが神人課しんじんかへ。」

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