第2話「時速132.5km」

 二輪車に仕掛けてあった経路案内が指したのは屋敷から1時間半ほど甲州街道を走った先の山中であった。

かつて自動車を運転するという行為は、危険を伴い運転免許うんてんめんきょの取得にもある程度の条件があったというが、今や自動走行機構じどうそうこうきこうの発達によって免許は形だけの無用の長物と化している。

出発から十分じゅっぷんほどで新宿を通過する、摩天楼まてんろうが立ち並び灯りの消えることのないこの街は"不夜城ふやじょう"と呼ばれるだけあり夜でも明るく騒がしい。

 そんな新宿の街を抜けて西新宿の立体交差を抜ければ、高速道路に入る。

高速道路に入ると二輪はみるみるうちに速度を上げて時速120kmほどとなった。

沖合おきあいそびえ立つ望紘楼ぼうこうろうがまるで光の柱のように見え、そして遠ざかっていく。

区部を抜けて自動車の通行量が比較にならないほど少なくなると二輪は更に速度を上げ、時速は130kmを超えた。

 ここまで速度が上がると流石の舞衣まいと言えども怖くなってきた。

常日頃から東京都区部くぶの中で乗り回しているうちは時速は60kmほどに抑えられていたから良かったものの、

東京都区部の外に出る機会が年に数度の別荘行きの他に数えるほどしかなく、それも二輪での外出となると舞衣にとっては初めての経験であった。

早い話が、二輪がこんなに速度が出るものだとは舞衣は知らなかったのである。

それは水衣みいも同じであったようで、舞衣の腰に回していた腕を強く引き寄せ、後ろから舞衣に抱きつく態勢たいせいとなった。

水衣はその態勢のまま舞衣の方へ体重をかけ頬を若干紅潮こうちょうさせながら、

「まだ着かないの?」

と舞衣へ問いかけた。

 舞衣は背中につたわる水衣の感触に心拍数しんぱくすうを上げつつも、前面液晶に表示されている"予定到着時刻:23分後"の表記ひょうきを見て

「もうすぐね」

と返す。

水衣はそのまま黙り込み、舞衣の言葉に何も返さなかった。

 沈黙が続いたのち、舞衣はふと声が言った"今すぐに"の言葉を思い出して、今すぐって何時いつだろう?5分後?2時間後?12時間後?、などと考え、もしこれで間に合わなかったら飛んだ骨折り損だなぁと思った。


