AMADEUS -アマデウス-

イズミシュウヤ

第一章 -邂逅-

第1話「Lilium Album」

 電灯が煌々こうこうと照らす中を風の様に駆ける一台の二輪車。

冬たけなわの12月14日午前3時、静謐せいひつに包まれた夜闇にモーターの高音が響く。

辺りは山林と田畑ばかりで、民家の灯りはほとんど無い。

前面液晶えきしょうには時速134kmを示す速度計と二級皇民こうみん免許の文字。

運転するのは井上いのうえ舞衣まい。後ろに乗っているのは井上水衣みい

時の宰相さいしょうにして井上公爵こうしゃく家当主、そして井上財閥ざいばつ総帥そうすいである、井上精一せいいちの娘たちである。

 なぜ彼女達がこんな田舎いなか道を二輪車で駆けているのか、時は1時間半ほど前へとさかのぼる。


 井上舞衣は夢を見た。

荒れ果てた建物、ボロボロの鳥居。

どうやらここは神社であったらしいが人の気配はまるで無い。

そこに突如とつじょとして声が現れる。

その声は低く、くぐもっている。

舞衣がその声のする方向に向かって歩き出そうとすると声は大きくなりこう言った。

「近づくな」

 舞衣はそこで立ち止まると、その声色こわいろ明瞭めいりょうとなり、話を続ける。

其方そなたは選ばれた。恩寵おんちょうによって」

 舞衣が困惑こんわくした表情をかべると声はさらに続ける。

「今すぐに此処ここへと来給きたまえ」

 舞衣はたずねる。

「来るってどこに?ここがどこなのかも分からないのに...それに貴方あなたは誰なの?」

 声は答える。

「なに、難しいことはない、全てはあの御方おかたおぼしである」

 そう言うと視界はにじみ、舞衣も夢からめる。


 気が付けば舞衣は寝間着ねまきを冷や汗でぐっしょりとらし、目を醒ました。

時計は午前2時を少し回ったところだ。

かたわらでは双子の姉の水衣がすやすやと寝ている。

舞衣は不思議ふしぎな夢を見た、と思った。

今まであんな不思議な夢は見た事がないし、神様の存在は信じていても、自らが啓示けいじを受けることになろうとは露程つゆほども思いもしなかったからだ。

 声は"此処ここに"と言ったがどこに行けばいい?

