ショートホラー集

@haraue

愛鱗(あいりん)

仕事、お金、人間関係…


何もかもが嫌になった俺は、半ば自暴自棄的に都会から逃げた。

かと言って、地元に帰る気はさらさら起きない…。


流れ着いた先は、縁もゆかりも無い田舎の安アパート。コンビニも近くになく、娯楽も皆無。

やけに漂う、籠ったような草花の香り。生活の質は、都会のソレとかけ離れたものに……



だが、別にどうでも良い。

どうでもよかった。

俺は、出会ってしまった。

そんな事を差し置いても、俺を焚き付ける存在がそこにはあった。


斜め向かいの、一軒家。

そこから、毎朝仕事に出る父親を見送る少女。

制服を着た彼女の歳は、17か18。

彼女の存在が、たまらなく俺の視線を支配する。


これがおそらく、抱いてはいけない感情である事は間違いないのだが、身体が、脳がそれを止めてはくれない。

彼女が朝、顔を出すのを俺はカーテンの隙間から安物の双眼鏡を差し込み、興奮して覗く…

何とも、見下げ果てた自分がいたが、それでもこの毎日を続けずにはいられない。



彼女は、実に可憐であった。

彼女を見ていると、自分の全てが満たされていく錯覚さえおぼえる。


日々の妄想は膨らみに膨らみ、淫らな彼女が頭の中にゴマンと積み上げられていき……


…だが、足りない。

何かが足りない。

確実に足りない。


その夜、久々に悪夢を見た。

苦い過去。

幼少の頃、嫌がおうにも実感させられた。自分が、母に愛されてないと言う事…。


まるで、胃から真っ黒な吐瀉物でも迫り上がってくる様な気分だ。

水道の水を、ガブガブと飲んだ。


その時、俺の目がとらえた。


真夜中に、灯りが灯っている。

斜め向かいの家、その2階。

彼女の部屋だ。

今まで彼女を見て来て、一度もない夜。


彼女の見知らぬ一面を観れるのではと期待を膨らませ、双眼鏡を急いで灯に向けた。



…いた!彼女だ!


なんだ?胸元に手をあてて…


…………あ



就寝の準備をはじめたであろう少女は、一枚一枚肌を覆っていた布をその身体から剥ぎ取っていく。

そこから、シルクの様な素肌があらわになり…


生唾が喉をならし、その光景を目に焼き付けていく。

こんなラッキーがあって良いのだろうかっ!

瞬きも忘れ、息をも忘れて彼女の裸体を期待し、覗きに専念する。



…もう少し

後少しで、下着が…

ホックに指が…





だが、期待した彼女の秘部を見る事はかなわなかった。


うわっ!?


下着を、今まさに脱ぎ終わろうとする寸前、視界が何かに覆われてしまう。


慌てて確認すると、双眼鏡に大きな蛾が止まっていた。

驚いたのと、忌々しさが入り混じった怒気を漏らし、小さな邪魔者をはらい急いで彼女の方に視線を戻す。


時は既に遅く、着替え終わった彼女は窓際から去ろうとしていた…。




ちくしょう…!!

ふざけるなっ!!