 しばらく経って、二輪車はとある古びた石段の前に停車した。

石段の傍らには*之**主**社と書かれた掠れて読めないボロボロの社号標しゃごうひょうが建ち、まさしく廃神社はいじんじゃと呼ぶにふさわしい風体ふうていであった。

だがここが指定されている以上、今更引き下がるわけにはいかない。

舞衣は水衣の手を引いて古びた石段を一段、また一段と登っていった。

 舞衣と水衣が石段を登りきると、なんとそこにはボロボロの鳥居に荒れ果てた建物。

まさしく舞衣が夢で見たままの景色が広がっていたのである。

舞衣がうそ...、と声を小さく漏らしたその刹那せつな、舞衣と水衣の視界は黒く染まり、聞き覚えのある低い声が聞こえてきた。

「よく来た、恩寵おんちょうを受けし定命じょうみょうの者よ。」

 水衣が繋いでいた舞衣の手に抱きついたと同時に

舞衣は再び尋ねる。

「あなたは誰?ここは一体どこなの?」

声は「まぁあせるでない定命じょうみょうの者よ...」と言いかけるも止まる。

「待て、そこにいるのは誰だ!?」

声がするどくなる。

舞衣が「えっと、姉の水衣です、ど、どうしてもついてくるというので...お邪魔じゃまでしたか?」

そう答えると声は冷静れいせいさを取り戻して言った。

「"縁者えんじゃ"...か、よい、全ては恩寵おんちょうの導きのもとにある」

 舞衣はホッと胸をで下ろして礼を述べた。

水衣も状況は理解できていないが軽く頭を下げた。

声は「わしとてかの"御方おかた"の恩寵を受けた」としつつ、

「まぁそこに座れ」と着席をうながした。

 しかし辺り一面ぼんやりと暗く、椅子らしきものどころか家具の一つも見当たらない。

舞衣と水衣があたふたしていると声は

想像そうぞうせよ、さすれば虚構きょこうは実在と成る」と続けた。

 舞衣は声の主が何を言っているか全くわからなかったが、水衣はその場で椅子に座るそぶりをした。

すると水衣はその場で椅子に座ったかのようになり、「あっ」と小さく声を漏らした。

水衣は舞衣にその事を伝え、舞衣は水衣と同じように椅子に座るそぶりをするとその場で椅子に座ったかのようになることができた。

 二人がその場で座ると声は「"縁者"の方が筋は良いようじゃのう」と言い、

「まずは、渡さねばならないものがある」と続けた。

 舞衣が「何です?」とたずねると空中から二つの箱のようなものが現れた。

箱は手のひら大の立方体で、地面じめん(?)に落ちた時の音から重くはなさそうであった。

舞衣が片方の箱へ手を伸ばそうとすると声が

「まぁ待て」と制止した。

 続けて声は「その二つの箱は一見すると同じようだが、中身は正反対の物じゃ、えきをもたらす物とがいをもたらす物、二人でどちらかを分け合わねばならぬ。」と言った。

舞衣は「益をもたらす物と害をもたらす物って何なんです?」と返す。

声は「それは二人で分け合ったのちに話すこととしよう」と答える。

 舞衣も水衣も目が段々慣れてきて、暗い中でも物が見えるようになってきた。

どうやら空間は相当に広いものの黒い壁と黒い床、黒い天井で閉じ込められているようだ。

部屋の中心には箱が二つ、恐らくアレを手に取らねばここからは出られないのだろう。

 口火を切ったのは水衣であった。

「まーちゃん...、いっせーので取ろう」

 そう言って水衣は部屋の中心に歩いていく。

舞衣は何も言い出せず水衣の後をついて行った。

いよいよ箱まで1mという距離で舞衣が

「ま、まだなにか解決策があるはず...」とこぼした。

水衣は振り向いて舞衣の顔を見ると、

「この箱を取ったら出られる、それだけの話でしょ、別にどちらかが害をもたらす方でもいい、まーちゃんと私は二人で一つなんだから」と返した。

舞衣はそんな水衣の言葉にやっと決心けっしんがついたようで、

「分かった、箱を取ってみーちゃんと一緒にここから出る」と自己暗示じこあんじをかけるように言った。

 二人はしばらく息を落ち着かせたのち、息を合わせて箱に手を伸ばしさけんだ。

「せーのっ!」


 その刹那、互いの手は箱に触れ、箱は消えた。

しかし二人の身体には特段とくだん変化が現れたようには感じず、顔を見合わせていると声が言う。

「分け合ったようじゃな」

舞衣はすかさず「それで、益と害ってどういうことなんです?」と尋ねる。

声は「まぁまぁ...そうあせりなさんな...」と言った後

「まずは定命を脱したことを祝わねばならん、マイとミイ」と続けた。

 水衣は自分の名前が呼ばれたことに少し面喰めんくらいつつも、

「さっきから言ってるジョウミョウって何なんです?」と尋ねる。

 声は「定命とは人間が生れ落ちる以前より定められた一周の年限ねんげんの事じゃ、これを脱したということはすなわち、やりようによっては無窮むきゅうの時を生きることが出来るという事」と答えた。

「益と害は...」舞衣が話に入ってくる。

 声は「そうであったそうであった、まず益とは...地を繋ぎ人間の歩むはばを大きくする力、そして害は生命をこの世より外し、永劫えいごうの苦しみの中に置く力」と言った。

舞衣が「つまり...」と言い終えぬ間に声は

「まぁやってみた方が早かろう、マイは益、ミイが害のようだからな」と続けた。

その刹那、暗い空間に家具が揃えられて電灯でんとうが点き、さらに何体かの動物が現れた。

そののちに声は

「マイ、想像せよ、自分がその箪笥たんすの前に立っている姿を、そして地面に足で丸を描くのだ」

「ミイ、目の前の...例えばその豚を消すことを想像せよ、そして合図あいずせよ」

と言った。

 舞衣は自分の5mほど前に現れた箪笥たんすの前に自分が立つことを想像し、水衣は目の前の動物を全て消すことを想像した。

そして舞衣は自分の周りの地面に右足で丸を描き、水衣は指を弾いた。

その刹那せつな、舞衣の足元が抜けて箪笥たんすの前に落ち、この空間にいた動物は一匹残らず消え失せた。

 声は上ずりながら「上出来じゃ」と言い、暗い黒の空間を解いた。


舞衣と水衣は深夜の廃神社に戻って来、声は「これでわしの仕事はしまいじゃ、さらば」と続けた。

舞衣と水衣は夢でも見ていたかのような気になっていた。

特に水衣はこの状況に適応していたように見えたが脳内では道理と不合理が混沌こんとんきわめている。

舞衣はどちらかといえば物事を割り切れる性格であったので、頭を抱えていた水衣に肩を貸して白い息を吐きながら古びた石段を降りて行った。

二輪の後ろに水衣を乗せ、舞衣はアクセルをひねって帰路きろを急ぐ。

 午前4時13分、冬の東空ひがしぞらいまだ、白んですらいない。

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