 声の主は消え、場所もついに聞きそこねてしまった。

かといって(自称)神様の使いからの啓示を無下むげにするわけにもいかない。

幸か不幸か今の時間であれば家族かぞく家人けにんもそろってスヤスヤと眠っていることだろう。

仕方がないので車庫しゃこにある自分の二輪に乗って当てもなく彷徨さまよってみるとしよう。朝になって気が付いた家人には大分叱しかられそうではあるが。


 とはいえ、ここ子供室から車庫に向かうには家人の部屋が並ぶ廊下ろうかを抜けて大階段おおかいだんを降り、表の重い門扉もんぴを開けねばならない。

屋敷やしきの外にはもちろん警備けいびも居る。私にそれをくぐり抜けることができるだろうか、舞衣は自問自答じもんじとうする。

天啓てんけいがあったと言っても誰も信じてくれないだろうし、下手へたを打てば病院にたたき込まれてしまうかもしれない。

良家りょうけ、それもえある皇国公爵家こうこくこうしゃくけ子女しじょとしてそのような事態じたいだけはけなければならない。

だがもし、神様のおぼしが事実であったとして、もし私が神様のしに応じないようなことがあれば神罰しんばつが下るかもしれない。

そうなればそれはもう私個人の問題ではなく水衣はもちろんのこと、父母や、ひいては叔父様おじさまも含めた井上家全体の問題もんだいである。

万が一にでは神罰が事故死じこし天災てんさいなどであったら...。私の責任はこれ以上なく重大なものであろうことは想像にかたくないだろう。

 舞衣の胸中きょうちゅうは板挟みの不安でいっぱいになる。


 だが最もさいわいであったのは、車庫は屋敷の裏手うらて、すなわち子供室から露台バルコニーへ出て庭を抜ければ目前であった事である。

幼い頃水衣や兄たちとよく庭で遊んでいた舞衣にとってみればそれは考えるまでもないことであった。

もっとも、よわいが2けたに達するであろう頃には庭遊にわあそびなどとっくに卒業そつぎょうしていたが。

車庫のかぎは16さい誕生日たんじょうび免許めんきょ取得しゅとくした際に父より渡されている、

いつもは家従かじゅう宮里みやさとあたりが開けてくれるので使う機会は滅多めったに無いが、学習机がくしゅうづくえ横の棚のどこかに入っているはずである。

子供室の南窓みなみまどを開け、そこから庭へと降りて車庫へと向かい、二輪に乗って屋敷を抜け出す。

そうすればすり抜ける警備は東門だけでいいはずだ、北の正門よりはいささかではあるが容易よういだろう。

子供室の窓から庭に降りるのも、15歳の誕生日に父に貰った舶来物はくらいもので小物であれば自由につくり出せる「フライ」とやらを使えばなわを作るのは簡単だろう。

 そうと決まれば舞衣はベットから出て、暗い中を手探りでバイクスーツと外套がいとうを取り出し寝間着から着替える。

 中学の時に与えられた登山とざん用の背嚢リュックを背負い学習机の横の棚をあさり始める。

「どこにあったかな...」

 棚を開けるとゴチャゴチャしていて到底とうてい鍵など見つかりそうにない。

こういう一大事の時ほど自らのいい加減さに辟易へきえきする。

それでも家のためにガサゴソと乱雑らんざつな棚の中を探る...。

 ようやく鍵のようなものを見つけ出した。

「これ...かな...?」

 いつも屋敷には誰かしらが居て、普段は鍵すら持っていない始末しまつであるから、滅多に使わない鍵の形など覚えていない。

もっと言えば父から貰って以来一回も使ってすらいないかもしれない。

ただ鍵に刻まれている「杉谷すぎたに」のめいはうちの御用職人ごようしょくにんの銘だろう。

 窓掛まどかけを開けると、月明かりが暗い部屋の中へと差し込む。

満月とはいかないが、月のよく光る夜だ。

眠っていた水衣はまぶしそうに「ん...んん...」と声を上げているが舞衣は気づかない。

露台バルコニーの扉を開けた刹那せつな、冬の冷たい風が部屋の中にけ入る。

舞衣はフライを起動しクロダで設定せっていを行う。ロープの長さは20メートル

あとは露台バルコニー欄干らんかんにロープをしばり付けて降りれば...。

 その瞬間しゅんかん、水衣が目をましてしまった。

「ん......まーちゃん...?」

 その声に舞衣はあわてて振り返る。

(「しまった...!みーちゃんのことわすれてた...!」)

 慌てて扉を閉めて水衣のもとへ歩み寄る。

そして頭をでながら「私ちょっと散歩さんぽしてくるから」とやさしく話しかける。

 水衣は「ん...わたしもいく...」とベットから起き上がってしまった。

 こうなってしまったらもう水衣を止めることはできない。

「神様の使いは私に来いって言ったけどみーちゃんも一緒いっしょでいいのかな...」なんてことを思いながらベッドに座って水衣が着替える姿を舞衣はながめていた。

「二輪で行くからちゃんと耐衝たいしょうのでね」等と声をかけながら姉の着替えを眺める。

 水衣は母に似て肉づきがよく、同年代と比べても貧相ひんそうと言えてしまうような舞衣の体型と比べると胸や尻の大きさですらふた回り以上は大きく思える。

「私もみーちゃんみたいな身体だったら殿方とのがたにも...」などと若干のうらやまましさを感じつつ時は過ぎる。

 しばらくして、水衣が着替え終わったので露台バルコニー欄干らんかんに縄をかけて舞衣から先に降りる。

 あとから水衣が降りてきて舞衣は見事にキャッチする。

 フライでつくった縄を元に戻して車庫へと警戒しながら急ぐ。

 家人けにんが起きてくるのは日の出前、だいたい4時半ごろであるのは経験で知っていてまだ2時間ほど余裕があるが、警戒けいかいするに越したことはない。


 車庫の前に到着、見慣みなれたはずの場所なのに家従かじゅうがいない、夜の暗い車庫が心なしか恐ろしく感じる。

 開いてくれとこいねがうように鍵穴に鍵を差し込む。「カチャ。」と軽い金属音きんぞくおんがしてじょうかれる。

舞衣は「開いた!」と小さく声をらし鎧戸シャッターを慣れない手つきで引き上げる。

鎧戸シャッターを開けるとあかりは点けずに二輪の元へとあゆる。

 山崎重工業やまさきじゅうこうぎょう陸王りくおう、6千圓ろくせんえん特注改造品とくちゅうかいぞうひんだ。

 手早く認証にんしょうして二輪を起動、充電じゅうでん当然とうぜんのように満タン。

液晶に表示された地図を見ると知らない場所までの自動走行経路設定じどうそうこうけいろせっていが既になされている。

 舞衣は謎の声の主が場所を告げなかったことの意味を理解りかいし、

自身の行動が予知されていたことにひそかに戦慄せんりつした。

そうして二輪を車庫前まで持ってきて仮止かりどめし、鎧戸シャッターを静かに閉める。

 エンジンをかけると音で家人けにんにバレそうなので東門まで押していこう。


 2分ほどで東門に到着とうちゃく詰所つめしょは灯りが点いており警備員けいびいんは与えられた職務を全うしていた。

詰めている警備員が寝ていれば楽だったのに、などとつぶやきつつ詰所へと近づき窓を叩く。

 警備員は顔を出し、窓を叩いた何者かを確認すると吃驚びっくりした。

 それもそのはず、この屋敷の主の子女しじょ、それも深窓しんそう令嬢れいじょう一介いっかいの警備員に声をかけ、その上まだ夜も明けない時間帯に屋敷を抜け出そうとしているのだ。

警備員はおどろきのあまり脳内のうないが真っ白になり、口を開けたまま動かない。

返事をしない警備員にしびれを切らした舞衣が「こことおしてくれる?」と話しかけると、警備員はうつろな眼を少し動かし、門扉もんぴを開ける。

 舞衣は警備員にれいを言い、水衣は会釈えしゃくをして門を出る。

 門を出て、舞衣は自分の想像よりも簡単に屋敷を抜け出せたことに内心驚きつつも、

初めての小さな家出に高揚感こうようかんすら感じ口角が少し上がる。

 水衣はと言えば決して表情には出さないものの、舞衣とのある種共犯的きょうはんてきな感覚に恍惚こうこつしながら二輪の後部座席こうぶざせきまたがって舞衣を待っている。


 舞衣は水衣の「みーちゃん、乗らないの?」という言葉にうながされるようにして

二輪に飛び乗り、アクセルをひねった。

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