…あぁ、くそっ…

なんだよ、クソ虫がっ

邪魔しやがって、もう少しであの…



…………いや


俺は何で、今まで気が付かなかったんだろうか


俺が、会いに行けばいいじゃないか


考えてみたら、決して手に入らない距離ではない。いや、むしろずっと目と鼻の先にあった。


頭が、まるで酩酊状態のようにフワフワとしてきた。

道徳的な感情、感性が薄れていく


……まぁ、いいか


だいたい、社会からもすでにはみ出している身だ。今更、一線を超えたところで時間の問題だったろうし…


驚くほど、自分の身体は迅速に事を成していく。

音もなく安アパートを出た俺は、気付けば、彼女の家の前に立っていた。

さも、当然のようにノブをひねる。


ガチャリ


鍵は開いていた。

田舎の習慣に感謝しつつ、不法行為を犯す。


ぎしり…ぎしり…


暗い廊下の先、リビングから光が見える。テレビの音。おそらく、あの父親がいる。


実に腹立たしかった。

この男は、四六時中彼女と同じ屋根の下で…

一緒に…


とにかく、この男は排除しなければ


静かにリビングのドアを開ける。

男の背中が見える。

リビング入り口のすぐ横には、一般的なキッチンがあり、迷う事なく右手がエモノを掴む。


「…誰だ、キミは」


突然の招かざる客、男の思考が追いつかないスキに、俺の右手は的確に急所に入る。

ブツリ、と操り人形の糸が切れた。

…そんな感じに、男はあっけなく地面に倒れる。


…やった。初めてだ。

まぁ、思ったより心は平常だな。



ふわっと、心地よい香りが鼻を掠める。

その方向を向いた。


彼女がいた。


怯えた表情をしているが、その美しい目は確かに、俺を見つめている…!


「だ…れ、ですか…」


今にも消え入りそうな声で、俺に話しかけてきた!!

身体中の血が加速する。


彼女が欲しいっ!!

今すぐにっ!!


オレのモノに!

これで、満ち足りない毎日がおわる!


彼女は、俺に背を向け逃げ去ろうとする。必死に追いつこうと手を伸ばす。



はぁ…はぁ…

ドタドタ

はぁ…はぁ…

バタンッ!


地下へと伸びる階段。

その扉に、彼女は入り込んだ。

袋のネズミだ。


顔が無意識にニヤけていた。

…ついに、手に入る。


彼女の柔肌を、蹂躙する妄想…

何度も何度もした脳内の出来事を、実行できる時。


ぎ…ぎ…ぎ…


あえてゆっくり、力強く階段を降りる。

あぁ、彼女のドアごしの表情が想像できる。恐怖に怯え、弱々しく震えているのだろうか、気丈にも刃向かってくるのか…。


ガチャリ


当然のごとく施錠されていないドア

ぎいぃ…と、ゆっくり開けた。


中は、広い空間で明かりも乏しく彼女の姿は確認できない。

だが、小さな息遣いは聞こえる。


ここにいる。


「…君に会いにきたんだ。君をずっと見ていたよ。お願いだ、俺のモノになってくれ」


ヒタ…ヒタ…ヒタ…


暗がりから、素足で近付いてくる存在。


あぁ、彼女だ。


目の前に、あれだけ憧れた彼女がいる。

迷いなく、オレは彼女に覆い被さろうと両手を突き出した





…腕が、動かない…?


違う、腕は動く。力が入る。

全身、動く


…のに、動かない。


身体中に、まとわり付く何かがある。

蜘蛛の糸?幼虫の繭?とっさに思い浮かんだ。



「幸せになりたい?」


…え?


「私ね、嬉しいの。あなたがここに現れたのが。やっぱり、あなたは幸せになりにきたのね。」


「あなたの人生、嫌な事ばっかりだったもんね。お母さんは、あなたを見る事はとうとう無かった…。学生の時も、社会に出た後も、あなたは爪弾きにされた。どうしてか分かる?」


どうして…?


「愛されて無かったから」


「私なら、あなたにあげられるよ。」



暗闇に、目がなれてきた


あ…

あぁ……


よく見ると、そこらじゅうに繭がはられている。

…人間が、入っている。何人も何人も。


さっき、殺したハズのあの男も入っている。


「この人達は、エサ。私の。」


「かわりに、人格を完全に模倣した人形が生活をしてくれるの。」


どうりで、あの男を刺した時、返り血がつかないハズだ


「私は、見捨てないよ。最期まで、愛してあげるよ。」



答えは、もう出ていた

たとえ彼女が、人間の皮を被ったバケモノだろうと、その家畜になり下がろうと、答えはもう、出た。





彼女の腕の中で、意識は薄れていく…


傍の大きな繭から、新しい俺が羽化していくのを眺めながら……。



パキ…パキ…

ズルッ

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